やっと、トンネル会社の呪縛から解放され
上司にも恵まれ順調なサラリーマン生活が始まった。
そんな時、トンネル会社の下に入ることを拒否した会社が倒産して
社長が首吊り自殺したと聞いた。
当時、柳橋料亭でその会社専務に不正をなじられた。
26歳の私にはどうすることも出来なかったのだ。
その料亭も無くなったが、現在近くに私は会社を構えている。
結局、トンネル会社に群がった連中は消えていった。
残ったのは私だけだった。
世は高度成長まっしぐら、飲めや歌えの狂乱物価の時代
毎晩、夜遅くまで飲み歩いた。
その頃、銀座でかなり遅い時間、銀座ホステスが客と待ち合わせに
使う喫茶店に入ると大学同期で新聞社勤務の金太郎がいた。
当人は今も否定しているが。
今日はピザランチと バーニャカウダ
1年後、支配人(部長)課長が相次いで転勤した。
新任の部長、課長は本社からやってきたが営業未経験で更に
商品販売企画などしたことがない。
それでも優秀な管理職であれば、人を動かし部下を人間的魅力と
洞察力で引っ張っていけるが、赴任早々能力がないのが見抜けた。
傲慢、思い上がりで現場も熟知せず、子供のような独りよがりの考え
行動をするから部内は大混乱。
権限をオモチャのように行使する無知上司
何処の会社も必ずいる。逃電などはゴロゴロいるはずだ。
私は以前の苦い経験から深入りせず距離を置いていた。
逃電本社の現場を知らない社員が報道陣に説明しているのと同様
現実に即した指示行動が出来ず、毎日、営業マンに日記を書かせ
赤ペン先生のようなことをしていた。
毎晩遅くまで部長が帰るのを待ち、太鼓持ちをしていた。
サラリーマンは「こんなものか」と妙に納得した。
やはり能力的に内外から「ダメだ」と烙印押され支店に異動した。
営業部も銀座から大手町に移転した。
ちょうど、その頃長男が誕生した。
本社にも一人危ない行動をする課長がいて、私を度々
食事に誘うとしたが遠慮した。
この男の怪しげな行動は、全く違う事業分野の人から危険であると耳打ちされた。
しかし、関わりたくなかったので無視した。
一年後、発覚した。
同じくペーパーカンパニー(トンネル会社)を作っていた。
本社の課長と私の元上司で支店に出された課長、その他女子社員で結託して
海外(香港)にペーパーカンパニーを作り、海外商品、印刷物を
全て経由させていた。
私は直感で感づいていた、会社とは関係ない情報筋からも
そのグループが、まもなく開港する成田国際空港近くに
3千坪以上の土地購入して倉庫を建てようとしていた。
ペーパーカンパニーで儲けた金を注ぎ込み成田空港近くの土地買い漁り
物流会社を立ち上げようとしていた。
しかし発覚して、一時全員香港に逃亡した。
哀れだったのは支店に出された課長だ。
商売の仕組みを知らないのでもう一人の男の口車に乗り
他には乗ってはいけない車は横車、女車、
妻子抱えて放りだされてしまった。
中心人物の男は実家が元々商売をしている上に
成田の3千坪の土地をペーパーカンパニーの利益で取得したので
懲戒免職なっても生活に困らず、莫大な資産を得てしまった。
ずっと経ってから、放り出された上司を見かけたが、
頭髪はなくなり、顔に精気もなく、私を見ると目をそむけた。
他にも若手社員を含めてトンネル会社から恩恵を受けた社員が少なからず
いたが、口をつぐんでいた。
私の評価は最低ランクにされていたのを後で知った。
私が在籍した会社は特殊で大手会社、組合、その他が出資した
寄り合い所帯だったので互い互いを知らず、責任管理体制も未熟
失敗も致し方無しとお咎めをもしなかった。
現在なら刑事告訴もされるだろうが、当時は反対に密告者として
会社内規律を守らなかったとして飛ばされてしまった。
この頃から 大企業病という言葉が言われるようになりました。
下請けに傲慢強欲に見下し、自ら汚れ仕事は回避、現場を顧みず
ひたすら上司に奴隷のごとき接しミスなく、よけいなことはせず
そうしなければサラリーマンとして出世できない。
軽食喫茶勤務時代、垣間見た逃電社員の振る舞い
当時の方々が現在の幹部だろうから、原発事故でのブザマな対応は当然だ。
逃電社長はコスト削減に辣腕を発揮して社長になったが
年間2千億円といわれる広告宣伝費を湯水のように使い
メディアをコントロールして悪評を押さえ込んだ。
本来公益企業であり競争相手もない事業で宣伝など必要ない、
世界的にも高額な電気料金を徴収して政官財に金ばら撒き
トラブルは公にならないはずだった。
危機意識など入社した時から持ち合わせていなかった
役員達は若い頃からミスをせず、自らは安全圏にいて
危険を回避してきた。
エリートにとって失敗は輝かしい将来の為には許されない。周囲が残酷な状況下にあろうが保身の為には非情に切り捨てる。決して責めているのではなく、そのような行動しなければ今日の地位を得られなかった。人間、最高最適条件を満たされると、何も恐れる事ないと防御姿勢を疎かにする。中東騒乱崩壊はあっけなく独裁者を駆逐された。
大震災で大企業幹部は明日には我が身に降りかかると眠れぬ日々を過ごしている。
逃電社長が社員給与の削減を行わないと明言
官房長官が不快感を表しましたが、給与を払えるということは
未だ危機感を感じていないのでしょう。
しかしそのような感覚であれば別企業、国有化、さもなければ
派遣社員の低賃金に置き換えられてしまう。
2度目のトンネル会社不正事件で私は直接巻き込まれなかったが
会社の隠蔽体質には嫌気がさしていた。
しかし平凡に平社員で定年を迎えることだけを願った。
だが、事態は思わぬ方向へ私を導くことになった。
続く