7月12日(金)19時 赤坂 津つ井前に着いた。
真向かいはアメリカ大使館宿舎だ。
懐かしい!
私と妻と息子の嫁さんは電車。
息子はクロスバイクでやって来た。
柳橋事務所を同時に出たが、クロスバイクが5分程、早く着いた。
予約時間は7時半だったが入店。
飲み物だけを先に注文。
娘はピッタリ7時半に到着。
今宵、金持ち娘が、貧乏な私と妻、息子夫婦へ
クリスマスプレゼントとしてディナー招待。
先ずはビールで乾杯!
娘が一番安いコースを頼んだと言うが
料理は素晴らしい。
時間差で出される料理は和食の趣
洋食でもない。
表看板にあるように和食を取り入れた
日本人好みの日本的分化した洋食。
店内もダークブラウンが落ち着きと静かさを演出。
静かな会話が楽しめる。
娘の今年の勤務状況は過酷だった。
土日祝は殆ど休まず、朝7時 自宅を出ると
帰宅は午前0時を回った。
自分の担当任務が他の職員では出来ないためだが
ボーナスで報いてくれたそうだ。
久しぶりに「赤坂の夜は更けて」を楽しんだ。
娘が突然 赤坂津つ井で食事しようと言った時
「何で 津つ井を知っているのか」?
ネットで一番美味しい洋食の店で乗っていた」
それで、先々週ランチを食べに行き美味しいのを知った」
なるほどね!
実は私は何度か津つ井で食べたことがあった。
半世紀前のことだ。
昭和42年 大学入学して、体育会山岳部に入部。
6月になるとOBとの懇親会がある。
懇親会の場所が津つ井だった。
当時、赤坂の酒屋で、ビール、日本酒、他の飲み物を買い込み
登山で使用する背負子に括り付けて
まだ 木造二階建ての津つ井の細い階段に運んだ。
要するに、飲み物は酒屋で調達、座敷料も無し
食事のみ提供してもらったのだ。
赤坂見附駅改札前に学生服姿でOB到着を出迎え案内をした。
津つ井と何らかの縁がある上級生がいて(後に有名大学の学部長になった)
貧しい学生達のため、津つ井のオーナーがOKしたのだ。
4年間 津つ井で懇親会を開いた。
今ではありえないことだ。
当時は団塊世代が20代だったが
まだ、学生は貧しく地方学生は親からの仕送りだけでは
酒は飲めなかった。
現在はネット検索で評判ランク付けの料理店が分かり
若者が殺到するが、当時は赤坂の料理屋などは
幾分上級の方々が食事される店で一般的ではなかった。
余談だが、学生運動が激しく、全共闘にキャンパスを占拠された。
体育会の上級生が、深夜、キャンパスに乗り込み
立て看板を壊し、占拠者を排除した。
そのお礼に学長が「赤坂の料亭で学生を接待した」と先輩から聞かされた。
21時半 店を出た。
息子はクロスバイクで葛西まで帰る。
嫁さんは東西線で帰る。
娘は京葉線で帰宅。
私と妻は銀座線経由総武快速で帰宅。
娘のほうが10分早く帰宅した。
総武快速より京葉線のほうが早いか?
娘へのお返しクリスマスプレゼントに、弊社アマゾン商品をプレゼントしょう。