「ロシアSF小特集」と言いましても、ぼくはSFに詳しくないので、論述できません。じゃあなんで特集!?と思われるでしょうが、実は今月の『S-Fマガジン』の小特集が、ロシアSFなのでした。それの紹介。したがって、間接的なロシアSFの紹介ですね。
掲載されていた小説はたった2作。
一つ目がオレグ・オフチンニコフ「クリエイター」(合田直美訳)。
二つ目がアンドレイ・サロマトフ「祝宴」(宮風耕治訳)。
まず「クリエイター」についてですが、これは正直おもしろくありませんでした。最初は内容がつかめずまごつきましたが、後から主人公の置かれた状況が明らかになってくる、というパターン。アパートの一室で、どうやら主人公オレグはコピーライターのような仕事をしているらしい。そして、その報酬はクスリだ。どうしようもないクズのような人間を集めて働かせる、という政府の方針の下にオレグも何とか仕事をこなしているようですが、しかし彼は迷います。彼はかつて詩を書いていたことを実は誇りに思っていたから。
SFというよりは、一種のディストピア小説だとみなせそうです。しかも、クスリという現代ロシアの負の側面を投影した未来小説。…う~む、ありがちすぎる…。麻薬の問題っていうのは、いまやロシアでは「新しい伝統」とでも呼べるジャンルに育っている気がします。アイトマートフが『処刑台』を書いた頃は斬新なテーマだったかもしれませんが、今更…。麻薬小説のパロディになっているとも思えないし、この小説からそこはかとなく嗅ぎ取れる仄かなセンチメンタリズムも感動できるていのものではりません。2006年に書かれた作品で、作者のオフチンニコフは現代ロシアのSFを代表する作家とのことですが、作品の選定を誤ったのでは?
一方、「祝宴」はなかなかおもしろかったです。こちらは1988年に書かれたもの。主人公ウルーソフは「祝宴」を開きますが、その出席者というのは人間ではなく、全て「空気人形」だった。彼の恋人のオリガもやはり空気で膨らませてやる人形で、祝宴が終われば人の形を失ってしまいます。滑稽さと感傷とが絶妙に入り交じった佳品でしょう。ただ、こういう設定は日本の漫画などでありがち、のような気がします(漫画はよく知らないので分かりませんが)。今度、『空気人形』という映画が公開されるみたいですが、それもやはり息を吹き込んで人間になる人形の話、みたいです。まあよくある設定なんでしょうね。要の部分は人形が感情を持ったら、という極めて古典的な仮定を出発点にすえていますから。ただ、「祝宴」がそういったものから差異化を図っているとしたら、それはたぶん多くの作品が切なさや恐怖をテーマにするだろうところを、コメディを主眼にしている点です。また、(たぶん)未来のありふれた情景を切り取ったもの、というふうに小説は提示されており、意図的に驚異の感覚は取り除かれています。そのせいで、日常的なちょっとふざけたパーティの描写が小説の主なプロットとなっており、それがかえって奇妙な味を生んでいます。そこに恋人との切ない関係を忍ばせるのは、蛇足というよりは作者の細やかな感受性かあるいは熟達した技法によるものでしょう。
二つの作品ともにいわゆるSFという感じがしなくて、SFが苦手なぼくでも問題なく読み進めることができました。ちなみに、最後に宮風氏によりロシアSFの現状が紹介されています。興味のある方は必読。
掲載されていた小説はたった2作。
一つ目がオレグ・オフチンニコフ「クリエイター」(合田直美訳)。
二つ目がアンドレイ・サロマトフ「祝宴」(宮風耕治訳)。
まず「クリエイター」についてですが、これは正直おもしろくありませんでした。最初は内容がつかめずまごつきましたが、後から主人公の置かれた状況が明らかになってくる、というパターン。アパートの一室で、どうやら主人公オレグはコピーライターのような仕事をしているらしい。そして、その報酬はクスリだ。どうしようもないクズのような人間を集めて働かせる、という政府の方針の下にオレグも何とか仕事をこなしているようですが、しかし彼は迷います。彼はかつて詩を書いていたことを実は誇りに思っていたから。
SFというよりは、一種のディストピア小説だとみなせそうです。しかも、クスリという現代ロシアの負の側面を投影した未来小説。…う~む、ありがちすぎる…。麻薬の問題っていうのは、いまやロシアでは「新しい伝統」とでも呼べるジャンルに育っている気がします。アイトマートフが『処刑台』を書いた頃は斬新なテーマだったかもしれませんが、今更…。麻薬小説のパロディになっているとも思えないし、この小説からそこはかとなく嗅ぎ取れる仄かなセンチメンタリズムも感動できるていのものではりません。2006年に書かれた作品で、作者のオフチンニコフは現代ロシアのSFを代表する作家とのことですが、作品の選定を誤ったのでは?
一方、「祝宴」はなかなかおもしろかったです。こちらは1988年に書かれたもの。主人公ウルーソフは「祝宴」を開きますが、その出席者というのは人間ではなく、全て「空気人形」だった。彼の恋人のオリガもやはり空気で膨らませてやる人形で、祝宴が終われば人の形を失ってしまいます。滑稽さと感傷とが絶妙に入り交じった佳品でしょう。ただ、こういう設定は日本の漫画などでありがち、のような気がします(漫画はよく知らないので分かりませんが)。今度、『空気人形』という映画が公開されるみたいですが、それもやはり息を吹き込んで人間になる人形の話、みたいです。まあよくある設定なんでしょうね。要の部分は人形が感情を持ったら、という極めて古典的な仮定を出発点にすえていますから。ただ、「祝宴」がそういったものから差異化を図っているとしたら、それはたぶん多くの作品が切なさや恐怖をテーマにするだろうところを、コメディを主眼にしている点です。また、(たぶん)未来のありふれた情景を切り取ったもの、というふうに小説は提示されており、意図的に驚異の感覚は取り除かれています。そのせいで、日常的なちょっとふざけたパーティの描写が小説の主なプロットとなっており、それがかえって奇妙な味を生んでいます。そこに恋人との切ない関係を忍ばせるのは、蛇足というよりは作者の細やかな感受性かあるいは熟達した技法によるものでしょう。
二つの作品ともにいわゆるSFという感じがしなくて、SFが苦手なぼくでも問題なく読み進めることができました。ちなみに、最後に宮風氏によりロシアSFの現状が紹介されています。興味のある方は必読。