住吉大社へ初詣に行ってきました
住吉大社は、毎年正月三が日の参拝者数が200万人を超える神社です
しかし今年もコロナ禍で、楽しみにしている屋台の出店は有りませんでした
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住吉大社初詣
(X20)
住吉大社へ初詣に行ってきました
住吉大社は、毎年正月三が日の参拝者数が200万人を超える神社です
しかし今年もコロナ禍で、楽しみにしている屋台の出店は有りませんでした
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住吉大社初詣
(X20)
(住吉大社太鼓橋)
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今年も、拙い写真ブログですが、
身体が続く限り、
更新し続けて行きたいと思っております
宜しくお願い申し上げます
<(_ _)>
野暮用があって、昼過ぎに出かけたその帰り道、
なぜか、海辺の夕景が観たくなり
少し遠回りとなりましたが、堺市にある「堺浜」に寄ってみました!
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今にも消えようとする夕陽
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12月1日の、穏やかな、日の入り、でした
-☆-☆-☆-
昨日の雨は朝方までにはスッカリ上がり良いお天気となった今日、
「ソメイヨシノ」が、満開でした!
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長居公園にて
(N24-70)
「陽光桜」が、満開でした
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この桜は、戦時中、青年学校農業科の教師だった高岡正明という方が、
終戦後30年の歳月を掛けて桜の新品種として作出しました
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これは、2015年に封切りされた
映画「陽光桜-Yoko the Cherry Blossom-」を観て知りました
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以下はその映画の予告編からの抜粋です
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「戦時中、軍国教育を行っていた青年学校で教師だった高岡正明は、
終戦直後から「わしが教え子たちを戦地に送り込んでしまった」
との自責の念に苦しみ続けた。
そして、正明は
「戦争という、二度とこのような悲惨なことを繰り返してはならない。
戦死した教え子たちの鎮魂と、世界恒久平和への願いを託して新しい桜を自分の手で作ろう」
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と、生涯を賭けた桜の新品種開発を誓う。
正明にとって、その桜は「新しい桜」でなければならなかった。
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「厳寒のシベリアで散った子たちもいる。亜熱帯のインドシナ半島で亡くなった子もおる。
教え子たちの鎮魂と世界各国への平和のメッセージを託すには、
これまでの桜ではいかん。どんな気候でも花を咲かせる、
病気にも強い樹勢が良い品種でなければいかんけん」
その挑戦は苦難の連続だった。
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植物遺伝学上、
桜は人工受粉で新たな品種をつくることは「不可能」だと言われていた。
しかし、正明は自らの誓いを胸に秘め不屈の精神で試行錯誤を繰り返し、
30年後、ついに桜の新品種登録第一号となる「陽光」を生み出す。
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高岡さんは、2001年に92才で亡くなられました
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この満開の濃いピンク色の「陽光桜」を観る度に、
この映画を思い出します
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長居公園にて
(N24-70)