ツバキ園で、「関戸太郎庵」が開花していました。
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「関戸太郎庵」という名が妙に気になって少し調べてみました。
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その結果、この椿の元の名は「太郎椿」であること、
そしてその名の由来は、
江戸時代中頃の徳川御三家の尾張藩を中心にして花開いた中京文化圏で、
著名な茶人で有り絵師でもあった高田太郎庵(1683-1763)が愛好した椿であったからだとわかりました。
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その後、「太郎椿」は、その中京文化圏を代表する文化人の一人であった
尾張藩の御用商人で豪商の関戸家に伝来します。
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関戸家に伝来した「太郎椿」は、茶人・文化人の間で広く愛でられるとともに、
名古屋(尾張)、三重(伊勢)、岐阜(美濃)に広がり、
「中京の椿」として全国の茶人に知られるようになったそうです。
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茶花としての椿、奥が深いですねぇー、
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これを機会に一度、尾張藩を中心にした中京文化を勉強して見たくなりました。
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きっと、あの徳川宗春が主人公でしょうか?
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またの機会に掲載したいと思っています。例によってあまり当てになりませんが・・・
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長居植物園ツバキ園にて
(D7000+18-270)