流された乳牛14頭、宮城農高に帰ってきた!
(2011年4月5日14時01分 読売新聞)
東日本大震災の津波で校舎が破壊された宮城県名取市の県立宮城農業高校で、津波にさらわれた実習用の乳牛34頭のうち14頭が生き延びて戻ってきた。
地震発生の3月11日、同高実習助手の渥美勇人さん(36)は牛舎で生徒約10人と実習していた。津波の警報を受けて生徒といったん校舎に避難したが、「牛を助けなければ」と引き返した。だが、全頭を避難させることはできない。「せめて逃げてくれ」との思いで牛の首輪を外した。牛舎近くの高台のやぐらに避難した渥美さんは、牛たちが濁流にのまれ、苦しそうに顔だけを出してもがく姿を見た。「生きてくれ」と祈ることしかできなかった。
ところが、この日の晩のうちに5、6頭が高台まで帰ってきた。さらに2日後には、数頭がけがを負いながらも戻った。「よく戻ってきてくれた」。渥美さんが1頭1頭抱きしめると顔をなめてくれ、胸がいっぱいになった。流されたのか学校から約5キロ離れた場所でも牛が見つかり、近所の人がえさや水を与えて面倒をみてくれていた。
といううれしいニュースが入ってきた。
牛の首輪を外しに戻るというまさしく命がけの行為のかいがあったね。
牛たちが濁流にのまれ、苦しそうに顔だけ出してもがく姿を見ても、「生きてくれ」と祈ることしかできなかったという。
学校から5キロ離れた場所で見つかった牛は、近所の人がえさや水を与えて面倒を見てくれていたとのこと。泣ける。
私だったら牛舎で寝る。そのぐらいうれしいこと。
だから狂牛病で自分の育てた牛を死なせた飼い主の気持ちを思うと本当に心が苦しくなる。
それだからよけい感動する。
(2011年4月5日14時01分 読売新聞)
東日本大震災の津波で校舎が破壊された宮城県名取市の県立宮城農業高校で、津波にさらわれた実習用の乳牛34頭のうち14頭が生き延びて戻ってきた。
地震発生の3月11日、同高実習助手の渥美勇人さん(36)は牛舎で生徒約10人と実習していた。津波の警報を受けて生徒といったん校舎に避難したが、「牛を助けなければ」と引き返した。だが、全頭を避難させることはできない。「せめて逃げてくれ」との思いで牛の首輪を外した。牛舎近くの高台のやぐらに避難した渥美さんは、牛たちが濁流にのまれ、苦しそうに顔だけを出してもがく姿を見た。「生きてくれ」と祈ることしかできなかった。
ところが、この日の晩のうちに5、6頭が高台まで帰ってきた。さらに2日後には、数頭がけがを負いながらも戻った。「よく戻ってきてくれた」。渥美さんが1頭1頭抱きしめると顔をなめてくれ、胸がいっぱいになった。流されたのか学校から約5キロ離れた場所でも牛が見つかり、近所の人がえさや水を与えて面倒をみてくれていた。
といううれしいニュースが入ってきた。
牛の首輪を外しに戻るというまさしく命がけの行為のかいがあったね。
牛たちが濁流にのまれ、苦しそうに顔だけ出してもがく姿を見ても、「生きてくれ」と祈ることしかできなかったという。
学校から5キロ離れた場所で見つかった牛は、近所の人がえさや水を与えて面倒を見てくれていたとのこと。泣ける。
私だったら牛舎で寝る。そのぐらいうれしいこと。
だから狂牛病で自分の育てた牛を死なせた飼い主の気持ちを思うと本当に心が苦しくなる。
それだからよけい感動する。