天草にミカンを買いに行った。近所の人も頼んだのでCOPENはミカンでいっぱいになる予定だった。
八代に回り松浜軒や城址を見た。博物館は休みだったがそのあたりを十分散策して、物産館に寄り天草に向かった。
2時間ほどでミカン屋に着いた。金桁(かなけた)温泉という素晴らしい温泉があったがもうやめたそうだ。ウソ八百書いた下劣な温泉雑誌に乗らないと経営は困難なようだ。
で、財布を出そうとしたらない。すべてない。カメラ、カード類、名刺、取材メモ、ペン。バッグごとない。人にとって、命をかけるほど大事なものでも、別の人にとっては紙くずであったりする。
僕にとってはカードやカネやカメラはどうでもいい。どうせ無限に僕のカネを吸い取られるものではない。肝心なのは僕の祖母の写真。祖母は失明する。その失明前の唯一の写真。僕を見た顔だ。これがないと僕は生きる気を失う。
女は勉強しなくていい。戦前どの男もそう考えていたようにうちの男達もそう思った。ばあちゃんはひそかに勉強を続け僕に数学を教えた。失明してからも教えた。
感謝している人の写真をなくすとはバカにもほどがある。天草から110番した。
「八代よかとこ物産館」にバッグごと置き忘れていた。それをみつけて届けてくれたのは福岡県警のお巡りさんだった。名前は出さないでくれということで残念ながら書けない。
バッグはそのまま八代駅前の交番にあった。熊本県警交番勤務のおまわりさんは、なかなか機転のきく人だ。僕がぜひお礼を言いたいと言ったが、電話番号が僕に知れたら個人情報の漏えいになる。
そこで駅前交番のお巡りさんは、「持ち主に届いたことを、拾い主に連絡します」、と言って僕に隠しながらダイヤルし、途中で僕に変わった。僕は十分お礼を言うことができた。駅前お巡りさんも個人情報を漏らしたことにはならず、僕も満足した。
最初の発見者もまた偶然、おまわりさんだったのでバッグは帰って来たのかもしれない。
どれくらい戻ってくるのか聞いた。個人的推定だと前置きして、お巡りさんは恐ろしい数字をあげた。
その日に戻るのは2割ですね。あとは日がたつにつれ下がっていきます。結局4割です。パチンコ屋での遺失物は100%戻りません。
つまり5人に一人しか落し物を届けない。なんと言う日本になってしまったんだ。
日本は、ほんの少し前までみんなが安心して暮らしていた。日本を悪魔の住処にしてはならない。