ホーエンシュタウフェン

生きるために食え、食うために生きるな。

【非対象戦争の尖兵】BMP-3 with ERA 完成

2012-01-22 16:00:50 | 現用戦車模型 完成品

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1981年、BMP-2の開発を行なったクルガンスキー自動車工場では、アフガン侵攻の戦訓を基にした新型BMPの開発がA・ニコノフ技師を中心になって始まった。開発にあたりソ連機甲局が攻撃力でかなり重武装の要求を行なったこともあり、設計のベースには1975年頃に同工場でPT-76の後継として開発されたが不採用となった水陸両用戦車オブイェークト685を原型とした。従来のBMPと外見は大きく異なった車体となったBMP-3は1987年に採用された。

車体は一新され、従来のBMPよりも容積が大きいことから居住性の向上も為されている。車体は18tを超える重量になったが、エンジンは500馬力のディーゼルエンジンUTD-29に強化されており、軽戦車ゆずりの機動力で荒地走破能力は格段に向上し、最高時速は70km/hに達し、実用キャタピラ車両の中では世界一速いとも言われる。ただし、水平対向型とはいえエンジンを車体後部の後部扉から至る連絡通路の床下に配置したため、兵員室の相対的車高が低くなり、特に連絡通路は兵員が這いずるように出入りしなければならないなど、搭乗員の居住性はBMP-2に比べて悪くなっているとの指摘もある。

搭乗員乗降口は天井部にもあるが、こちらは飛び降りて降車しなくてはならず、小型であることから緊急脱出や対空射撃用などの限定的な運用しかできない。車体後部には左右両方にウォータージェットが搭載されており、BMP-1以来の水上浮上航行能力は維持され水陸両用戦車PT-76の後継車としての役割も持っている。乗員は車長・操縦士・砲手の3名で、後部搭乗員室の定数は7名だが前方操縦席両脇に各1名ずつの座席があり、ここに人員を搭乗させた場合固有搭乗員3名を除き最大9名の人員輸送が可能となる。この前部搭乗員席が車体前方左右の7.62mm機関銃の銃手席を兼ねる。

1987年に採用されたBMP-3は、生産も同時に始まり、西側諸国には1990年モスクワでのパレードで存在が明らかになった。BMP-3は攻撃力と機動力に優れた歩兵戦闘車であり、ソ連崩壊後も生産が続けられているが、価格も従来のBMP-1やBMP-2に比べて高価なものとなったため配備速度は低率である。むしろ、ロシア国内向けよりも輸出に重点が置かれており、ロシア兵器輸出公団では多数のバリエーションやオプション提案と共に海外への売り込みが図っている。単価が約80万ドルと歩兵戦闘車でも比較的安価であることから、すでにアラブ首長国連(UAE)やクウェートキプロススリランカ大韓民国で採用されている。UAEでは、エンジンを強化したBMP-3Mを採用し、フランス製の暗視装置を装備するなど独自の改良を行なっている。大韓民国陸軍では、30両を第90機械化歩兵大隊に配備し、機械化歩兵戦力の一翼を構成している。

1990年代後半には、ようやくロシア陸軍でもまとまった数が運用できるようになり、チェチェン紛争南オセチア紛争などの実戦を経験している。

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【製作を終えて】

かつてBMP-3のキットというと、スキッフ社のものしか無く、以前組んでみた事があったにはあったのですが、東ヨーロッパ系メーカー特有の組みずらさ、ヒケの多さに泣かされ、製作を断念した思い出があります。

現用ロシアの陸戦兵器は、旧西側陣営のそれと比べると独特の「SFチック」な形状でファンも多いのですが、供与された国によるアレンジ、また中国製のコピー品まで含めると膨大なバリエーションになり、なかなか決定版といえるキットに恵まれてきませんでした。

しかし、このところ中国系のプラモデルメーカーによる「旧東側兵器」のキット化がたいへん活発になってきており、我々ファンにとっては嬉しい限りです。

今回、半年以上かかって完成にこぎつけましたが、震災の影響で無くなった・使えなくなったツール、塗料などがたくさんあり、それらを新たに買い直した上で、気持ちを一新してとりくんだ作品となりました。

今年はもっとたくさんのキットを製作し、モデラーとしての愉しみを忘れないようにしたいと思います。

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