これも 義母の葬儀前の、どの日のことだったのか?
度々 亭主の実家に来てくれた姉夫婦が
明るいうちに 帰る時のこと。
玄関のところで見送りながら、
義父が
「お姉ちゃんは、たいしたもんだねえ。」
と言った。
気が強く 利発な姉は
子どもの頃から 「たいしたもんだ」とよく言われ続けてきた。
言葉も少々きつく、
「山椒は小粒でぴりりと辛い」、
そんな姉(笑)。
が、
この時 義父の言った言葉には
今までにない意味が込められていた。
「はい。。
生きて、
歩いて、
しゃべってますから・・・。」
くも膜下出血からの、奇跡の生還、と言えるのではないか。
発作のその日に亡くなる人は4割に達する、と
最近テレビで知った。
姉は 退院後、
普通にしゃべり、普通に歩き、
普通の人と どこも変わっていないように見える。
若くして発病していた難病はそのままだから、
動作はややゆっくりではあるものの、
立ち居振る舞い、
どこにも不自由はないように見える。
けれど 後遺症は残った。
手も足も口も達者だが、
記憶に障害が残った。
記憶障害。
記憶が不自由なのだ。
生還した時に
ここ10年くらいの記憶のほとんどを
一足先に 黄泉の国に置いてきたらしい。
代わりに、
きょうのことを 明日には忘れるという、
思いがけない機能をもらってきた。
私と一緒に温泉に行ったことも忘れている。
「あんた、覚えてるの?
いいわねえ。」
苦しい記憶、悲しい記憶のみならず
覚えておきたい大事なことや
楽しい記憶も 全て忘れてしまう、というのは
それまで考えたこともなかったが
予想以上に寂しく虚しく辛い障害のようだ。
「明日には忘れちゃうのよ。
つまんないわぁ。」
第一、不便だろう。
姉は 義兄と一緒でなければ
どこへもひとりでは出かけられないでいる。
私の子どもたちのことも
10年前の姿で記憶している、と言っていた。
自分の娘の夫になった人のことは
なんとか見覚えがあって、良かった、と
ほっとしていた。
あんなに可愛がって あんなに会いたがっていた
娘の産んだ初孫の女の子のことは
知らなかった、と言っていた。
そんな障害が 存在するとは、思わなかった。
私のことも さぞや 老けたわねえ、と思いながら
眺めていたのに違いない。
退院後はちょくちょく電話をくれた。
毎日 義兄と一緒に
その日にあったことを
日記に書いているのだ、と言っていた。
それがリハビリになるのだろう。
最近では 記憶が消えてなくならずに
覚えていられるようになってきた、と聞いた。
人間の脳の無限の可能性?
可塑性?
修復能力には 舌を巻く。
不可思議な生き物、人間。
素晴らしい生き物、人間。
強きもの、汝の名は 人間。
たいしたお姉ちゃんは
きっと今日も 義兄と口げんかしながら
酒を飲んでいるのに違いない。
飲まない方がいいらしいんだけどなあ。
度々 亭主の実家に来てくれた姉夫婦が
明るいうちに 帰る時のこと。
玄関のところで見送りながら、
義父が
「お姉ちゃんは、たいしたもんだねえ。」
と言った。
気が強く 利発な姉は
子どもの頃から 「たいしたもんだ」とよく言われ続けてきた。
言葉も少々きつく、
「山椒は小粒でぴりりと辛い」、
そんな姉(笑)。
が、
この時 義父の言った言葉には
今までにない意味が込められていた。
「はい。。
生きて、
歩いて、
しゃべってますから・・・。」
くも膜下出血からの、奇跡の生還、と言えるのではないか。
発作のその日に亡くなる人は4割に達する、と
最近テレビで知った。
姉は 退院後、
普通にしゃべり、普通に歩き、
普通の人と どこも変わっていないように見える。
若くして発病していた難病はそのままだから、
動作はややゆっくりではあるものの、
立ち居振る舞い、
どこにも不自由はないように見える。
けれど 後遺症は残った。
手も足も口も達者だが、
記憶に障害が残った。
記憶障害。
記憶が不自由なのだ。
生還した時に
ここ10年くらいの記憶のほとんどを
一足先に 黄泉の国に置いてきたらしい。
代わりに、
きょうのことを 明日には忘れるという、
思いがけない機能をもらってきた。
私と一緒に温泉に行ったことも忘れている。
「あんた、覚えてるの?
いいわねえ。」
苦しい記憶、悲しい記憶のみならず
覚えておきたい大事なことや
楽しい記憶も 全て忘れてしまう、というのは
それまで考えたこともなかったが
予想以上に寂しく虚しく辛い障害のようだ。
「明日には忘れちゃうのよ。
つまんないわぁ。」
第一、不便だろう。
姉は 義兄と一緒でなければ
どこへもひとりでは出かけられないでいる。
私の子どもたちのことも
10年前の姿で記憶している、と言っていた。
自分の娘の夫になった人のことは
なんとか見覚えがあって、良かった、と
ほっとしていた。
あんなに可愛がって あんなに会いたがっていた
娘の産んだ初孫の女の子のことは
知らなかった、と言っていた。
そんな障害が 存在するとは、思わなかった。
私のことも さぞや 老けたわねえ、と思いながら
眺めていたのに違いない。
退院後はちょくちょく電話をくれた。
毎日 義兄と一緒に
その日にあったことを
日記に書いているのだ、と言っていた。
それがリハビリになるのだろう。
最近では 記憶が消えてなくならずに
覚えていられるようになってきた、と聞いた。
人間の脳の無限の可能性?
可塑性?
修復能力には 舌を巻く。
不可思議な生き物、人間。
素晴らしい生き物、人間。
強きもの、汝の名は 人間。
たいしたお姉ちゃんは
きっと今日も 義兄と口げんかしながら
酒を飲んでいるのに違いない。
飲まない方がいいらしいんだけどなあ。