か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

石炭液化

2012年05月01日 | 技術
なかなか興味をひく話題だ。わざわざ、40年そこそこの蓄えしかないエネルギーに、頼ることもないわけだ。分子構造からすればほとんど変わりないものだから、何百年も蓄えのあるものから使いたいと思うのは至極当然の流れだ。ただし、分子構造は似ていても見た目が明らかに違う。こうも違っては、とてもそのままは使えない。

石炭液化。

このところのようにガソリンの値段が高くなるとこの話が再燃する。石油危機の時代にも、大いにこの研究の必要性が叫ばれた。借りてきたネコのような国民は、政府の言うままに、よろこんで爪に火をともす生活に甘んじ、銀座の街灯は消えた。

しかし、石炭は石油にならなかった。

今回の石油の高騰を見て、文科省、通産省は多くの大学に研究費をばらまいた。捨て金だったがけっして馬鹿にしてはならない。捨て金できる保証がないと、よい研究はできない。ま、少なくとも失敗には素直になってほしい。10年ほど前から企業においても真剣な取り組みがなされてきた。モンゴルの平原の中で砂嵐に耐え、プラント建設にはげむ日本の労働者には頭が下がる。

しかし、石炭は石油になってない。10年後に動くプラントでもいい。できるもんなら示してみろ。

それを今から70年も前に実用化し戦闘機を飛ばした国があった。Luftwaffe(ドイツ空軍)

石炭と石油の違いは、ライスカレーとカレーライスの違いだが、つまり同じだが、実験室で1リットル2リットル作るのではない。プラントには実験室そのものの大きさをした圧力容器が必要だ。

ドイツのコピーをして液化を試みた東洋のサルがいた。戦争を始めたサルはアメリカとの石油精製能力の差が、700対1であることへの反証がほしかった。おれたちは石炭から石油がとれるもん、と言いたかったのだ。

国民には明日にでも撫順炭鉱からパイプラインが伸びて、石油があふれだす幻想がばらまかれた。

しかし、石炭は石油にならなかった。

700の手を持つ千手観音がボクシンググローブをつけて、たった一個のグローブしかない子供に襲い掛かる。子供はいつまでもウソつき政府のPRを信じていた。

今現在ですら実用化してない技術を、貧乏国日本が70年前に工業化できるはずないじゃないか。
Posted at 2012/04/18 21:13:25

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