昭和の懐メロ「長崎物語」
「赤い花なら 曼珠沙華 和蘭屋敷に 雨が降る・・・」
その真っ赤な「曼珠沙華」が、咲いていました!
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長崎物語は、江戸初期の1639年(寛永16年)、第五次鎖国令によって、
南方のバタヴィア (現在のインドネシアジャカルタ)に追放された <じゃがたらお春> の物語です
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父は、商船の航海士であったイタリア人、母は、長崎で貿易商を営む商家の娘で、
小さい頃から、容姿端麗で、読み書きにも優れ、皆が羨むほどでした
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しかし、悲劇が起こります
このときお春は、若干14歳の少女でした
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追放後、ジャカルタから長崎の知人宛てに、「あら日本恋しや。。。」と、
望郷の念を綴った手紙を送り、その悲しい定めを負った少女へ、人々は涙無しには語れなかったと伝わっています
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「長崎物語」は、この実話を題材にした歌謡曲です
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ところで蛇足ながら、
<じゃがたらお春>の運命を、悲しく切なく歌う「長崎物語」ですが、
実際のお春は、
その後、追放されたジャカルタで、同じくオランダ人とのハーフで平戸から追放された男性と結婚、
この夫は有能で、東インド会社に勤めて、大いに活躍し、
お春もその才女ぶりを発揮して、夫とともに財をなしました
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そして三男四女も授かり、家族に囲まれながら裕福に暮らし、
1697年4月に72歳でその天寿を全うしたとのことです
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長居植物園にて
(E-M1Ⅲ+12-200)