先日、奈良県田原本町にある「唐子・鍵遺跡」を訪ねました。
「唐子・鍵遺跡」は、およそ2000年前の弥生時代の遺跡です。
現地に設置されている説明文では以下のように記述されていました。
「唐古・鍵遺跡は、奈良盆地のほぼ中央に位置する、弥生時代(B.C3世紀~A.D3世紀)の集落遺跡である。
昭和52年以降、継続的な調査が行われ、遺跡範囲が30haに及ぶ巨大環濠集落であることが判明した。
ムラの周囲には幅5~10mの環濠が幾重にも巡り、敵からの防御や運河の機能を担っていた。
集落の内部では石器・木器の生産や青銅器の鋳造も行い、物資の流通の中心になっていた。
また、岡山から静岡までの広い地域の人々と交流しており、近畿の中心的な集落と目されている。
また、絵画土器の点数は百数十を数え、これは全国の三分の一を占める。
なかでも、楼閣の描かれた土器は有名である。」
しかし、唐子・鍵遺跡と云えば有名なのは、絵画土器に描かれていた楼閣をもとに実際に復元された「楼閣」です。
この楼閣は、上の写真のとおりに江戸時代に築かれたという農業用ため池「唐子池」の西南隅に復元されています。
この楼閣についても、案内表示板が設置されていました。
「平成3年秋、「唐古・鍵遺跡の第47次調査において楼閣の描かれた土器片が出土し、
古代建築史上、画期的な発見として大きく取り上げられました。
この土器は弥生時代中期(紀元一世紀)のもので、既にこの時代に大陸文化を
取り入れた建築物があったことを証明する資料となりました。
一つの土器片には二層の屋根、大きな渦巻き状の棟飾り、
三羽の鳥と考えられる波線が、また、もう一つの土器片には二本の柱と刻み梯子が描かれています。
卑弥呼の住む邪馬台国にはこのような高い建物がそびえていたのでしょう。
この楼閣は高さ12.5m、柱の間隔4×5m、柱の太さ0.5mの規模です。
屋根は茅葺きで藤蔓製の棟飾り、窓は突き上げ窓、一枚板製の扉、刻み梯子などで復元しました。」
これだけ著名な遺跡ですが、当日の見学者は私以外誰もいないようで、雀のチッ・チッという囀りだけが時折聞こえるだけでした。
池の土手には白いペンキが塗られたスチール製のベンチが数脚、設置されていました。
その一つに腰掛けて、頬に感じるさわやかな春風の心地よさに、少しばかりの眠気に誘われながら、静かな一時を過ごしました。