7月16日(金)
4日に三千院に行った時に、参道にある看板の写真を撮っておいて
後で調べようと思っていて、すっかり忘れていた。
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鉈捨藪跡(なたすてやぶあと)
熊谷と言う字が石柱に掘られていて気になって看板を読むと・・・・
看板
三千院の門を背にして右手に20M位のところにある。
熊谷・腰掛石
鉈捨藪跡
文治2(1186)年の大原寺勝林院での法然上人の大原問答の折に、
その弟子の熊谷直実(蓮生坊)は、
「師の法然上人が論議にもし敗れたならば法敵を討たん。」との目的で
袖に鉈を持っておりましたが、上人に諭されて鉈を藪に投げ捨てたと伝えられています。
なお、勝林院は橋を渡り50メートル先です。
京都大原里づくり協会(現地案内板より)いにしえの時代に地元出身?の”直実”の由来
のことが大原里づくり協会の人々によって調べられて残されているのは
なんとなく嬉しいものだ!
勝林寺は入り口まで行って、時間切れで取りやめた。
今度、秋に行った時には立ち寄りたい。
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しば漬けの事
宣伝文句を調べてみたら・・以下
茄子・紫蘇に手塩を振り、樽の中で長期熟成させた自然乳酸発酵の京漬物。
赤紫蘇の香りと乳酸菌による酸味が特徴で「すぐき」、「千枚漬」
と並び、京都の 三大漬物のひとつに称されています。
大原の里が「しば漬」の産地として名高いのは、大原盆地の昼夜の寒暖の差が大きく
香り豊かな良質の「紫蘇」を収穫出来ることが、しば漬造りにおいて欠かせない条件で
あることがあげられます。
しば漬造りは紫蘇造り、志ば久ではこのように考えています。 志ば久で使用する紫蘇は、すべて自家栽培。 古くから伝わる紫蘇の種子を絶やすことなく今に伝え、
しば漬造りの第一歩として 柔らかくて香り高い紫蘇を育てるよう努めております。
志ば久では古くからの伝統製法を守り、いまもなお手造りにこだわり毎年漬け込みを行なっています。また、おもてなしの心を忘れることなく、また多くの方に召し上がっていただきたいという“こころざし”から、当店ではしば漬を「志ば漬」 と呼んでおります。
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この中で又”すぐき”が・・?わからない?
すぐきは、漬物のひとつ。カブの変種である
酸茎菜(すぐきな、すぐきかぶらともいう)を原材料とする、
現代の日本では数の少ない乳酸発酵漬物である。
まったく味付けをしない調味なしの日本唯一の自然漬物といわれている。
京都の伝統的な漬物であり、「柴漬」、「千枚漬」と並んで京都の三大漬物と言われている。
酸茎菜は、京都市北区の賀茂別雷神社(上賀茂神社)で栽培したのが発祥とされている。
しかしその歴史についてはいまだに定かにはなっていない。
約300余年前の「日次紀事」(1667年)への記載をはじめ、
数々の本草書、詩文などにその名前が載っている。
明治の時代になりその栽培が一般農家にも広がり、販売されるようになった。
古来、酸茎菜の栽培と生産は、東西を賀茂川と高野川にはさまれた三角州の中で、
北端を深泥池とする地区に限られ、ここで生育されたものだけが「すぐき」と
名が付けられる。
酸茎菜の種蒔きは8月末に行われ11月下旬ごろに収穫される。
収穫した後、皮を剥き下漬をした後本漬を行う。
本漬時の重石のかけ方は、独特の「天秤押し」というやり方で、
長さ4~5mほどの丸太棒の一方を固定させ、
もう一方の先に重石を下げて樽のフタを押さえる、
「テコの原理」を利用した方法で行う。
数日の本漬の後室に入れ加熱し発酵をさせる。
収穫してから約一月程度の期間で乳酸発酵したあめ色のすぐきが完成する。
酸茎菜の収穫は年明けまで続き、2月末ごろにはその年の漬け込みは終了する。
冬に息の見える頃が、最もおいしい期間である旬の京つけものの一つである。
発祥の頃は、時候熟れ(じこうなれ)の技法を用いられていた。
時候熟れとは、収穫して本漬したすぐきを家の軒下に置き、
自然の気温で発酵させる技法である。
この時候熟れの技法で生産すると、すぐきの食べごろは春から初夏になる。
現在は雑菌の繁殖や気温の変化によりこの漬け方をすることはほぼない。
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色々あるなあ!私はこれは食べたことが無い。
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次の看板は
三千院を流れる小川はそれぞれ
「呂川」「津川」と呼ばれますが
「呂」も「津」も音楽の調子をあらわすものとされ
「ろれつがまわらない」という言葉の「ろれつ」は
「ろ・れつ」からきているとされています
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う~ん「知らないことが多いなあ~!
4日に三千院に行った時に、参道にある看板の写真を撮っておいて
後で調べようと思っていて、すっかり忘れていた。
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鉈捨藪跡(なたすてやぶあと)
熊谷と言う字が石柱に掘られていて気になって看板を読むと・・・・
看板
三千院の門を背にして右手に20M位のところにある。
熊谷・腰掛石
鉈捨藪跡
文治2(1186)年の大原寺勝林院での法然上人の大原問答の折に、
その弟子の熊谷直実(蓮生坊)は、
「師の法然上人が論議にもし敗れたならば法敵を討たん。」との目的で
袖に鉈を持っておりましたが、上人に諭されて鉈を藪に投げ捨てたと伝えられています。
なお、勝林院は橋を渡り50メートル先です。
京都大原里づくり協会(現地案内板より)いにしえの時代に地元出身?の”直実”の由来
のことが大原里づくり協会の人々によって調べられて残されているのは
なんとなく嬉しいものだ!
勝林寺は入り口まで行って、時間切れで取りやめた。
今度、秋に行った時には立ち寄りたい。
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しば漬けの事
宣伝文句を調べてみたら・・以下
茄子・紫蘇に手塩を振り、樽の中で長期熟成させた自然乳酸発酵の京漬物。
赤紫蘇の香りと乳酸菌による酸味が特徴で「すぐき」、「千枚漬」
と並び、京都の 三大漬物のひとつに称されています。
大原の里が「しば漬」の産地として名高いのは、大原盆地の昼夜の寒暖の差が大きく
香り豊かな良質の「紫蘇」を収穫出来ることが、しば漬造りにおいて欠かせない条件で
あることがあげられます。
しば漬造りは紫蘇造り、志ば久ではこのように考えています。 志ば久で使用する紫蘇は、すべて自家栽培。 古くから伝わる紫蘇の種子を絶やすことなく今に伝え、
しば漬造りの第一歩として 柔らかくて香り高い紫蘇を育てるよう努めております。
志ば久では古くからの伝統製法を守り、いまもなお手造りにこだわり毎年漬け込みを行なっています。また、おもてなしの心を忘れることなく、また多くの方に召し上がっていただきたいという“こころざし”から、当店ではしば漬を「志ば漬」 と呼んでおります。
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この中で又”すぐき”が・・?わからない?
すぐきは、漬物のひとつ。カブの変種である
酸茎菜(すぐきな、すぐきかぶらともいう)を原材料とする、
現代の日本では数の少ない乳酸発酵漬物である。
まったく味付けをしない調味なしの日本唯一の自然漬物といわれている。
京都の伝統的な漬物であり、「柴漬」、「千枚漬」と並んで京都の三大漬物と言われている。
酸茎菜は、京都市北区の賀茂別雷神社(上賀茂神社)で栽培したのが発祥とされている。
しかしその歴史についてはいまだに定かにはなっていない。
約300余年前の「日次紀事」(1667年)への記載をはじめ、
数々の本草書、詩文などにその名前が載っている。
明治の時代になりその栽培が一般農家にも広がり、販売されるようになった。
古来、酸茎菜の栽培と生産は、東西を賀茂川と高野川にはさまれた三角州の中で、
北端を深泥池とする地区に限られ、ここで生育されたものだけが「すぐき」と
名が付けられる。
酸茎菜の種蒔きは8月末に行われ11月下旬ごろに収穫される。
収穫した後、皮を剥き下漬をした後本漬を行う。
本漬時の重石のかけ方は、独特の「天秤押し」というやり方で、
長さ4~5mほどの丸太棒の一方を固定させ、
もう一方の先に重石を下げて樽のフタを押さえる、
「テコの原理」を利用した方法で行う。
数日の本漬の後室に入れ加熱し発酵をさせる。
収穫してから約一月程度の期間で乳酸発酵したあめ色のすぐきが完成する。
酸茎菜の収穫は年明けまで続き、2月末ごろにはその年の漬け込みは終了する。
冬に息の見える頃が、最もおいしい期間である旬の京つけものの一つである。
発祥の頃は、時候熟れ(じこうなれ)の技法を用いられていた。
時候熟れとは、収穫して本漬したすぐきを家の軒下に置き、
自然の気温で発酵させる技法である。
この時候熟れの技法で生産すると、すぐきの食べごろは春から初夏になる。
現在は雑菌の繁殖や気温の変化によりこの漬け方をすることはほぼない。
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色々あるなあ!私はこれは食べたことが無い。
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次の看板は
三千院を流れる小川はそれぞれ
「呂川」「津川」と呼ばれますが
「呂」も「津」も音楽の調子をあらわすものとされ
「ろれつがまわらない」という言葉の「ろれつ」は
「ろ・れつ」からきているとされています
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う~ん「知らないことが多いなあ~!