カズTの城を行く

身近な城からちょっと遠くの城まで写真を撮りながら・・・

「高天神城の戦い・・・高天神六砦」⑧高天神城

2023-07-19 19:08:42 | Weblog

高天神六砦(三井山砦、中村砦、獅子ヶ鼻砦、火ヶ峰砦、能ヶ坂砦、小笠山砦)に包囲され、兵糧や弾薬の補給が遮断されて落城することとなった高天神城。

六砦訪問を終え、最後の小笠山から南下して行き、高天神城へ向かいました。

高天神城の北口方面へやって来ました。

北口方面からの高天神城遠望。この先駐車場があり、かなり前ですが奥方様と登城したのはこちら側でした。

他にも史跡あり。

駐車場に到着。

時間がないので車で移動。

搦手門側からの登城は、キツイ坂道だったような記憶があります。

北口はここまでで、南口を確認に向かいます。

南口の入口へ回って来ました。

南口、追手門側の駐車場に到着。ここは初めてです。

案内図を見て少し先へ行ってみました。

先は長いようです。この日はこれで引き返しました。

高天神城に関しては、こちら方面の史跡、城跡を訪問予定のため、2023年最初の城巡り投稿となります。

南口からの登城を予定しながら帰りました。「高天神城の戦い・・・高天神六砦」は、終了です。

今年の大河ドラマの影響で、訪問する家康関連の城跡が増えました。楽しみにしながら次の投稿へ移ります。

またご訪問お願いします・・・。

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「高天神城の戦い・・・高天神六砦」⑦城№387・・・小笠山砦

2023-07-18 22:10:58 | Weblog

能ヶ坂を北へ抜け、途中から北西方向へ進みました。しだいに山へ近づいて行き、県道249号の途中で左折して緩いカーブを進んで行くと右へ入って行く道がありました。小笠神社を指す立札もあります。そして山道を上がって行くと神社の駐車場へ到着。

調べたマップ上では、この神社の向こうが砦です。

結構高い場所です。とりあえず神社を目指します。

鳥居を抜けます。

これって近いのか?遠いのか?

神社はまだか?

かなり歩いた後、逆光で分かりづらいですけれで、急な階段が目の前に・・・。

何とか上がりました。

右に折れると、また階段でした。

途中で左へ行く道がありました。こっちが砦か?

ここは何としても神社へ。

小笠神社へ到着。膝が震え、めまいが・・・。

休憩。

西側に何か施設があります。砦方面だと思われますが・・・。

下りて行くのが精一杯でした。

先程の西側へ行く道です。

小笠山砦。ここは石川康通が管轄した様です。

ここを上がって来たのか・・・。

壁の石。

駐車場へ戻って来ました。

ここで高天神六砦を訪問終了です。

夕方になって来たので、ここから高天神へ向かい、そこから帰路へと進んで行きたいと思います。

出発!

 

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「高天神城の戦い・・・高天神六砦」⑥城№386・・・能ヶ坂砦

2023-07-17 19:24:28 | Weblog

能ヶ坂砦から坂を下りて元の道へ戻り西へ進み、県道38号へ出た所で右折して北上。そのまま進んで左に中学校、右に大東北運動場がある先の交差点に到着。

直進する道路の左手の山が砦です。とりあえずここを左折して山の裾側にある道へ入って行きました。

近くには上がって行く道もなく、山の撮影のみでした。

能ヶ坂砦。ここは本多康重が統轄していた様です。

もう少し砦らしい所へ行きたいと思い、さらに少し離れた所の登り口へ行きました。

結局逆向きの道で、上がった所は何かの畑の様でした。

車で交差点まで戻って左折し、途中で撮影、左側が砦です。

これで5番目の砦の訪問終了。

ここから北西へ進んで、今までの砦より高い山の砦へ向かいます。

出発!

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「高天神城の戦い・・・高天神六砦」⑤城№385・・・火ヶ峰砦

2023-07-15 11:16:53 | Weblog

獅子ヶ鼻砦から北西に進路をとりナビで目的地へ。

ほんの数キロ走った所で右手に小山(台地)が見えた所がまず目的地その1。

ここは入って行けるほどの情報がなく、遠望のみとなります。

火ヶ峰砦。ここも大須賀康高が統轄していたようです。

ここで終わりかと言うと、この火ヶ峰砦をマップで調べると、火ヶ峰(2)砦があり、そこへも移動しました。

最初の所からそのまま道路を進み、左へカーブした先で右折して上がって行くと、茶畑の向こうにポコッとした小山がありました。

この小山(火ヶ峰(2)砦)の周りを移動してみました。

この辺りの茶畑自体が台地にあり、写真(東側から小山を撮影しています)の左側奥が高天神城方面(西側)と思われ、この位置から見る向きを変えると、なぜ(2)があったのかが分かるような気がしました。

南東側の景色です。

最初の火ヶ峰砦の遠望を撮っていた峰の北側の端がここなのだろうと、したがって2番目の小山とは峰続きになっていたのではないかと想像するのでした。

と一人で答えを出しながら、4番目の砦訪問終了。ここからまた少し北西に移動して、次の砦を目指します。

出発!

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「高天神城の戦い・・・高天神六砦」④城№384・・・獅子ヶ鼻砦

2023-07-13 19:18:48 | Weblog

中村砦から県道69号へ出て北東へ進みました。やがて川と並行に走る所の交差点をそのまま進むと、左にグラウンドなどのスポーツ施設があり、その間の道へ左折して行くと駐車場があり、奥側に菊川市営の保養所があります。

一度そこを左折せずに一本先の道まで行って左折しました。

神社がありましたが、車を停める場所がなかったので戻って先程の駐車場へ入りました。

駐車場の東側が砦の山になるようです。看板が見えるので早速行ってみました。

絶景が見られるのか?

獅子ヶ鼻砦。ここも大須賀康高が統轄していたようです。

とりあえず小径を目指してさらに奥へ向かいました。

登山道入り口から上がって行きます。

こんな坂道チョチョイのチョイで上がれた、わけではないですが、何とかあと少しの所までやって来たようです。

頂上へやって来ました。見晴らしは良さそうです。

この砦の西側が高天神城です。

別の道もあります。

富士山はどっちだろう?

目的はそれじゃないから、そろそろ下山しよう・・・。

下りです。

ここまでで一番体力を使いました。しばらく楽したいなあ・・・。

もう一度砦の山を眺めて訪問終了。

ここが高天神城のほぼ東側。ここからまた北上して行きます。

出発!

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「高天神城の戦い・・・高天神六砦」③城№383・・・中村砦

2023-07-12 18:39:51 | Weblog

大浜公園から来た道を戻らず、北側のお寺側を下って行き、そのまま東へ向かった後、やや南下して県道69号へ出てさらに東へ進みました。

橋を二つ渡った後、少しカーブした道の先で右折して下ると神社があり、その近くに車を停めました。

神社の前に砦の標柱がありました。

中村砦。別名・中村城山砦。ここは大須賀康高が統轄したようです。

とりあえず現在地から右手の山へ向かいました、

ジグザグに上がって行く感じで、高い山ではないので楽に登城出来ました。

東側の住宅地です。

そこそこ砦の雰囲気を感じられたので戻りました。

戻った所で、神社の方を散策。

神社側は上がって行く道が見つからず、再び戻って二つ目の砦の訪問終了。

高天神城の南東側にある中村砦。次はここから北へ上がって行くことになります。

出発!

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「高天神城の戦い・・・高天神六砦」②城№382・・・三井山砦

2023-07-10 19:54:29 | Weblog

高天神城の戦いが昨日の大河ドラマで取り上げられましたが、ほんの少しで終了しました。砦のことは出て来ませんでしたが、その分このブログで取り上げていきたいと思います。

浜松市の国道一号線を走り、途中国道150号線に移って浜松、磐田、袋井の南側(太平洋側)を走って砦を目指しました。掛川市南部に入ってから、県道69号まで北上し、県道へ出てさらに東進しました。途中大坂地区で左折して山の方へ向かいました。

正面の山が砦跡でしょうか?そのまま直進しました。

信号は大浜公園入口となっています。

さらに直進。

坂道になって行きます。

上がり切ってカーブの所に調べた時に出て来た橋がありました。一度ここに停車して車を下りました。

道が下り、山へ上がって行く獣道もなく戻ることにしました。

とりあえず砦跡とはいえないので、カーブを上がって公園を目指しました。

すぐに到着。展望台もあります。車を停めて砦を目指します。

右側に砦があり、ここから行けるのか分かりませんが、とにかく行ってみました。

とにかくあの橋の方へ向かって行くつもりで進みました。

正解だったようです。あの橋でしょう。

異様に橋の向こう側が暗いです。ひょっとして別世界への入り口?少し気味が悪いです。

それでも行くしかない!意を決して進みます。

中へ入れば普通でした。先へ進みます。

到着したようです。

三井山砦。高天神六砦の一つです。調べたところ、ここは酒井重忠が統轄したそうです。

周辺を散策して戻りました。

再びあの橋へ。ここから見るとやはり別世界の入り口に思えます。

何かがついて来ないうちに退散です。

途中の下り口を使うと、橋の見える坂道の途中に下りられました。

ついでに展望台へ。

太平洋が見えます。景色は良いです。

砦の方角。

さあ、次の砦を目指します。車で山頂まで来たので、上り坂が緩く、体力を温存出来ました。

次はどんな砦かな?

出発!

 

 

 

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「高天神城の戦い・・・高天神六砦」①高天神城の戦い

2023-07-09 17:32:52 | Weblog

<高天神城の戦い>

天正2年(1574年)と天正9年(1581年)に武田勝頼と徳川家康との間で行われた、高天神城における2度の攻城戦です。

第一次高天神城の戦い・・・天正元年(1573年)武田勝頼は、高天神城攻略の足掛かりとして馬場信房を遠江に派遣して諏訪原城の築城を始める。

天正2年(1574年)5月、武田軍は小山城を経由して高天神城を攻撃。

(小山城)

高天神城は、織田・徳川陣営の援軍がなく約60日後に開城し落とされた。

 

第二次高天神城の戦い・・・天正3年(1575年)5月、長篠の戦いにおいて武田軍は織田・徳川軍に大敗し、これ以降、二俣城や犬居城で徳川勢の反攻が始まった。

(二俣城)

(犬居城)

同年8月、徳川勢に高天神城の補給路だった諏訪原城が攻撃され開城。

天正6年(1578年)徳川勢は馬伏塚城に配していた大須賀康高に命じて、新規に横須賀城を築城させ、ここを拠点に武田方の高天神城への補給輸送を妨害。高天神城の兵糧は日々乏しくなっていった。

(馬伏塚城)

(横須賀城)

天正8年(1580年)8月までに「高天神城六砦」と呼ばれる小笠山砦、能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦、中村砦、三井山砦が完成し、これらの砦に囲まれ高天神城の補給路は断たれた。

天正9年(1581年)3月、兵糧攻めを受けていた武田方の城兵が打って出て激戦後に討ち取られ、城内での掃討戦で城は陥落した。

 

今回この「高天神城の戦い」に関連した「高天神六砦」を昨年11月に訪問して来たので、次回からその砦を順に紹介して行きます・・・。

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ブレイクタイム・・・初夏からの庭の花の移り変わりと投稿予告

2023-07-08 00:24:44 | Weblog

ガーデニングのブロガーさんたちもフォローして見ていますが、皆さんしっかりとお世話しているので綺麗な花ばかりです。

かなり世話の足りない我が庭の花も懸命に花を咲かせています。せめてもと写真だけは撮っています。

5月前からバラも咲き始めていました。

去年は咲かなかった花木が花を咲かせました。ちゃんと名前があったのに、残念ながら今は名前が分かりません。

6月、多くのバラが終わり始めた頃に、隅っこのユリ園のユリが咲き始めました。

梅雨時期のアジサイ。

古株で去年から根もとの方から出始めて伸びた枝から花が咲いたツル・ブルームーン。

ユリの最後は、カサブランカ。7月になると花が少なくなって淋しくなるので、今出来る手入れをしないといけないな、そう思いながら暑さに負けて外での活動をしない私でした・・・。

 

さあ、ブログの方は、昨年11月から12月にかけての史跡巡りです。

最初は、今の大河ドラマ関連の史跡巡り、「高天神城の戦い・・・高天神六砦」からです。

少しは山を登りましたよ。

その次は、「新城・設楽へGO‼」です。

景色を楽しんだ感じのドライブでした。

さらに「雨山合戦地へ・・・」です。

ネットの地図で所在を知った史跡へ行って来ました。

そして昨年の最後は、「浜松~豊橋ドライブ」です。

近くてもなかなか行っていなかった所も含めての名勝と史跡巡りです。

同じ様なパターンですが、またご訪問お願いします・・・。

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「遠州史跡巡り⑳」古墳時代の横穴式石室

2023-07-06 19:04:07 | Weblog

春岡神社の駐車場に入る前、神社の西側の道路の先に、何やら説明板らしきものが立っていたので、神社を出た後に寄ってみました。

この道の西側は住宅が並び、道はここで行き止まりになっていました。その住宅とは道を挟んで反対側の山側に説明板がありました。

古墳時代の横穴式石室でした。

オマケでしたが、1400年くらい前の石室も見られたところで、「遠州史跡巡り」完全終了となります。

今回は、実際1日で回れたわけではありませんが、順を追って史跡、城跡を巡ることは出来たので充実した史跡巡りでした。

さあ、次回は、予告編を投稿して、昨年末の城巡りを紹介して行きますので、またご訪問お願いします・・・。

 

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