日々雑感

豊かな四季の移ろいを記憶にとどめて行きたいと始めたフォトブログです。暫しご笑覧下さい。

奈良・斑鳩の里、ぽっくり寺・吉田寺を訪ねました

2016年08月30日 | 古社寺巡方・奈良

「花吹雪 こんな終わりを 吉田寺」
山口卓

今月の初旬に取り上げました
「川柳合同句集 飛火野」という句集に掲載されていた句です。

長患いすることなく、出来れば花吹雪の下でぽっくりと逝きたい、
という万人の願いを聞き届けて下さるお寺・吉田寺(きちでんじ)です。

以来、この吉田寺をお参りし私も御利益を授かろうと思っておりましたが、
この夏の余りの暑さにバテバテで、それどころではなくなっておりました。

ところが、幸いなことに昨日今日と一気に秋めいて爽やかな陽気になったのを機会に、
訪ねました。

 

 

正門。吉田寺はこじんまりとしたお寺です。

 

正門から境内までの径は何とも落ち着いた風情に包まれていました。

 

この径を行くと、いきなり本堂と重文の多宝塔が眼前に広がり、この寺院の由緒の深さを想像させられます。

 

本堂。
「大和のおおぼとけ」とも呼ばれる丈六の本尊・阿弥陀如来が安置されています。

念願の本堂に上がらせて頂き、ご本尊を拝むことができました。。

 

多宝塔(室町時代創建)

 

 

果たしてこれでぽっくり逝けるかどうか、日頃の行いの危うさを考えると全く自信はありませんが、
出来れば、西行法師が詠まれた句

「 願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃 」

に、ぽっくり逝きたいものですな。

 

奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1-1-23
清水山吉田寺

(E-M1)

 

 

 


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奈良県 唐古・鍵遺跡を訪ねました

2014年04月29日 | 古社寺巡方・奈良

先日、奈良県田原本町にある「唐子・鍵遺跡」を訪ねました。
「唐子・鍵遺跡」は、およそ2000年前の弥生時代の遺跡です。

現地に設置されている説明文では以下のように記述されていました。

「唐古・鍵遺跡は、奈良盆地のほぼ中央に位置する、弥生時代(B.C3世紀~A.D3世紀)の集落遺跡である。
昭和52年以降、継続的な調査が行われ、遺跡範囲が30haに及ぶ巨大環濠集落であることが判明した。
ムラの周囲には幅5~10mの環濠が幾重にも巡り、敵からの防御や運河の機能を担っていた。
集落の内部では石器・木器の生産や青銅器の鋳造も行い、物資の流通の中心になっていた。
また、岡山から静岡までの広い地域の人々と交流しており、近畿の中心的な集落と目されている。
また、絵画土器の点数は百数十を数え、これは全国の三分の一を占める。
なかでも、楼閣の描かれた土器は有名である。」

しかし、唐子・鍵遺跡と云えば有名なのは、絵画土器に描かれていた楼閣をもとに実際に復元された「楼閣」です。

この楼閣は、上の写真のとおりに江戸時代に築かれたという農業用ため池「唐子池」の西南隅に復元されています。

この楼閣についても、案内表示板が設置されていました。

「平成3年秋、「唐古・鍵遺跡の第47次調査において楼閣の描かれた土器片が出土し、
古代建築史上、画期的な発見として大きく取り上げられました。

この土器は弥生時代中期(紀元一世紀)のもので、既にこの時代に大陸文化を
取り入れた建築物があったことを証明する資料となりました。

一つの土器片には二層の屋根、大きな渦巻き状の棟飾り、

 

三羽の鳥と考えられる波線が、また、もう一つの土器片には二本の柱と刻み梯子が描かれています。

 

卑弥呼の住む邪馬台国にはこのような高い建物がそびえていたのでしょう。

 この楼閣は高さ12.5m、柱の間隔4×5m、柱の太さ0.5mの規模です。 

屋根は茅葺きで藤蔓製の棟飾り、窓は突き上げ窓、一枚板製の扉、刻み梯子などで復元しました。」



これだけ著名な遺跡ですが、当日の見学者は私以外誰もいないようで、雀のチッ・チッという囀りだけが時折聞こえるだけでした。



池の土手には白いペンキが塗られたスチール製のベンチが数脚、設置されていました。

その一つに腰掛けて、頬に感じるさわやかな春風の心地よさに、少しばかりの眠気に誘われながら、静かな一時を過ごしました。


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熱帯スイセン 古都・奈良 不退寺で

2013年07月03日 | 古社寺巡方・奈良

平安初期の歌人である在原業平(ありわらのなりひら)が建立したという、
古都・奈良の不退寺を訪ねました。
在原業平(825-880)は三十六歌仙にあげられるなど、才気溢れる文人でした。
また、「伊勢物語」の主人公だと伝わり大変な美男子であったといいます。
しかし、祖父が平城天皇という皇親でありながら
朝廷内にあって絶対的な権力を握る藤原氏一族に阻まれ
その生涯は不遇であったといわれています。

本堂(室町時代・重要文化財)

境内に置かれた大きな鉢に熱帯睡蓮が数輪咲いていました

この青は秀逸でした

中心部の鮮やかなイエロー

寺院の右前には、田んぼが広がり、整然と植えられた稲が
時折吹く風になびいていました。

END


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興福寺と猿沢の池

2013年01月26日 | 古社寺巡方・奈良

  久しぶりに奈良公園に。 その二。曇天。

猿沢の池と興福寺の全景

猿沢の池から興福寺五重塔を望む

興福寺石段下で客待ちする人力車二台

興福寺境内から見た五重塔
およそ580年間、ここに立ち尽くしている、何遍訪れてもその凄みに圧倒される

END

 


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厄除寺・松尾寺を訪ねて

2012年07月13日 | 古社寺巡方・奈良

 松尾寺は奈良県大和郡山市山田町にある真言宗のお寺です。

 法隆寺の真裏に位置する松尾山の中腹にある山岳寺院です。

古くより厄年に当たる人の厄除け祈祷をしていただけるお寺として有名です。

 その歴史は古く、今から約1300年前の養老2年(718)に、

有名な日本書紀の編纂責任者であった舎人親王が、

その日本書紀の無事完成と自分の42歳の厄を払うことを願って建立されたと伝わっています。

 北惣門です。正門はこの反対側にある南惣門ですが、

車で訪ねるとこの門から入山することになります。直ぐに108あるという石階段があります。

 108段の階段の途中に閼伽井屋が右手にあります。

本尊厄除観音にお供えするためのお水はここから創建以来使用されているとのことです。

自然湧水で、不老長寿、健康のために良いとされ、昔から松尾水(まつのおのみず)と呼ばれいます。

 本堂です。当日、境内にはカサブランカの植木鉢が多数置かれていました。

毎年7-9月に行われているようです。

建武4年(1337)に再興された建築物で国の重文に指定されています。

三重塔です。

境内から少し高台にあり、高さは15mあります。明治21年に再興されました。

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END


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