本日のなかじま●寒波の中にも春の気配♪

女社長のストレス解消、大好きなパーティがまさかの「お料理教室♪」に発展です。

奇跡のような、生まれながらの・・・

2005年11月04日 | 私的時事・BZ
コンタクトレンズをなくしてしまい、おまけに最近、左の視力が落ちているので、この際いろいろと検査をしてもらうことにしました。

私のように強度の近視という肉体的問題を抱えている者にとって、コンタクトレンズはまさに近代科学の恩恵に浴していることを実感するモノの一つです。
これのおかげで、どれほど生活の快適さや、便利さ、そして肉体の機能としての視野だけでなく、心や感性の視野までも与えられているという喜び。

でも、その恩恵を受けられる時間には限りがあって、毎日家に帰ると、コンタクトという装置をはずし、眼鏡をかけ替えるたびに不自由な自分の視力と直面するのです。

眼鏡だけでは、矯正できない強度の乱視も、長い間コンタクトレンズを装着し続けてきた後遺症でもあり、ある意味、利便性のもたらす弊害でもあるのですが、それでもなお、この「視力」を驚異的に回復できることの恩恵は大きいのです。

私のように視力が0.1以下、0.04などというような状態では、夕暮れから夜にかけて、車のライトがぼんやりとした光の玉にしか見えなくなり、遠近感もつかめないので、まるで全ての車が自分に迫ってくるように感じられて、足がすくんでしまうのです。

コンタクトなしで夜道は歩けません。
コンタクトどころか、眼鏡がなければパソコンのキーボードをたたくのにも一苦労です。

私にとって、この視力といという難問は、とてつもない不安と背中あわせなのです。眠りに着く前に、必ず手の届く定位置に眼鏡とコンタクトレンズの入れ物をおきます。コンタクトも眼鏡もはずした状態で、火事や地震などの災害に遭遇したら、おそらく身動きができなくなるでしょう。

だからこそ、たったこれだけの弱い視力でも、「見える」ということに心から感謝し、自分の体に備わっているあらゆる機能や能力が、まるで奇跡のように思えたりします。

人が、人として生まれて、言葉を覚え、知識を吸収して、やがて見知らぬ人と出会い、コミュニケーションによって、もっと広い世界を知ることができるのも、複数の身体機能を駆使してこそできること。それらのすべては、本当に人知を超えた、奇跡のような能力なのだと、しみじみと感じるのです。

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3 コメント

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人生中期 (ただいま奮闘中)
2005-11-06 13:31:40
私も、最近は視力が落ちており夜の運転はかなり気おつけます。

職場に入ったころに先輩によく、そんなに近づいて書いてたら目が悪くなるよと言われました、確かに15年も経過するとほんとに視力が落ちました、視力だけは良かったのに.......

また、この年になると生活習慣病が出始めます、これも暴飲暴食の時代を過ごしてきた積み重ねですよね、世界には飢えと闘っている人がいるのにと思うと、なんだか自分が情けなくなります。

もう遅いかもしれませんが、国もあてにならない日本、老後の為に食の見直しをして医者のいらない体をつくりたいものです。

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Unknown (は。)
2005-11-07 18:36:28
私もコンタクトにして「世界」が変わりました!

メガネだと自宅の風呂は言うまでもなく、雨の日のゴルフやサウナで大変不便してましたから、コンタクトのありがたさが身にしみてます。

が、大酔いで帰宅した時に、外す気力を失ってそのまま倒れ込むことが多いので眼への負担は確実に増していると思います(^^

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目は心よりも年を語る(^^;? (奮闘中様、は様←な)
2005-11-08 00:25:44
調子がいいときには、すべてを手に入れたような気がして、

調子が悪いと、すべてを失ったような気がする。

目は、本人の自覚よりも、確実に年を教えてくれますね。

教えてくれなくてもいいような気がするけど・・・(~_~;)
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