北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

フェリー乗り場 

2015-04-18 13:45:33 | 日記
青森のフェリー乗り場は、JRの青森駅から何キロくらい離れているんだろう?3km

くらいかな?(僕も3回くらい歩いた事がある、、。でも、夏ならともかく、冬だと除雪

の雪が歩道に厚く積まれていて、ラッセルしながら歩くようなものだから、小一時間は

かかるかな?おまけに気温が緩んでいたりすると、車の撥ねた泥水が飛んで来る、、。)

函館から車で青森のフェリー乗り場に着いて、いままで5人くらい若い人をJRの青森駅

まで乗せた事がある、、、。(ほとんど年末、大晦日。学生さんばかり、、。逆の、函館

のフェリー乗り場からは1回だけ、、、。兄妹の二人連れの帰省、、、。)




僕は、安いので、もっぱら青函フェリー


フェリーの場合、徒歩の乗船客は「乗船券」を下船の際に乗務員に渡さないと、途中、

津軽海峡での行方不明扱いになるので、大捜索になったりしたら大変なので、フェリー

の中で声をかけて、あくまでも陸上で乗せてあげる。もしくは、バス停も判らずウロウロ

していたら声をかける、、。(なんだか、市内バスはフェリーの時間とずれてるし、本数

も少なそうなのだ、、、。車両の船室で「乗船券」を持ったまま乗せてはダメ、、、。)


どうして弘南バスさんは、長距離バスの発着をフェリー乗り場にしないんだろう?青森駅

には30分でも1時間でも停車して構わないんだから、、、。学生さんはお金が無いの、

あっても他の事に使いたいんだってば、、、。(僕もそうだった、、、。)


でも、女子大生は、、、、困る。中には、函館のフェリー乗り場で、同級生かサークルの

の仲間なのか、男子学生5~6人から盛大な?見送りをされている場合もあったりする。

(だからと言って、特別に可愛かったり美人さんと言う訳でもないようだ、、。あくまで

も私見です、、、。おそらく、人間的に人気があるんでしょう、、、。いまの若い人は、

素直な、感じの良い人が多いから、、。ご両親から大事に育てられているからかな?)

たぶん、北大の水産学部か、北海道教育大学の函館分校なんだろうけど、、、。

(何故か、はこだて未来大学の学生さんではないような気がする、、、。彼らは生まれた

時から、飛行機に乗っているような気がする、、、。ほんとに、何故かなんですけど、、

実際、未来大の学生さんは、一度も乗せていない、、、はず、、、。)





女子大生の人は、2回乗せた、、、。明らかに、警戒されてしまう、、。フェリー乗り場

からJRの青森駅には、人気の無い海岸沿いの道路を、斜張橋のベイブリッジを渡ってい

くのだが、駅の近くの○○ホテルのある辺りにさしかかると、「どこにいくんですか!」

と言われてしまった事があった、、、。(どこに行くって、、青森駅に向かっているんだ

ってば、、、トホホ、、、。)



斜張橋は青森ベイブリッジ、フェリー乗り場は3Kmほど右手





去年は、教育大学の学生さんを乗せた。(男子) 盛岡市の南の矢巾町の出身で、千葉の方

に就職が決まったと言っていた。(最近は教育大を出ても教員にならないケースの方が多

いようだ、、、、。)矢巾町なら通り道だけど(通り道と言っても、随分と先なんだけど)

弘南バスを予約してあるからといって、青森駅で降りました。(頑張ってください、、。)


「下北半島」の記事のような事も、人を乗せたりするからある訳で、、、、こんな世の中

だけど、また乗せたりするのかな、どうしようかな、、、?



追記   実は、僕は青森のフェリー乗り場の近くの食堂「半田屋」さんで御飯を食べる

     のを、毎回、楽しみにしているのですが、人を乗せると、しばらく国道4号線

     を、お腹をすかして走らなければならないんです、、、。トホホ、、、。





















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知科学と民俗学 その2

2015-04-17 13:24:41 | 日記
林達夫さんの、柳田国男の『妹の力』について書かれた文章の、最初の部分です。

(昭和15年、戦前というか、真珠湾攻撃の1年くらい前に書かれた文章です、、、。)

  
   民俗学は譬えてみれば時偶の巣作りの季節を外にしては、いつも身を

   翼に託して定めなくあちこち飛び廻っている鳥のようなものである。

   そしてまた、この学問はその訪問者にも幾分この身軽な翼を賦与して

   くれるから、いま私が『妹の力』を読んでひどく見当違いに見える方角

   へ、すっとんで行ったとしても、それは民俗学の罪でも私の罪でもない。


いつ読んでも、この方の文章は凄いなぁー、、、。難しい日本語でもないのに、、、。

(この文章のような設計が出来たらなぁー、、、。出来そうもないけど、、、。)


林達夫さんです。






「無題」の記事の中で、


   平易な文章なのに、大事な事がちゃんと書かれいて、相手に伝わり易い

   文章、、。吉村先生の設計と同じだ、、、。同じ明治生まれの、林達夫

   さんや渡辺一夫さんの文章と似ている、、。敗戦前も敗戦後も、何も変

   わらなかった人の、だからこそ書ける、文章、、、。


と書かせていただいた文章の、ひとつの例です、、、。



認知科学も民俗学も、「翼を賦与された学問」と言う意味では、お互い似ているのかも

知れません、、、。(「イカロスの翼」になってしまってはマズイんですけど、、、。)

でも、こんな風に考えたらばどうでしょうか?残り99パーセントの蓋然性の分野の成否の

鍵を握る、1パーセントの重要な学問分野だと、、、、。



追記  よけいなお世話ですけど、認知科学を学ばれた学生さん達は、日本の大企業

    などの、研究所の研究員になるケースなども多いと思うんですけど、その企業

    などの期待する?部分と上手に噛み合うのかなぁー?日本の大企業は、そんな

    に大人だろうか、、?まだ始まったばかりなんでしょうけれど、チョッと心配

    、、、、。(本当に大きなお世話です、、、。スイマセン、、、。)


追記の追記   ところで、受験する高校生の皆さんは、はこだて未来大学などのIT系

        の大学に入ると、認知科学なる学問分野を学ぶ事になるって、判って

        いて受験するんだろうか?(始めてみたら面白いんだからいいんだろう

        けど、、、。)


追記の追記の追記  認知心理学を認知科学と書き換えました、、、。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知科学と民俗学 その1

2015-04-17 11:20:07 | 日記
またまた難しそうなタイトルで申し訳ない、、、。(門外漢がやめればいいのに、、、。

「○○○○と○○○○」のシリーズって事で、、、。でも、前の記事の「認識と蓋然」は

珍しく二項対立みたいな組み合わせのタイトルだけど、これはいつものトンチンカン?な

組み合わせ、、、。)


認知科学は英語ではcognitive scienceらしい、、、。(このcognitiveの名詞形の

cognitionと、「認識」のrecognitionはどう違うんだろう?接頭辞?のre-が付いている

か付いていないかの違いみたいだけれど、日本語だとどちらも「認識」???じゃぁ、

どうしてrecognitive science って言わないんだろう、、、?英語難しい、、、。)


ご当地、函館市のはこだて未来大学で、何年か前に「日本認知科学会」の総会?なる

ものが開かれまして、私は山本理顕さんの運転手で潜入したのであります、、。(日本中

の大学から研究者の方が来られていて、甲南大学の熱心な先生や学生さん達、中部大学の

ご夫妻、中にはアメリカのプリンストン大学から来られた、なかなかチャーミングな女性

研究者の方もおられました。〔日本人の女性研究者の方です。念の為。〕会の終了後、

大学の前庭?で会食があったのですが、私は運転手なのでアルコールは飲めません。)


無償で配布された結構な厚手の会報?に目を通しましたら、この認知科学と言う新しい

学問分野(もうそんなには新しくもないのかな?)は、とても間口の広い学問なんですね。

(もしかしたら「なんでもありなの?」ってくらい間口が広いんです、、、。)

「幼児教育」から「料理のレシピ」、「音の伝達」から「タッチパネルの使い勝手」、

「市バスの運行システム」から「人間の体と運動機能」、とにかく何でもありなんです。

(あっちこっちで、「発話」?と言う聞き慣れない日本語が出てきたので???でしたけ

ど、、、。英語で言うとutterance? なんだろうutteranceって、、、?)

これだけ間口が広いと、学生さんの指導をする教官の方も大変ではないでしょうか?

(学生さん達がどんな研究を始めて、どんな論文を提出するか想像もつかない、、。教官

の方が、子供好きで料理は大得意、運動は万能で音楽は何でもござれ、とは限らないは

ずなのであって、、、。)


追記  この認知科学ではコンピューターが大車輪の大活躍をするのです、、、。




      またまた長くなりましたので、認知科学と民俗学 その2 に続きます。




 



    



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認識と蓋然 その2

2015-04-16 14:30:45 | 日記
吉村先生は、中谷宇吉郎博士の雪の結晶の話にふれて、設計の最初のヒントなりアイデア

は、空中の塵かゴミに雪の結晶が生成し始めるような感じ、とおっしゃっていたと思いま

すし、村野藤吾さんは、自分が設計に関与して、「村野だから、こう設計した。」と言う

のは、「100パーセントの中の1パーセントくらい」と、やはり、おっしゃっていたと

思います。(お二人とも、なんて謙遜なさっているんでしょう!!!)


「建築教育」の記事の中で


  大勝などしなくて良いのです、半目勝ちは素人には難しくて(素人で半目勝ちは、

  ほとんどの場合、ただの偶然でしかないかも、、、)、100点満点ではなくて、51点

  とか52点でも、上出来という感覚を身につけて欲しい。建築の設計でも、敷地とか

  予算とか工期とか、その時代の職人さんの腕とか、いろいろな技術や材料など

  「相手のある事」なのです。


と書きましたが、この「51点とか52点」は「49.5点とか50.5点」と変えても良いくらい

で、「相手のある事」ですから、設計は、この1点の間で苦労している感じなんです。

(50.0点以下は逆に、建築の場合はマイナスで、これは避けなければなりません、、。

つまり、スイートスポットは50.0点から50.4点で、50.5点は100点満点だから、これは

あり得ない、、、。)


私が建て主さんに、「設計で50.4点なら上出来なんです。」なんて説明したりすると、

「こんな設計士に設計されてしまうのは冗談じゃない」みたいな顔をされて、やっぱり、

商売にならないんです、、、。


住宅会社やハウスメーカーの宣伝に、「理想の間取り」とか「自由設計」などと書かれて

いる事がありますが、あれ、やめてほしいんです。玄関があるだけで「理想の間取り」に

なんてならないんです。(ならないから工夫するんです、、、。そんなものがあるのなら

誰も苦労しません。初期の篠原一男さんの住宅じゃないんだから、、、。)「自由設計」

って、そんなもの、最初から自由な訳ないじゃないですか、、、、。「相手のある事」

なんですってば、、、、。(スーパーで商品をカートの中に放り込むのとは違うんです。

どうも、売る方はクルマのように住宅を売りたいようだし、買う方もクルマのように住宅

を買いたいようで、、、どっちもどっちと言うところなんでしょうか、、、?)



原発の話でも、「想定外」とかって「認識」の話しないで、「熱くなれば融ける」「融け

ればこうなる、、」って、「蓋然性」の話して下さい、、、。(50.0点以上の原発を作る

のって、処理のことも含めて相当難しそう、、。私も、設計士のはしくれなので、、。)


それにしても最近は、「ここは、こだわりたい。」とか「これは、はずせない。」とか、

変な世の中になってきましたねぇー、、、、。



追記  実は「樹木」と言うのは、もっとも安定した、美しい、汎用性のある、安全な、

    いろんな意味でバランスのとれた、エネルギーの保存方法の一つの形なんですね

    、、、。人間の知恵なんて、まず、神様の知恵には、敵いそうにありません。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認識と蓋然 その1

2015-04-16 11:17:21 | 日記
なんか、凄く難しそうなタイトルだ、、。(大丈夫か知らん、、、?だけど書いてみよう

、、、。「○○○○と○○○○」のシリーズって事で、、、。)

「認識」はいいとして、「蓋然(がいぜん)」は「認識」の反対語らしい、、、。

「蓋」は「けだし」で、「然」は「しかり」かな?(なにかの漢文?)

英語にすると、「認識」はrecognitionで、「蓋然」はprobabilityでいいのかな?

「認識」の方は、このごろの「釈明会見」?などで、「認識していませんでした、、。」

などと使われたりするようですが、「蓋然」の方は、あまり「話し言葉」として使われる

事は少ないようです、、、。(あまり馴染みもないだろうし、そもそも釈明にはそぐわな

いのかも、、、。「そんなの当たり前だろう!」と開き直られても困りますよね、、。)

「蓋然」の方は、「物事の道理で行けば、こうなれば最後はこうなりますよねっ!」くら

いの意味でしょうか?(もしくは、そうなる可能性が非常に高いとか、、、。)

ところが、「認識」の方は説明しようとすると、これが案外むずかしい、、、。(普段、

聞き慣れている言葉のはずなのに、、、。)「認める事」「気付く事」「理解する事」と

言われても、「なんのこっちゃ?」ですよね、、、。

でも、「認識」を「私の気持ち」「僕の気持ち」って読み替えたらどうでしょうか?

「私は○○は嫌なの!」「私は○○したかったの!」「私は判らなかったの!」つまり、

全部「私は、、」なのですが、これって「『だいふみ』さん」の記事で言うと「天動説」

の人って事になると思うんですけど、どうやら

    
      認識の人=天動説の人

      蓋然の人=地動説の人


って事にはならないでしょうか?(相変わらず乱暴でスイマセン、、、。でも、凄い大工

さんって、もの凄く頭がいいんです、、、。「世界の中心で何とかを叫ぶ」とか言うタイ

トルの本が随分と売れたようですけど、、、?? 読んでないけど、、、タイトルだけで

読む気がしない、、、。著者の方、スイマセン、、、。)

「大奥」の記事の「追記の追記の追記」に


  「でも、設計って、こう言う地道な思考、作業の積み重ねなんです、、。」


と書いた「積み重ね」って、「蓋然性の積み重ね」かも知れないんです、、、。

多分、おそらく、設計と言う作業の99パーセントは、この「蓋然性の積み重ね」で、

残りの1パーセントが、「あーしたい」「こーしたい」の認識の部分かな?と感じていま

す、、、。(人によって、このパーセントの割合は違うでしょうけど、、、。)

じゃ、残り1パーセントだから、「認識」はどうでもいいかと言うと、そうではなくて、

逆に凄く大事なんです、、、。

せっかくコツコツ設計して、最後の最後の「色決め」で失敗すると、全てが台無しになる

事があります。「色」の場合は、大部分が経験と感覚の問題でしょうから、(とは言いな

がら、それはそれで色々な考え方も問題もあるのでしょうが、、、、) 労力とか作業と

言う意味では、それほどの比重ではないのかも知れませんが、出来上がりに及ぼす影響は

決定的なような気がします、、、。(「色」と言っても「色即是空」じゃありませんけど

この世の形あるものは全て「色」がある訳で、「色」を決めると言う事は、材質もなにも

全てを決める事になってしまうんですけど、、、。最近は工業製品の製品番号だったり、

日本塗料工業会の塗料番号だったりして、「何だかなー?」なんですけど、、、。)



           長くなったので、 認識と蓋然 その2 につづきます、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする