か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

Don Juan

2018年06月05日 | 故人

野崎 幸助(のざき こうすけ、1941年 - 2018年5月24日)は、和歌山県実業家[1]

和歌山県田辺市生まれ[1]。地元の中学校を卒業[1]。鉄屑拾いから訪問販売員、酒類販売業[2]不動産業[3]金融業まで様々な事業を手掛け、裸一貫から巨額の財を築いた[1]2018年5月24日自宅の寝室で倒れているところを発見され、死亡が確認された。享年77[2]。   BY WIKI

辛かったろうなあ。3000人も。腹筋と背筋。

 

上記した生い立ちから、苦労したんだなあとか、赤貧洗うがごとしとはこのことか、という記事が大部分だ。ところが年代を考えなければならない。昭和16年はみんな生きるだけで必死であり鉄くず拾いを出来たのは幸いである。

小学生は学校の生き帰りに鉄くず、古くぎを拾うことを強制させられており、拾った量は教師が監視した。帝国は子供が拾った釘で戦争に勝とうとした。

ところが戦争が終わると訪問販売業は成長産業になった。高度成長とともに少々のインチキ商品でも売れた。だがそこには周到な計算と用心深さがあったと見なければならない。

恨みを買えば自分のカネや命は狙われるが、恨みを買わなくても、悪質な人間にかかると、殺してでもカネをとられる。

僕は、とくにねたまれやすい商売をしつつ平然と夜の街に繰り出せたのは、誠実だったからだと思う。なかなか誠心誠意接してくる人間は殺しにくい。

それでも殺意を抱く人はいる。野崎さんは用心深かった。

 

その生き方は女性の扱い方を見てもわかる。彼は浮ついた心で接したことはない。だから決して外見に特徴がなくても持てるのだ。女性からすれば、私を必要としてくれる人がいる、とか私と本気で話してくれる、と彼女と共感できる能力がイケメンが持っていそうで持っていないものだ。

その証拠に3000人のだれともめたか。気に入った人にプレゼントをやったのがいかんのか。

 

孤独な男が歓心を買うために散財したのではない。

 

覚醒剤はどこにあったのか、何グラムあったのか、だれが怪しい、犬は変死した、直前の行動がおかしい・・・ バカバカ。死んだからその直前の行動を調べるのであり、普段エロ本屋に行こうが行くまいが僕は問題にされたことはない。どうでもいいことを謎だ謎だと騒ぐな。うるさい。

僻んで、あるいはうらやんで、たかが30億を狂うほど欲しがる。そんなら自分の才覚でどうかしろよ。野崎さんは人生に対する哲学を持ち誰も悲しませず平和に生きた。

あれが謎だこれが謎だと細かく本質でない事実にこだわるバカたちよ。いい加減みじめになるだろ。


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