馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

台北2日目の夜。

2014-08-10 15:54:36 | 日記

8月4日(月)18時

中正記念堂駅からタクシーに乗り林森北路へ。

日本の新宿歓楽街に似ている。

戦前は日本人住宅街だった場所で、京都の街並みと同じ。

六条通、五条通の地名がある。

通りにはクラブ、小料理屋が日本語ネオン看板で連なる。

台北に来るたびに飲んだクラブはまだあった。

常宿も新しく建て替えていた。

日本料理の店に入った。

店名は変わったが店内は以前と同じ。

上がり框の仕切られた座敷。

掘り炬燵テーブルに案内される。

店員も日本女性で丁寧、優雅な接客はほっとして和む。

歩き続けて体は水分抜けて干物状態。

日本の生ビールで乾杯!

 

いやあ~ ホップが乾いた砂地に滲みこむように体が泡立つ。

日本と同じ居酒屋の肴が並ぶ。

日本酒も良いな!

 

仕切られた隣から煙草の臭いがする。

隙間から覘くと煙草を吸っている。

店内での喫煙は法的罰則もあり禁煙なのだが?

従業員に尋ねた。

「はい!吸えますよ」

隣の日本人ビジネスマン達の灰皿を見た。

「成る程ね、上に政策あれば下に対策ありか」

灰皿の代わりにステンレスのビールコップがテーブルに置かれ

水が入っていた。

店側は禁煙遵守しているが

お客様が勝手にビールグラスを灰皿代わりにして喫煙している。

 

私と友人は飲兵衛―である。

友人は煙草を吸うが私は原則吸わない。

しかし、対談相手が喫煙する時は、卑しくも貰い煙草するのだ。

KENNYは酒、煙草はやらない。

 

ここでKENNYの履歴を語らなければならない。

彼は台湾人つまり本省人である。

 

5年制の貿易専門学校で学び、1年程勤めてから

オーストラリアで1年間英語を学んだ。

徴兵制の台湾で2年間、軍隊勤務した。

その兵役中に日本語を覚えようと、夜間は兵舎で勉強した。

除隊後、日本に渡り、御茶ノ水にある日本語学校で1年間学ぶ。

それから、九州大分の大学短期学部英語学科を卒業。

台湾に戻り、私が取引している台湾社長の筆記具メーカーに勤める。

KENNYが入社前は女性社員が担当であった。

その後、退社してスペインの布地レース会社に勤務。

ヨーロッパ、アジアを一人でセールス。

日本留学時代の先輩が社長をしている

二部上場、金属プレス型枠メーカーに海外担当として就職。

販売先は ノキア、IBM等コンピューターメーカーの型枠製造

現在は、海外担当 取締役営業部長である。

 

日本料理屋でのKENNYの振る舞いを見て

感無量である。

私と知り合った頃は20代後半。

働く社会での経験は少ないので

仕事の暗黙ルールを教えた。

商談で食事、接待は殆ど未経験。

台湾での飲み屋も私が案内して教えた。

酒の飲めない彼は苦労したが

誠実な人柄で信頼を得た。

 

今、日本料理屋での対応は、洗練され風格がある。

頼もしい。

KENNYが入社前は女性が担当だったので

夜は一人で林森北路の怪しげなネオンを彷徨い

日本小料理屋で日本人駐在員が一人寂しく1日遅れの産経新聞を読みながら

キンピラゴボウを肴にアサヒビールを飲む。

店内は孤独のグルメなのだ。

私も同じようにした。

食事を終えると、クラブに入り妖艶な台湾小姐と

日本語で会話した。

 

 

KENNYが独身の頃

私の息子を連れて夜中まで遊び

未成年が入店禁じられているディスコで遊んだ。

KENNYは兄と姉。下に妹がいる。

私の息子を弟のよう面倒をみた。

息子が留学して2年目 ストレスと疲れで盲腸になった。

手術、入院に際しては、息子のベッド床下に寝て看病した。

彼の助けあったからこそ、今まで商売ができたのだ。

彼も大恩人なのだ。

 

台湾人は中国人が大嫌いのブログに彼と台湾取引社長の気持ちを書いた。

21時半、眠らない暑い林森北路ネオン街を歩き

台北駅から地下鉄に乗車。

動物園駅下車、タクシーでラブホテルに22時半着。

KENNYは自分の車で帰宅。

友人と私は日本酒で飲み直し。

 

アイホーンの歩数計を見た。

歩行数 24.905歩

距離 17.932m

歩行時間 3時間40分

 

炎暑の亜熱帯を歩きました。

 

足底筋膜症の痛みを忘れていた。

俺!60代後半なのに体力あるな?

 

馬鹿も一心!で頑張っている。

 

台北3日目に続く


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