馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

おかず横丁

2010-09-20 15:35:38 | 日記


9月17日(金)夕方仕事で鳥越神社近くに行った。
近くにおかず横丁と言う有名な商店街があるので寄ってみた。
通り長さ200メートル程の八百屋、惣菜屋、魚屋、大学芋等の商店が
並んでいる。戦後、下町で職人さんが多く住みこの通りで
おかずを買っていたが、今ではスーパー、コンビに客奪われ
情緒ある賑わいは無い。
価格を見てもスーパーより高い。
近所のご老人が買うのと家賃が無く老夫婦で細々と
やっているので保っているが、近い将来消滅するだろう。


肩叩き

2010-09-20 13:51:45 | 日記
9月16日(木)展示会主催会社担当者からメールが来た。
17日付けで退社しますと書かれていた。
夕方、柳橋事務所に担当者はやって来た。
酒飲みながら事情を聞く。
古い言い方ならば「肩叩き」
指名で早期退職を迫られて応じた。
一流私大6年かけて卒業
転職を6回も経験して今の会社に入社して11年間経過
44歳独身、酒をこよなく愛し私と下町C級居酒屋を飲み歩いた。
その会社も表面上は景気が良さそうに見えるが水面下では
必死の経営努力を続けていたが、人切りという手段までに追い詰められたのだろう。
数年前より展示会の主旨目的から、ずれた出展者が目立ち始めた。
食品物産、化粧品、地方の商工会等、あるいは占いまがいの出展
従来からの出展者は減少
主催者側発表の来場者数も実感として少ないと感じている。
無料バスも止めてサービスの低下が続いているのだが
来場者も代わっていくので微妙な変化には気づかない。
彼に今後の仕事を尋ねれば未定だと言う
上司と折り合いが合わなかった事と独身であることが
対象になったと言う。
人が良く面倒見や気遣いも出来申し分ない営業マンなのだが
社内的には不満分子と見られていたのだろう。
今の国内企業には寛容なゆとりを持って人材を雇用する力は無い。
弱者がどんどん切り捨てられるか
経営者のエゴだけで社員を見捨て社会的責任を簡単に放棄する。
彼は両国橋袂で別れ際言った。
これでやっと「自分探しの旅をします」
次に来る時に笑顔でやって来るのを祈らずにはいられない。

大相撲秋場所 4日目

2010-09-16 16:30:14 | 日記

午後5時、両国橋渡り大相撲秋場所開催されている両国国技館に行った。
4日目、関係者出入口前で取り組みを終えた力士が出て来るのを待つ。草履からはみ出だす大足をがに股で、大きな尻を左右に揺らしながら、付き人を従え出入口にやって来る。常連老人ファンが四股名を大声で呼びかける。力士は無言でちらっと横目で視る。おばさん達が力士に遠慮せずサインねだり、記念写真を撮る。
入り口にはコップ酒飲むオジサンが出てくる力士の解説をしてくれる。
実況を見なくても力士の表情しぐさで今日の取り組みで勝ったか負けたか
分かるらしい。

入り口に問題になった維持員席の案内看板がある。

おお!高見盛が出てきた。
ファンと目を合わさないように下向いている。

監督官庁が文部科学省なので、暴力団関係拒否は分かるが
江戸時代から興行、興行といわれ地元のやくざが取引っていた
商売を文部科学省が取り上げてしまっただけ。

文化的な見地からいえば新宿の歓楽街も一種の興行だとも思える。
これも文部科学省の監督下におけば品行方正な
歓楽街になる。
場所中はちゃんこ料理屋は予約しないと入れない。



同一人物か?

2010-09-15 16:08:28 | 日記
9月12日(日)展示会で使った展示用品が事務所に置けないので
自宅に持ち帰った。
物置場を整理して展示用品をいれるスペースを作った。
その時古いダンボール箱から写真が出てきた。
まだ、モノクロ写真だ。
日付は昭和44年8月18日~21日 神津島
20歳の時 友達と二人で夜の船で行った。
43年前の青春そのもの。
金なかったのでテントで毎日インスタントラーメン食べた記憶がある。
贅肉なかった。
ところが平成22年7月8日の隅田川での当人の写真がある。
弊社のデザイナー女性が二つの写真を見比べて
大きなサーチライトのような目が点線になってしまった。
私自身も これ!同一人物?
永い人生で貯まったのは精神の疲労だけでなく
体にも役に立たない肉がびっしり貯まった。
しかし金は一向に身につかない。