時間がないのです。
今日は手短に。
久々にアニメーションの記事。ここのところ、書きたくてうずうずしていました。
いま、下北沢のトリウッドで、毎年恒例のカナダ・アニメーション・フェスティバルが開催されています。10月16日まで。ちなみに京都国際マンガミュージアムでも開催されています。が、こちらは今月27日まで。
プログラムAの作品は、半分くらいは観ているのですが、最後の「ある一日のはじまり」が観たくてこのプログラムも視聴。6年間くらいずーっと観たかった作品です。
とてもよかった。ロシアの作家ハルムスの短編で「あるよく晴れた一日のはじまり」という作品があるのですが、ある点でそれとも似ている。もちろん題名だけではありません。断片性ないし平行性という点で、似ているのです。アニメーションの方は、ある程度の主要なストーリーがあり、それが意外な方向へと進んでゆくのですが、その一方で、それ以外の数々のストーリーラインも共存しており、それら複数のストーリーが薄い関係性を保っています。それに対しハルムスの作品では、主要なストーリーというものは初めから存在しません。ある朝の断片的な出来事が並置されるのみです。しかし、そこにさえ僅かながらの関係性が潜んでいます。ハルムスのこうしたモンタージュ性は当時の映画との関係が指摘されていますが(ヤンポリスキー)、アニメーションで似たような題材(そして似たような名前の作品)が制作されている、ということはハルムス研究者の間ではたぶんほとんど知られていなかったと思います。実に興味深い事実です。「ある一日のはじまり」と名付けた時点で、その作品の大体の方向性は定まっていたと考えられますが、作家のもともとの志向性がそういう題材を選ばせたのか、それともその題材がそういう方向性を備えていたのか。たぶんハルムスの場合は前者だと思いますが、アニメーションの方はどっちだったのでしょう。解説などを読むと、やはり前者であったような気がしてなりません。
接写してゆく表現方法なども興味深かったです。
ただ、もう時間がありません。もっと書きたいことはあるのに…
今日は手短に。
久々にアニメーションの記事。ここのところ、書きたくてうずうずしていました。
いま、下北沢のトリウッドで、毎年恒例のカナダ・アニメーション・フェスティバルが開催されています。10月16日まで。ちなみに京都国際マンガミュージアムでも開催されています。が、こちらは今月27日まで。
プログラムAの作品は、半分くらいは観ているのですが、最後の「ある一日のはじまり」が観たくてこのプログラムも視聴。6年間くらいずーっと観たかった作品です。
とてもよかった。ロシアの作家ハルムスの短編で「あるよく晴れた一日のはじまり」という作品があるのですが、ある点でそれとも似ている。もちろん題名だけではありません。断片性ないし平行性という点で、似ているのです。アニメーションの方は、ある程度の主要なストーリーがあり、それが意外な方向へと進んでゆくのですが、その一方で、それ以外の数々のストーリーラインも共存しており、それら複数のストーリーが薄い関係性を保っています。それに対しハルムスの作品では、主要なストーリーというものは初めから存在しません。ある朝の断片的な出来事が並置されるのみです。しかし、そこにさえ僅かながらの関係性が潜んでいます。ハルムスのこうしたモンタージュ性は当時の映画との関係が指摘されていますが(ヤンポリスキー)、アニメーションで似たような題材(そして似たような名前の作品)が制作されている、ということはハルムス研究者の間ではたぶんほとんど知られていなかったと思います。実に興味深い事実です。「ある一日のはじまり」と名付けた時点で、その作品の大体の方向性は定まっていたと考えられますが、作家のもともとの志向性がそういう題材を選ばせたのか、それともその題材がそういう方向性を備えていたのか。たぶんハルムスの場合は前者だと思いますが、アニメーションの方はどっちだったのでしょう。解説などを読むと、やはり前者であったような気がしてなりません。
接写してゆく表現方法なども興味深かったです。
ただ、もう時間がありません。もっと書きたいことはあるのに…