先週は 薬を受け取るための処方箋を受け取りに
クリニックに行った。
ただそれだけ、時間もかからないはずだった。

もうすぐピンクリボン月間。 乳がん検診を受けよう。
ピンク色のペンタスが 初雪かづらのそばに。
ペンタスがこぼれ種で花を咲かせるとは思っていなかった。
私は12月で 術後丸5年を迎える。
毎日毎日飲んできたタモキシフェンのお薬、
ノルバデックス→変更:ジェネリック医薬品のタスオミン。
これがもうすぐ不必要になる。
これがどんなことか おわかりいただけるだろうか。
毎日、毎日、5年間。
ちっとやそっとの開放感ではない!(笑)
平日より早く忙しくなる休日に
平日より遅く起き出している私は
朝ごはんを食べながら仕事が始まる(苦笑)。
食べては動き、戻っては座り、
座って食べては また 途中で ちょこっと仕事(泣)。
そんなこんなをしていると
薬を飲むのを忘れてしまう。
遅く起きたから、「いいや」と思って
いい加減な朝食をとる。
すると、やはり 薬を飲むのを忘れる。
女性ホルモンを抑える薬なので
女性の乳がん患者のほとんどが飲用しているはずの
(まれには男性も乳がんになるという)
(男性の乳がん患者も飲んでるかも?)、
タモキシフェンという成分。
それを 私は 3か月分も節約してきた。
いいのだろうか?! ・・・・・・いいわけないよね。。。
忘れずに飲むのもストレスだけど
飲み忘れるのは もっとストレス。
そんなお薬とも もう オサラバ。
この飲み薬から開放されたら
なにか別のことを始めたい(笑)。
それくらい、待ち遠しい、丸5年の日。
主治医と あんなに長く話したのは
実に実に久しぶりだった。
もしかしたら 初めてかもしれない。
主治医の口から「エビデンス」なんて言葉を聞いたのも、
その日が始めてだと思う。
「エビデンスが出ちゃったからさ~。」
「あなたは40代だから・・・。」
と話し出した主治医に
「いえ、50歳になりました。」
と言うと
「・・・・・・生理はどう?」
「全然、その気配がありません。」
あの痛~い注射を 3年も続けた甲斐があったね!
それで
それまで「閉経前」扱いだった私が
突然「閉経後」扱いになったらしい。。
ノルバデックス(タスオミン)を5年間飲んだ後に
別のお薬を飲むと 成績がいい、という話だった。
アリミデックス、またはアロマシン、またはフェマーラ。
(アロマターゼ阻害剤というクスリらしい。)
このうちのどれかを 服薬する。
説明に要する資料はまとめてあり、
他にも同じ説明をする患者が大勢いることをうかがわせる。
タモキシフェンの副作用はなくなる、という説明だったが
資料には これらの新たに服用する薬による副作用として
同じようなものが並んでいる。
タモキシフェンよりも 副作用が発現する人は少ない、ということか。
タモキシフェンのお薬を5年間飲み続けるよりも
最後の1~2年を 別の薬に変えたほうが 治療成績がよい、
というのをネットで目にして 主治医に確かめたことがあった。
「残念でした~。
それは、閉経後の人。
あなたは 閉経前だから、違うの。」
5年間 タモキシフェンを飲み続けるのだ、と知って
それ以後は 乳がんの治療について ネットで確かめたり
新しい治療法を学んだり、ということは しなくなった。
いい加減 飽きてきた、ということもある(苦笑)。
ソフトを取り替える前のメモ帳には
色々と書き込んであったのだが
幸か不幸か、ソフト、取り替えちゃったし(涙)。
最近ずっと 乳がんのオベンキョウをサボっていたので
意外で 突然で、唖然! の私だった。
「それで、そのお薬で どのくらい違うんですか?」
主治医は 資料を指差して言う。
17%だと。
それが この薬を飲むのと飲まないのとの差だ。
17% (ビミョ~な数字!)。
「それで、そのお薬は どのくらい飲み続けるんですか?」
「5年。」
「5年?」
絶句。
もうすぐ無治療になる、と 楽しみにしていたのに
もう あと 5年だなんて。。。
結論は 術後5年の定期検査の日。
「考えておいて。」
主治医の言葉の端はしからは
そんな服薬を続けなくても
これまでも再発は少なかったから、
飲まなくてもいい、
と読み取れた。
「エビデンスが出ちゃったからさ~。」
とは、そういうことだ。
温存手術+放射線療法、それにホルモン療法を加える。
これで 主治医は
再発を抑えて立派な成績を残してきた実績と自信がある。
そういうベテランの言うことばには
信頼感が持てる。
問題は 私のリンパ節に 転移があった、ということだ。
でも だからこそ ゾラデックスの注射を2年から3年に延ばして
毎月打ってもらっていたのだ。
いや~~~~。。。。
5年。
長いよ。
でも 再発はイヤだし。
ともかく、結論は 12月だ。
それから私は ひとつ気になっていたことをたずねた。
どうやら 私のがん細胞は
がんセンターにとっておいてあるらしいのだが
私のがん細胞に
ハーセプチンという薬が効くかどうかのテストを受けていない。
再発した時に、
効くかどうか、をテストする際には
まだ とっておいてあるのかしら?
「20年以上経ってから再発した人がいる
っていう話も聞いたことあるし。。。」
「私はこれまで17年後に再発した人を診たことがあるけど、
20年以上なんて、そんなの、滅多に無いんだから。」
「じゃあ、あと12年経てば 安心できますね?」
「100人にひとりかそれくらいの事で、心配しないの!
それに 10年以上たって再発するようなおとなしい癌は
ハーセプチンをテストしても、結果はマイナスだよ。」
あ、なるほど。。。
「そんなに、心配しないで!」
と 主治医は私の肩に力強く手を置いて
駄々っ子にするように 軽く揺すった。
「いや~~、先生、わたし、98歳まで生きるからサ、
まだまだ先が長いんで、心配なんですよ。」
心配いらない、という
(どこかに根拠のあるのか?)
主治医のことばを聞きながら
私は
ああ、とうとう、寿命を98まで延ばしちゃったよ。
まあ、いいか。
などと考えていた。
90歳まで生きる。
45歳で癌とわかった時に そう決心したのだったが
それが 90歳で 元気にカラオケを楽しもう!に変わった。
ここで突然 98歳まで生きることにしたので、
・・・みなさん、どうぞよろしく(笑)。
がんセンターの巨大な倉庫?冷蔵庫?冷凍庫?には
多分 ほかのたくさんの人のいろんな癌と一緒に
私の癌も 眠っているのだろう。
クリニックに行った。
ただそれだけ、時間もかからないはずだった。

もうすぐピンクリボン月間。 乳がん検診を受けよう。
ピンク色のペンタスが 初雪かづらのそばに。
ペンタスがこぼれ種で花を咲かせるとは思っていなかった。
私は12月で 術後丸5年を迎える。
毎日毎日飲んできたタモキシフェンのお薬、
ノルバデックス→変更:ジェネリック医薬品のタスオミン。
これがもうすぐ不必要になる。
これがどんなことか おわかりいただけるだろうか。
毎日、毎日、5年間。
ちっとやそっとの開放感ではない!(笑)
平日より早く忙しくなる休日に
平日より遅く起き出している私は
朝ごはんを食べながら仕事が始まる(苦笑)。
食べては動き、戻っては座り、
座って食べては また 途中で ちょこっと仕事(泣)。
そんなこんなをしていると
薬を飲むのを忘れてしまう。
遅く起きたから、「いいや」と思って
いい加減な朝食をとる。
すると、やはり 薬を飲むのを忘れる。
女性ホルモンを抑える薬なので
女性の乳がん患者のほとんどが飲用しているはずの
(まれには男性も乳がんになるという)
(男性の乳がん患者も飲んでるかも?)、
タモキシフェンという成分。
それを 私は 3か月分も節約してきた。
いいのだろうか?! ・・・・・・いいわけないよね。。。
忘れずに飲むのもストレスだけど
飲み忘れるのは もっとストレス。
そんなお薬とも もう オサラバ。
この飲み薬から開放されたら
なにか別のことを始めたい(笑)。
それくらい、待ち遠しい、丸5年の日。
主治医と あんなに長く話したのは
実に実に久しぶりだった。
もしかしたら 初めてかもしれない。
主治医の口から「エビデンス」なんて言葉を聞いたのも、
その日が始めてだと思う。
「エビデンスが出ちゃったからさ~。」
「あなたは40代だから・・・。」
と話し出した主治医に
「いえ、50歳になりました。」
と言うと
「・・・・・・生理はどう?」
「全然、その気配がありません。」
あの痛~い注射を 3年も続けた甲斐があったね!
それで
それまで「閉経前」扱いだった私が
突然「閉経後」扱いになったらしい。。
ノルバデックス(タスオミン)を5年間飲んだ後に
別のお薬を飲むと 成績がいい、という話だった。
アリミデックス、またはアロマシン、またはフェマーラ。
(アロマターゼ阻害剤というクスリらしい。)
このうちのどれかを 服薬する。
説明に要する資料はまとめてあり、
他にも同じ説明をする患者が大勢いることをうかがわせる。
タモキシフェンの副作用はなくなる、という説明だったが
資料には これらの新たに服用する薬による副作用として
同じようなものが並んでいる。
タモキシフェンよりも 副作用が発現する人は少ない、ということか。
タモキシフェンのお薬を5年間飲み続けるよりも
最後の1~2年を 別の薬に変えたほうが 治療成績がよい、
というのをネットで目にして 主治医に確かめたことがあった。
「残念でした~。
それは、閉経後の人。
あなたは 閉経前だから、違うの。」
5年間 タモキシフェンを飲み続けるのだ、と知って
それ以後は 乳がんの治療について ネットで確かめたり
新しい治療法を学んだり、ということは しなくなった。
いい加減 飽きてきた、ということもある(苦笑)。
ソフトを取り替える前のメモ帳には
色々と書き込んであったのだが
幸か不幸か、ソフト、取り替えちゃったし(涙)。
最近ずっと 乳がんのオベンキョウをサボっていたので
意外で 突然で、唖然! の私だった。
「それで、そのお薬で どのくらい違うんですか?」
主治医は 資料を指差して言う。
17%だと。
それが この薬を飲むのと飲まないのとの差だ。
17% (ビミョ~な数字!)。
「それで、そのお薬は どのくらい飲み続けるんですか?」
「5年。」
「5年?」
絶句。
もうすぐ無治療になる、と 楽しみにしていたのに
もう あと 5年だなんて。。。
結論は 術後5年の定期検査の日。
「考えておいて。」
主治医の言葉の端はしからは
そんな服薬を続けなくても
これまでも再発は少なかったから、
飲まなくてもいい、
と読み取れた。
「エビデンスが出ちゃったからさ~。」
とは、そういうことだ。
温存手術+放射線療法、それにホルモン療法を加える。
これで 主治医は
再発を抑えて立派な成績を残してきた実績と自信がある。
そういうベテランの言うことばには
信頼感が持てる。
問題は 私のリンパ節に 転移があった、ということだ。
でも だからこそ ゾラデックスの注射を2年から3年に延ばして
毎月打ってもらっていたのだ。
いや~~~~。。。。
5年。
長いよ。
でも 再発はイヤだし。
ともかく、結論は 12月だ。
それから私は ひとつ気になっていたことをたずねた。
どうやら 私のがん細胞は
がんセンターにとっておいてあるらしいのだが
私のがん細胞に
ハーセプチンという薬が効くかどうかのテストを受けていない。
再発した時に、
効くかどうか、をテストする際には
まだ とっておいてあるのかしら?
「20年以上経ってから再発した人がいる
っていう話も聞いたことあるし。。。」
「私はこれまで17年後に再発した人を診たことがあるけど、
20年以上なんて、そんなの、滅多に無いんだから。」
「じゃあ、あと12年経てば 安心できますね?」
「100人にひとりかそれくらいの事で、心配しないの!
それに 10年以上たって再発するようなおとなしい癌は
ハーセプチンをテストしても、結果はマイナスだよ。」
あ、なるほど。。。
「そんなに、心配しないで!」
と 主治医は私の肩に力強く手を置いて
駄々っ子にするように 軽く揺すった。
「いや~~、先生、わたし、98歳まで生きるからサ、
まだまだ先が長いんで、心配なんですよ。」
心配いらない、という
(どこかに根拠のあるのか?)
主治医のことばを聞きながら
私は
ああ、とうとう、寿命を98まで延ばしちゃったよ。
まあ、いいか。
などと考えていた。
90歳まで生きる。
45歳で癌とわかった時に そう決心したのだったが
それが 90歳で 元気にカラオケを楽しもう!に変わった。
ここで突然 98歳まで生きることにしたので、
・・・みなさん、どうぞよろしく(笑)。
がんセンターの巨大な倉庫?冷蔵庫?冷凍庫?には
多分 ほかのたくさんの人のいろんな癌と一緒に
私の癌も 眠っているのだろう。