か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

六光星の修猷 五光星の陸軍

2012年05月01日 | 受験・学校
六光星の由来(福岡県最高峰の修猷館高校の校章)

 伝統に輝く六光星の徽章は明治28年,日清戦争直後の興隆する国運を背景に制定された。その由来は朱舜水の「楠公賛」の冒頭の句「日月麗乎天」によるものであって,日月と輝きを同じくする星の光に将来を荷う若き青年の希望を託したものである。
 なおこの星は,北極星をかたどったものであり,永久にゆるがぬ人生の指針をこの星に仰ぐという意味がこめられているとも言われている。  < 修猷館高校のホームページより引用

元来この高校は反骨の士を数多く輩出している。広田弘毅、中野正剛・・

ところが近来これと言った人物が出ていない。偏差値は気絶するほど高く、おそらくそこらの不潔高校が三年間かかって学ぶ量を一日で学ぶ。

それにしてはこのごろ腑抜けが多いぞ、修猷館。僕らの時代には、僕の高校はラグビーの試合となると修猷に絶対勝てなかった。ところがこの頃、簡単にそこらの私立に負けている。

「伝統に輝く六光星の徽章」、この意味をかみしめろ。女子生徒のセーラー服の背中に光る星はデザインではない。五光星ではなく六光星だというところに修猷の修猷たる大きな意味がある。

偏屈低脳で威張り散らすことしかできないお粗末陸軍は、その六光星が気に入らなかった。帝国陸軍より光が多いじゃないか。陸軍は五光星だった。

帝国陸軍は軍の中の修猷閥を利用して圧力をかけた。今なら、はいはいとしっぽを振ってよだれを垂らして軍に迎合するだろう。軍が消滅した今は県教育委員会にしっぽを振るか。

そうして県教委に平身低頭ゴマをすり、修猷の校長になるやつもいる。そういうバカのおかげで、学問は時の権力に迎合するのが当たり前になってしまった。

戦前、帝国陸軍の権力が絶頂のころ、学校に配置された配属将校は校長より強い権限を持った。

政府、軍、県、父母会、在郷軍人会、まさに四面楚歌の状況の中で修猷館は校章を変えなかった。

お国の一大事に、軍人さんに逆らうなんて、自分だけ違っていいと思うのか、・・ありとあらゆる罵声の中、修猷は校章を守った。

しょせん、校章なんてただのマークにすぎない。だが、ファシストたちの言いなり小僧と同列に扱われるのは悔しいじゃないか。なぜかって?1600年から続いた学び舎に、100年もならないひよ子がグダグダぬかすのは、バカの錯乱だ。4,5年したらそのバカは消滅した。
 
 
 
 
 
 
 

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