Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

世界を視る目線

2009-09-27 01:44:45 | Weblog
朝日新聞の記者が添削係を務めているというエントリーシートの書き方講座みたいなもののチラシがポストに入っていました。たしか先週も入れられていたのですが、そのチラシには、どのように添削されているのか、という具体例が出ています。それがなんともおぞましい(!)とさえ言える内容で、未だに憤慨が収まりません。唖然・呆然・憤然です。

色々と文句はあるのですが、全部並べ立てていても仕方ないので、一つだけ。
学生時代にがんばったこととして、学生は飲食店でのアルバイト経験を挙げていました。そこには、どのように自分が仕事を覚え、先輩から認められるようになったのかが、具体的に記述されていました。

それに対し、朝日のベテラン記者だというその添削係は、次のようにコメントしていました。学生は人生経験がないからか多くの人がアルバイト、サークル、部活について書く。それは没個性的だ。驚くような内容ならまだしも、飲食店など論外だ、と。

人には様々な考え方がありますから、この記者の理屈を完全に否定するべきではないかもしれません。それに、一理あるのも確かです。しかし、学生のエントリーシートの場合においては、こういう考え方は明らかな間違いだと言いたい。この記者は、学生には人生経験がないと言いながら、しかし人が驚くような体験の記述を求めています。これは矛盾しています。そうではなく、ありふれた経験の中にも、自分なりの発見や工夫をした経験を述べればいいのです。アフリカでボランティア活動をずっとしてました、なんて学生はそうはいませんよ。皆、大したことはしていないのです。せいぜいサークルを立ちあげたり、間伐ボランティアをしたり、その程度ですよ(ぼくのことですが)。

飲食店での仕事は没個性的で、論外だ、という記者の認識は間違っています。というか、失礼でしょう。いったい、実際に仕事している人たちのことを考えて書いたのでしょうか。この人は新聞社で何を取材してきたのでしょう。

どんな仕事であっても、それを自分なりに独自のものとして捉える努力こそが讃えられるべきです。この記者は、たぶん異化という言葉を知らないし、その概念も知らないのでしょう。日常的なものを、異質なもの、初めて見るものとして眺めること。それがこの変わり映えしない世界を輝かせる一つの手段です。学生はそのことを弁えていたのに、記者には想像すらできなかった。どっちが先生だか分かりません。

新聞というのは、非日常的なことを書くことが多いですから、そういう考えにすっかり染まってしまっていたのかもしれません。ありふれたものなどに価値はないのだ、と。でも、世界というのは99%はこれまでの反復から成り立っている、ありきたりなものです。そこにいかに差異をもちこむか、その方法の一つが異化という思考法です。

この記者は、子どもの目線(それは異化という目線でもある)を忘れてしまった、つまらない大人なんですね。たぶん多くの大人はそうなんでしょう。宮崎駿の言う「イバラード目」とか、新海誠の目線とか、そういう世界を輝かせる目線の持ち主とは対極にあります。ぼくはなるべく新海誠寄りにいよう、と自戒を込めて改めて誓うのでした。