退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

父が逝く

2018-04-25 05:08:30 | 日々の暮らし
4月25日
18日の午前1時過ぎ病院から電話があり起こされる
入院中の父の呼吸が止まったと。心臓はまだ動いているが時間の問題、早く来るように
そういわれても千葉と秋田、行けるものではない
近くに住んでいる姪に行ってもらって見取ってもらった
私が秋田についたのは夕方
もう葬儀場に移されたあと
それからは葬儀場の係りの人と打ち合わせ、葬儀の実行と慌しくすぎていった
妻である母、私、弟、弟のお嫁さんと姪で家族葬で送った

昔、秋田の田舎の葬式と言えば
まずは自宅で行う、(各家にはふすまを取り外した続きの間にできる16~22畳の部屋があった)
近所の女性陣が台所の手伝いに集まり、誰かが指示をしてたくさんのご馳走を準備した
作った女性陣が食べるのはもちろんだが、会葬に来た人にふるまうのだ
余るほどにつくり、残ったものは手伝いの女性陣が持って帰るのも慣わし
初めからもって帰るのを考慮してたくさん作っているようにも見える
会葬に来た人はもちろん酒を飲み、遅くまで故人のことを語った

遺体が家にある間は線香を切らしてはいけないので
一晩中起きて酒を飲み続けていた
そうしているうちに喧嘩が始まるのもいつものこと

火葬が終わって、葬儀が終わると
皆でお墓まで歩いて行って埋葬した。

そのお墓を準備してくれる人たちの班もあって
その人たちにもご馳走を準備するのも当たり前

葬儀が終わると
初七日まで毎日7時ぐらいになると人々が集まって
御詠歌を唱える
それが終わると酒飲みが始まる
そのもてなしを手伝うためにまた女性陣が集まりご馳走をつくり
もちろん有り余るほどにつくり、そしてふるまって余った分を持ち帰る
それが初七日まで続くのだ
本当に大変

それが終わると
次は7日ごとに御詠歌を唱えに人々が集まる
女性陣も集まりご馳走をつくりご詠歌の後の酒飲みに備え、終わったら持ち帰る
それを35日まで5回繰り返しやっと終わりとなる

父親はずっとそんな風にして近所の人々を見送ってきた人なのだけれど
そんな父親の葬儀は簡単なものでした
たぶん納得できていないような気がします
コメント
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