![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/53/b848634c348532b95fab920e23c036c2.jpg)
いちご大福は お店によってかなり味が違う。
これは、あの養護教諭が 買いに行ったら売り切れで、
予約して翌日ようやく手に入れてくれたもの。
いちごの酸味と甘みを邪魔しない絶妙な味のこし餡が、
うっすらといちごを包み、ジューシー。
いちごの美味しさがそのままわかる。
*********************************
『「ジンジャの娘」頑張る!――美人神主の愛宕山だより』
(松岡里枝著、原書房、2004.3.30、1400円)
という本がある。
東京は港区、こんなところにマンションを持ってる、
なんて、嘘をついてみたいようなところに、
家康の命で防火防災の神を祭る神社として作られた、
愛宕神社の権禰宜(ごんねぎ)の女性が書いた本。
権禰宜というのは よくわからないけど、
‘権’というのは 「ごん」と読む。
だから権力の‘権(けん)’ではなく、
権僧正(ごんそうじょう)と同じく、
「仮の」という意味じゃないだろうか。
著者は神道学科を卒業、
広告代理店で2年間の社会勉強を修了し、
両親・妹と共に 創建400年の神社を切り盛りする、
働き盛り(?)の若奥様。
なんと、バーチャル参拝の発端、
寺社のホームページの草分け的存在が
このムスメだった。
http://www.asahi-net.or.jp/~GX8R-MTOK/
ところどころに絵文字、顔文字が見られ、
自分と妹とを「ゴンネギ・しすたーず」と呼び、
神社の世界を「ギョーカイ」と呼び、
いまどき!?と思うほど
何ごとも手仕事に頼る神社の仕事を、
「マニュファクチュア(家内制手工業)」と呼ぶ。
その斬新で正直な感覚がユニークで、
そして「お寺とおんなじジャン!」とも思い、
とても面白く読んだ。
読んだ後、
こんな感覚を一緒にしゃべってわかってもらえる、
姉に電話した。
「ねえ、おねえちゃん、惜しかったよねえ。
もう少し若けりゃ、私たちも
<お寺の美人姉妹>で売り出したのにねえ。」
私の実家では 以前 父がそうしていたように、
たぶん今では義兄が 一人寂しく 夜なべ仕事で
マニュファクチュアぶりを発揮しているはず。
お寺の子として生まれて、
損したことも得した事も 多分いっぱいあるだろう。
仏教学部に入った私は 今では得した事しか思いつかない。
そんな中、ただひとつ、困った、と思ったことがあった。
姉が三度、私は二度の 出産の時だ。
実家では 安産のお守りをお渡ししている。
(その時、出産する人の数え年を聞いて、
<帳面:ちょうめん、死語?>に書き入れる。)
そのお寺のムスメが、安産とまでいかなくとも、
難産で苦しんだとか、言えないではないか。
これは、ちょっとした プレッシャーだった。
そう言うと姉は
「あんたも? アハハ、そうだよねー。」
と言っていたっけ。
「お寺」でも「神社」でもギョーカイのムスメは
多少は同じようなプレッシャーを
きっと皆さん感じている?
この本を読む前の2004年3月。
お彼岸に姉から電話があった。
「あんたぁ。あたしのムスメは、偉いどぉ。」
「なんで?」
「・・・彼岸の中日に子ども、生んだぁ。」
「あはははは」
「あははは」
姉夫婦の初孫は 女の子。
結婚式から一年と少し、
姉の予言(?)通り、
お彼岸の中日に合わせて 生まれてきた。
安産だった。
これは、あの養護教諭が 買いに行ったら売り切れで、
予約して翌日ようやく手に入れてくれたもの。
いちごの酸味と甘みを邪魔しない絶妙な味のこし餡が、
うっすらといちごを包み、ジューシー。
いちごの美味しさがそのままわかる。
*********************************
『「ジンジャの娘」頑張る!――美人神主の愛宕山だより』
(松岡里枝著、原書房、2004.3.30、1400円)
という本がある。
東京は港区、こんなところにマンションを持ってる、
なんて、嘘をついてみたいようなところに、
家康の命で防火防災の神を祭る神社として作られた、
愛宕神社の権禰宜(ごんねぎ)の女性が書いた本。
権禰宜というのは よくわからないけど、
‘権’というのは 「ごん」と読む。
だから権力の‘権(けん)’ではなく、
権僧正(ごんそうじょう)と同じく、
「仮の」という意味じゃないだろうか。
著者は神道学科を卒業、
広告代理店で2年間の社会勉強を修了し、
両親・妹と共に 創建400年の神社を切り盛りする、
働き盛り(?)の若奥様。
なんと、バーチャル参拝の発端、
寺社のホームページの草分け的存在が
このムスメだった。
http://www.asahi-net.or.jp/~GX8R-MTOK/
ところどころに絵文字、顔文字が見られ、
自分と妹とを「ゴンネギ・しすたーず」と呼び、
神社の世界を「ギョーカイ」と呼び、
いまどき!?と思うほど
何ごとも手仕事に頼る神社の仕事を、
「マニュファクチュア(家内制手工業)」と呼ぶ。
その斬新で正直な感覚がユニークで、
そして「お寺とおんなじジャン!」とも思い、
とても面白く読んだ。
読んだ後、
こんな感覚を一緒にしゃべってわかってもらえる、
姉に電話した。
「ねえ、おねえちゃん、惜しかったよねえ。
もう少し若けりゃ、私たちも
<お寺の美人姉妹>で売り出したのにねえ。」
私の実家では 以前 父がそうしていたように、
たぶん今では義兄が 一人寂しく 夜なべ仕事で
マニュファクチュアぶりを発揮しているはず。
お寺の子として生まれて、
損したことも得した事も 多分いっぱいあるだろう。
仏教学部に入った私は 今では得した事しか思いつかない。
そんな中、ただひとつ、困った、と思ったことがあった。
姉が三度、私は二度の 出産の時だ。
実家では 安産のお守りをお渡ししている。
(その時、出産する人の数え年を聞いて、
<帳面:ちょうめん、死語?>に書き入れる。)
そのお寺のムスメが、安産とまでいかなくとも、
難産で苦しんだとか、言えないではないか。
これは、ちょっとした プレッシャーだった。
そう言うと姉は
「あんたも? アハハ、そうだよねー。」
と言っていたっけ。
「お寺」でも「神社」でもギョーカイのムスメは
多少は同じようなプレッシャーを
きっと皆さん感じている?
この本を読む前の2004年3月。
お彼岸に姉から電話があった。
「あんたぁ。あたしのムスメは、偉いどぉ。」
「なんで?」
「・・・彼岸の中日に子ども、生んだぁ。」
「あはははは」
「あははは」
姉夫婦の初孫は 女の子。
結婚式から一年と少し、
姉の予言(?)通り、
お彼岸の中日に合わせて 生まれてきた。
安産だった。
うーんでもどうなんだろう。本人が気にするほど、まわりは考えていないかも。
うわさをしても、それはたぶんに話のネタとしてかな。
こちらが先にと思ってはいたんですが私のほうこそ覚えていただいてうれしいです。ぼちぼちですがこれからも宜しくおねがいします。「頑張ってるな 」と感心してます。
友人で神社の方がいるのですが。30時間以上かかったというすんごい難産でした(汗)
姪っ子さんはお彼岸の中日に安産お見事でした。
引き込まれる文章で、楽しいです。
また、よらせてもらいますね。
そっか、周りの人は あんまし考えてないんだ!
自意識過剰なのかな。
でもでも、難産だけは 体面のために、できないと思ってましたよ。
チャカさん、
わざわざおいでくださって、どうもです。
マイペースでやってください、こちらから伺います。
私もマイペースではありますが、頑張っているでしょう?
言いたいことがどんどん出てきてしまって。
ずうずうしさ、全開でやってます。
べっしーさん、
30時間ですか。。それはまた、たいへんでしたね、
そのご友人。
姉と私は、美人かどうかは見た人の判断にお任せするとして、
かなりタイプが違うので、
つまり、まったく似てないので、
並んでお見せしたら、面白いかも、と思います。
お見せできません、
バアサンになってしまいましたので。
風さん、
おっしゃる通り、普通の家庭と変わりません。
それはこの本の著者も言ってます。
ただ、折々に それなりの苦労はあります。
わかっていただけない部分もあるかもしれませんが。
また それなりの‘喜び’もあります。
これも、言葉で説明するのは面倒です。
ただ、人と人との触れ合いが大切なのは、神社もお寺も同じだと思います。
club-ener さん、
おいでくださって、ありがとうございます。
club-ener さんの文章、楽しくて、読みやすいです。
また伺います!