「徳川家康(17)軍茶利の巻」が読み終わった。
本巻では、家康に対する敵意が益々募った三成が
家康排除のため、具体的に動きだす。
三成は皮肉にも家康の庇護を受け、
秀吉子飼いの福島正則ら七将の襲撃を避けるものの、
その後、近江に蟄居させられることになった。
一方、会津の上杉景勝は、家康の上坂命令も無視し、
家老である直江兼続が
無礼な返事(いわゆる「直江書状」)を家康の使者に託す。
家康は上杉討伐を名目に出兵を決行するが、
その留守を狙って三成が挙兵。
三成挙兵を知り、慶長5年7月24日、
下野国小山で上杉討伐の諸大名連合軍は軍議を行う。
世にいう「小山評定」である。
いよいよ次巻は関ヶ原である。
************************************************************
これの記事を書いたのは、先週末の土曜の夜。
前夜、Wカップサッカーを観ていて、
早朝に寝たため、リズムが変になってしまった。
おちぇも合わされたため、夜11時を過ぎても元気だった。
ふたりで外を20分位であったが、夜のお散歩をした。
(奥さんはぐっすり寝ていたようだ)
この日、おちぇは眠いのに自分が寝るまで下にいてくれた。
いつもなら先にベッドに行って寝ているのに。
寝るを待っていてくれたんだね。ありがと、おちぇ。
本巻では、家康に対する敵意が益々募った三成が
家康排除のため、具体的に動きだす。
三成は皮肉にも家康の庇護を受け、
秀吉子飼いの福島正則ら七将の襲撃を避けるものの、
その後、近江に蟄居させられることになった。
一方、会津の上杉景勝は、家康の上坂命令も無視し、
家老である直江兼続が
無礼な返事(いわゆる「直江書状」)を家康の使者に託す。
家康は上杉討伐を名目に出兵を決行するが、
その留守を狙って三成が挙兵。
三成挙兵を知り、慶長5年7月24日、
下野国小山で上杉討伐の諸大名連合軍は軍議を行う。
世にいう「小山評定」である。
いよいよ次巻は関ヶ原である。
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これの記事を書いたのは、先週末の土曜の夜。
前夜、Wカップサッカーを観ていて、
早朝に寝たため、リズムが変になってしまった。
おちぇも合わされたため、夜11時を過ぎても元気だった。
ふたりで外を20分位であったが、夜のお散歩をした。
(奥さんはぐっすり寝ていたようだ)
この日、おちぇは眠いのに自分が寝るまで下にいてくれた。
いつもなら先にベッドに行って寝ているのに。
寝るを待っていてくれたんだね。ありがと、おちぇ。