9月7日(水)
10時40分 柳橋事務所を出た。
馬喰横山駅から都営新宿線に乗り
神保町で半蔵門線に乗車した。
渋谷駅を通過中に妻からメール。
「終わった。異常無しで無事卒業」
病院玄関 正面 妻は会計窓口に並んでいる。
2010年10月 事務所に検診した医療センターから
電話がかかってきた。
癌の疑いあり。
精密検査のため、小さな婦人科病院で再検査。
子宮頸癌発症確認。
女医は言った。
「ご自分で、住まい近くの大きな病院で治療してください」
「当院では、病院を紹介しません」
私は当惑?
息子は必死だった。
私の弟の嫁さんに電話した。
義妹は言った。
「うちの病院に来なさい」
直ちに検査。
通常 数回の日数を要する検査を
2日連続でした。
以下が経過概要。
友人の癌闘病を見守り
最後を看取った。
私も前立腺癌の疑いで検査入院
妻は実母の介護と仕事。
そして、サイコパス 九段スズキ本店 長野利男の騙し
息子、娘は、懸命に母親を助けた。
完治までに5年八ヶ月。
長かった。
芸能人が癌を公表。
闘病経過を公開。
自らの病を公にするのは
当初 売名行為とも感じたが
3人に一人が癌発症する時代に
情報提供して早期検査、早期治療の必要性を
理解してくれれば良いなと思います。
病院を出て246号 玉川通りを歩き
246号線玉川通り
松涛に向かった。
松涛の坂道にある、フランス田舎料理の店で食事した。
渋谷ガレットリア
ホット したのか、小樽のビール小瓶を飲んだだけで
ガレットリア
酔いが回った。
13時 食事を終え、松涛の坂道を上がった。
松涛
介護病院 3階 お袋は車椅子に腰掛けていた。
お袋に酸素ボンベの吸入器を装着して
5階のラウンジに上がる。
上がって直ぐに 大きな揺れ
地震だ。
看護士達が緊張した表情で院内を見回る。
寝たきりの老人達を避難は大変だ。
揺れは治まり、皆安堵した。
2010年 妻が放射線治療開始時
お袋は同病院に入院していた。
病室では、お袋と妻と大学病院副院長である
義妹の3人で昼飯を食べていた。
妻は快復したが、お袋は快復することなく
介護病院に移った。
二度と生きては自宅には戻れないのだ。
お袋を介護士がベッドに運ぶ時病室を出た。
その時でないと、お袋が「帰るな 帰るな」呼びので
退出できないのだ。
16時 柳橋事務所に戻る。
今夕は、石川県山中から、展示会を見にきた
取引先を接待。