トンネル会社事件もうやむやな解決で終わり、誰も管理監督責任を取らなかった。
逃電も社長が退任するが無報酬だと報道されたが、不名誉な辞め方だが退職金はがっぽり頂き責任逃れて生活安定。
原発被災者は困窮の生活を今後も続けなければならない。
私のいた会社も上にいけば行くほど責任逃れがうまくなる。
零細企業の経営者だったら負債は妻、子供、孫までも追いかけられる。
JAL破綻で役員が生活保護になったとは聞かない。

本日のランチ チーズフォンジュ
歳月は流れ息子も生まれ、船橋にマンション購入した。平穏なサラリーマン生活、自宅を出る時、妻と抱かれた息子が道路まで見送りする日々が続いた。当時仕事の他に労働組合中央執行委員をしていた。輪番でなっただけで名前連ね意見も発言もしなかった。関心がなく、8月の全国大会で任期終了を心待ちしていた。しかし、書記長に任命された。後に何故選ばれたのか真相を知る事になる。組合の事や労使交渉など全く理解していなかった。組合はユニオンショップ制だったが組合員構成は女子社員が7割、定年後採用が2割、1割が男子社員、各支部は女性組合員だけが多く活発な活動は出来なかった。
殆ど本部中央執行委員会方針、決定、交渉妥結を追認するだけだった。
私は書記長になっての改革は女子組合員を積極的に役員に任じた。
今まで男子一部の組合役員と会社側担当者の馴れ合いだったが、裏交渉をさせずに
オープンにした。
会社側はかなり当惑した。秋闘は圧倒的な組合員のスト権確立交渉99%支持を得て
緊張した労使交渉を辿り、組合設立して初めて36協定破棄を決行
賃金交渉で要求を満額獲得した。
このことから会社側も従来の舐めた対応から変化が生じ
真摯な話し合いが日常交渉でも行われるようになった。
強いリーダーシップは違う波紋を及ぼした。
組合が注目されるようになると労使の経営会議も開催され
他部門の寄り合い所帯で芯となる経営目標があいまいであった。
経営側が策定する経営企画は全て本社親会社向けにであったが
組合は会社独自の主体性ある賃金と労働協約締結を迫った。
互いに一致する部分もあれば相容れない部分もあった。
当惑したのが上部団体の組合連合組織だった。
私が会社側交渉の過程で「上部組織とは組織合一しない」と明言したからだ。
会社側は驚きと歓迎を示した。
しかし上部組織は秘密裏に従来役員と組織合一を今期中に成し遂げると
約束していたのだ。
春闘が始まると上部組合連合組織から役員がオブザーバーとして
関与してきた。
私は上部組織から約束違反だとして、激しい吊るし上げを受けたが動じなかった。
会社側との裏約束メモや上部組織との秘密合意事項が次々に明るみになった。
このことが私を書記長にさせた要因だった。
組合は行き詰っていたのだ、いずれ公にしなければならない裏取り決めを
お人好しで能天気な私に責任を押し付けたのだ。
書記長が内外から注目されるようになると組合執行部内で嫉妬嫉みが
汚泥の中から湧き上がるメタンガスように現れた。
組合を利用してのしあがろうとする邪な役員から
労使関係とは全く関係ないことで追求と非難が繰り返された。
男の嫉妬心が高邁な理想、志、優しさを捨て去り
むき出しの憎悪に変わる。
現在、日本が震災で深刻な国難に陥り国民が一丸となって対処して
いる時、与野党はくだらない言動で揚げ足取り、どうでもよい事を
国会で追及、まるで小中学生の喧嘩だ。
金子みすずの詩
こだまでしょうか』
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
一般国民は冷静で政治家を冷めた目で見放している。
組合幹部の書記長への嫌がらせが
女子組合員から見ると男の陰湿な我欲だと、見透かしていることに気付かずいた。
ご立派な意見で書記長をなじっている組合幹部は
結局トルストイの童話 「イワンのバカ」に出てくる悪魔のように
誰にも相手にされなくなった。
続く
