児玉清氏は、俳優であり、司会者だった。
(切り絵作家でもあったらしい?)
以前 私のこの『窓』にご出演(?)いただいたのは、
司会をしていた番組(
「働き盛りのがん」(1))について
書いた時だった。
その時私は 娘さんの癌死についても書いた。
そして 児玉氏ご自身も 癌に斃れた。
すぐれた読書家でもあった氏は
エッセーも書いたが 書評なども手がけており、
亡くなった後も 文庫版の解説などで
思いがけず出会う事がある。
懐かしいお父さんに出会えた気分になる。
奈良へ出かけた時に
『古寺名刹 巡拝の旅 44 吉野 奈良』(集英社、2010 580円)
を開いた時も
氏の連載エッセーに出会えたのは、嬉しい驚きだった。
そう言えば、連載、してたよね(汗)。
この巻のタイトルは、『五十路前の憂鬱』だった。
児玉氏は 48歳だった頃
ホームドラマや大河ドラマに次々に出演し、
「パネルクイズ・アタック25」の司会も7年目を迎え、
「すべては順風満帆、なんの憂いもないといった毎日」
の中で
「なんとなく 人生の曲がり角に立たされているような感じ」
を持ち始めていた、
と そこには書かれている。
「50歳という人生の一つの節目を前にして、
何か背中にうすら寒さをふと感じるというか、
肉体的には さほど衰えは感じていないのに
なぜか心が落ち着かない。」
「人生の ある種の熱狂の時期を過ぎ、
何か燃えるものがない。」
そんな時に思い出したのが、
石川達三の小説のタイトル、
「四十八歳の抵抗」という言葉だったそうだ。
(流行語にもなったらしい。知らなかったけど。)
そして、一時期、<抵抗族>という言葉も流行ったそうだ。
児玉氏は、
「男が 力の限界を思い知る年齢なのだろうか」
と書いている。
ある日、
「僕も<抵抗族>のひとりかな?」
と児玉氏が言ったら、知り合いのドイツ人が
「それは 誰もが迎える 男の更年期(メノパウゼ)さ」
と あっさり答えた、という。
その頃 男性にも【更年期】があるとは、
日本人のほとんどが 知らなったと思う。
私は 乳がんになって 更年期に
「メノポーズ」という呼び方がある事を知った。
ドイツ語だと、「メノパウゼ」になるんだねぇ。
ドイツ人は、
「解決法は 恋愛をすることだよ。」
と続けたそうだ。
(恋愛=何でもいいから 心の底から惚れるもの、だそうだ。)
その後 児玉氏は、最高の恋愛相手を見つけて熱狂したという。
なんと、相手は 英語で読み解くミステリーだったそうだが。
石川達三が どうして
著書に「四十八歳の抵抗」というタイトルを付けたのかは、
私は知らない。
50歳を前に 男として最後のあがきをする物語なのだそうだが。
ただ 「四十にして惑わず」という言葉に反して、
長寿化した日本においては、
40代は 大いに惑う年齢だ、と聞いた事がある。
来た道を振り返って、
このまま先へ進むべきか?
あるいは 違う道を辿るべきか?
あの頃 行きたいと思っていた道に戻る事は
今ならまだ間に合うのか?
それとも もう遅いのか?
老いた親や まだ一人前になっていない子供は
どうすればいいのか?
女房は、何と言うだろう?
人生が50年だった時代と違って、
そう思い悩むのが 現代においては 40代なのだそうだ。
私が 45歳で 乳がんの手術をしたので、
亭主の<48歳>は
女房の乳がんの再発の心配と
これからますます教育費が嵩んでくるふたりの子供と
アルツハイマーを発症した実家の実母と
衰えて来る自分の身体などを胸に抱えて
右往左往していた時期だった。
現在、女房は 術後12年を過ぎ、
自身は 還暦を前にしている。
更年期が まだ少し続いている亭主は
母を送り、父の老いと向き合い、
時折 鬱に入りつつ
家族を背負ったまま 人生を走り続けている。
相当、疲労を自覚しているようだが。
熱狂するものが見つからないまま、
亭主は走り続けるのだろうと思う。
走るのを止めたら、
もう 一歩も
前には 進めなくなってしまいそうだから。
それが亭主の人生なのだろうと
私は諦めているところがある。
本当は 今年 奈良に行ったみたいに
一緒にちょっと 休んだり遊んだりして欲しいんだけれども。