5月17日(火)妻も来て作業する。
アイアン型キーホルダーが海外から到着
「父の日プレゼント」商品
弊社は製作するだけで実際販売は
個人名彫刻して販売。
販売開始して3年目になるが実によく売れる。
本日のランチ きのこカレー
5月17日(火)妻も来て作業する。
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弊社は製作するだけで実際販売は
個人名彫刻して販売。
販売開始して3年目になるが実によく売れる。
本日のランチ きのこカレー
やっと、トンネル会社の呪縛から解放され
上司にも恵まれ順調なサラリーマン生活が始まった。
そんな時、トンネル会社の下に入ることを拒否した会社が倒産して
社長が首吊り自殺したと聞いた。
当時、柳橋料亭でその会社専務に不正をなじられた。
26歳の私にはどうすることも出来なかったのだ。
その料亭も無くなったが、現在近くに私は会社を構えている。
結局、トンネル会社に群がった連中は消えていった。
残ったのは私だけだった。
世は高度成長まっしぐら、飲めや歌えの狂乱物価の時代
毎晩、夜遅くまで飲み歩いた。
その頃、銀座でかなり遅い時間、銀座ホステスが客と待ち合わせに
使う喫茶店に入ると大学同期で新聞社勤務の金太郎がいた。
当人は今も否定しているが。
今日はピザランチと バーニャカウダ
1年後、支配人(部長)課長が相次いで転勤した。
新任の部長、課長は本社からやってきたが営業未経験で更に
商品販売企画などしたことがない。
それでも優秀な管理職であれば、人を動かし部下を人間的魅力と
洞察力で引っ張っていけるが、赴任早々能力がないのが見抜けた。
傲慢、思い上がりで現場も熟知せず、子供のような独りよがりの考え
行動をするから部内は大混乱。
権限をオモチャのように行使する無知上司
何処の会社も必ずいる。逃電などはゴロゴロいるはずだ。
私は以前の苦い経験から深入りせず距離を置いていた。
逃電本社の現場を知らない社員が報道陣に説明しているのと同様
現実に即した指示行動が出来ず、毎日、営業マンに日記を書かせ
赤ペン先生のようなことをしていた。
毎晩遅くまで部長が帰るのを待ち、太鼓持ちをしていた。
サラリーマンは「こんなものか」と妙に納得した。
やはり能力的に内外から「ダメだ」と烙印押され支店に異動した。
営業部も銀座から大手町に移転した。
ちょうど、その頃長男が誕生した。
本社にも一人危ない行動をする課長がいて、私を度々
食事に誘うとしたが遠慮した。
この男の怪しげな行動は、全く違う事業分野の人から危険であると耳打ちされた。
しかし、関わりたくなかったので無視した。
一年後、発覚した。
同じくペーパーカンパニー(トンネル会社)を作っていた。
本社の課長と私の元上司で支店に出された課長、その他女子社員で結託して
海外(香港)にペーパーカンパニーを作り、海外商品、印刷物を
全て経由させていた。
私は直感で感づいていた、会社とは関係ない情報筋からも
そのグループが、まもなく開港する成田国際空港近くに
3千坪以上の土地購入して倉庫を建てようとしていた。
ペーパーカンパニーで儲けた金を注ぎ込み成田空港近くの土地買い漁り
物流会社を立ち上げようとしていた。
しかし発覚して、一時全員香港に逃亡した。
哀れだったのは支店に出された課長だ。
商売の仕組みを知らないのでもう一人の男の口車に乗り
他には乗ってはいけない車は横車、女車、
妻子抱えて放りだされてしまった。
中心人物の男は実家が元々商売をしている上に
成田の3千坪の土地をペーパーカンパニーの利益で取得したので
懲戒免職なっても生活に困らず、莫大な資産を得てしまった。
ずっと経ってから、放り出された上司を見かけたが、
頭髪はなくなり、顔に精気もなく、私を見ると目をそむけた。
他にも若手社員を含めてトンネル会社から恩恵を受けた社員が少なからず
いたが、口をつぐんでいた。
私の評価は最低ランクにされていたのを後で知った。
私が在籍した会社は特殊で大手会社、組合、その他が出資した
寄り合い所帯だったので互い互いを知らず、責任管理体制も未熟
失敗も致し方無しとお咎めをもしなかった。
現在なら刑事告訴もされるだろうが、当時は反対に密告者として
会社内規律を守らなかったとして飛ばされてしまった。
この頃から 大企業病という言葉が言われるようになりました。
下請けに傲慢強欲に見下し、自ら汚れ仕事は回避、現場を顧みず
ひたすら上司に奴隷のごとき接しミスなく、よけいなことはせず
そうしなければサラリーマンとして出世できない。
軽食喫茶勤務時代、垣間見た逃電社員の振る舞い
当時の方々が現在の幹部だろうから、原発事故でのブザマな対応は当然だ。
逃電社長はコスト削減に辣腕を発揮して社長になったが
年間2千億円といわれる広告宣伝費を湯水のように使い
メディアをコントロールして悪評を押さえ込んだ。
本来公益企業であり競争相手もない事業で宣伝など必要ない、
世界的にも高額な電気料金を徴収して政官財に金ばら撒き
トラブルは公にならないはずだった。
危機意識など入社した時から持ち合わせていなかった
役員達は若い頃からミスをせず、自らは安全圏にいて
危険を回避してきた。
エリートにとって失敗は輝かしい将来の為には許されない。周囲が残酷な状況下にあろうが保身の為には非情に切り捨てる。決して責めているのではなく、そのような行動しなければ今日の地位を得られなかった。人間、最高最適条件を満たされると、何も恐れる事ないと防御姿勢を疎かにする。中東騒乱崩壊はあっけなく独裁者を駆逐された。
大震災で大企業幹部は明日には我が身に降りかかると眠れぬ日々を過ごしている。
逃電社長が社員給与の削減を行わないと明言
官房長官が不快感を表しましたが、給与を払えるということは
未だ危機感を感じていないのでしょう。
しかしそのような感覚であれば別企業、国有化、さもなければ
派遣社員の低賃金に置き換えられてしまう。
2度目のトンネル会社不正事件で私は直接巻き込まれなかったが
会社の隠蔽体質には嫌気がさしていた。
しかし平凡に平社員で定年を迎えることだけを願った。
だが、事態は思わぬ方向へ私を導くことになった。
続く
5月13日(金)昨日は気温低下と雨で事務所から外出しなかった。
15時、気温も上昇したので隅田テラスを佃島に向かって歩く。
永代橋から佃島の高層高級マンション群を眺めた。
銀座に近く東京の夜景、スカイツリーも眺める素晴らしい立地。
35年前、新橋軽食喫茶勤務時代 厨房でチーフをしていた
元キックボクサーチャンピオンが月島に住んでいたが
当時、月島は工場が多く、排気ガス、スモッグで覆われ
住環境としては快適ではなく、幼子を抱えたチーフは
咳の止まらない子供のために引っ越して軽食喫茶も辞めてしまった。
しかし、今では石川島播磨重工跡地に高層高級マンションが建ち
芸能人、プロ野球選手、外国人、いわゆるセレブがお住みになる。
3月11日(金)の東日本大地震後、状況は一変したらしい。
隅田川の中洲に建てられたマンション群は、豆腐の上に乗った不安定な建物。
耐震構造マンションと言われているが、阪神大震災前の建築
福島原発も地震で崩壊することはないと専門家が明言したが
三陸の防潮堤も予想を超えた津波で瓦解
東京直下型地震が襲ったら、予想を遥かに超えたため崩れましたでは済まない。
外国人が逃げ出している。
「タワーリング・インフェルノ」になってしまう。
崩壊しなくても停電したら南米の空中楼閣マチュピチュになってしまう。
毎夜 地震の恐怖に怯えながら夜景眺めるより
貧乏だが質素で自分の手足で行動できる住まいが安心だ。
浜岡原発停止、国の決断はGOOD!
冬山で悪天候のため、登頂断念して撤退
一年以上 計画して金も人も掛けた。
勇気がない、弱虫と叩かれようがリーダーの決断重い。
それこそが勇気ある行動なのだ。
無責任評論家よ!ごちゃごちゃ言うな!
5月11日(水)昨日は暑かったが今日は 気温14度、朝から雨降り
事務所窓からスカイツリーは雨煙で霞んでいる。
海外から新商品が届いた。
ゴルフクリップマーカー。
戦国武将真田幸村の兜と家紋六文銭をデザインした。
この一年間 戦国武将シリーズ ゴルフマーカーは実に売れた。
日本の政治家が大震災で右往左往、国民そっちのけで復興資金の
分捕り合戦が始まろうとしている。
真田幸村のような潔い政治家が出現して欲しい。
人事異動の辞令が下りた。
銀座4丁目のファッションビル勤務だった。
やっと2年間の皿洗いが終わるのだ。
それまで私が只まんじりと2年間を過ごしてしていた訳ではない。
水面下で必死の闘いをしていた。
いかなる嫌がらせにも耐える事、仕事に懸命に取り組みミスしない事、お客様に丁寧に接する事、 いつも、にこやかに振舞いをする。
軽食喫茶はビル一階の大きなフロアで他に物品、旅行業もあった。
(その2)で書いたあの石巻に同行した業者オヤジも物品納入で出入りしていた。
喫茶に来ると以前の田舎っぽいおじさんではなく、金縁メガネかけ、
金ぴか腕時計を付け、ド派手上着で、まるで猿が北島三郎の衣装を着ているようだ。
愛人まで作りトンネル会社の下請けで、いい思いをして羽振りよく
「遊ばなくっちや」と言い放つ、朴訥なオヤジがあぶく銭を掴むと
このように狂ってしまうのかと、冷ややかに見詰めた。
しかし1年が過ぎたあたりからオヤジに変化が見られ、
以前の田舎もんオヤジに戻り、寂しそうな表情で元気がなかった。
まもなく、トンネル会社と喧嘩になり辞めていった。
女子社員が水面下で応援の輪が広がっていった。
転勤した悪上司と部長も必死に暗躍していた。
将来は子会社にするのだと触れ回っていた。
28歳の若僧であるが私も一歩も引かなかった。
転勤しても陰湿な嫌がらせは続いた。
赴任初日、銀座の事務所に午前11時に出向くと
支配人(部長)に怒鳴られた。
私が定刻に来なかったからだ。
レストラン事業部の逃亡課長が11時に銀座営業部に行くように指示したが
これは店舗のオープン時間だった。
支配人は直に状況を察知して「あいつらまだ嫌がらせしている」と言った。
実際は10時に私が来て赴任の挨拶をすることになっていたが伏せていたのだ。
支配人も課長も「よく耐えた」と労ってくれた。
支配人が説明してくれた、なぜ新橋の軽食喫茶に異動したかの理由は
「君には能力的に無理なので、下請け会社で働いたほうが君の為だと思ってした善意を拒否した、致し方なくレストランで皿洗いが君の為だと思い異動させた」
私は黙って笑った。
最初の3ヶ月は売場で海外民芸品の販売をしたが、まもなく外商部に異動
して、商品企画と広告会社、ホテル、鉄道会社へのセールスプロモーション
に課長と組んで動き始めた。
しかし、依然とトンネル会社は存在していたが若手社員は無視した。
上層部に取り入ろうとしていたが、若手現場社員はトンネル会社の商品は
トラブルが多く取り扱わなかった。
面倒みてくれた支配人(部長)課長も1年後転勤した。
新しき部長、課長は商事物流部門の知識経験が無かった。
トンネル会社のおやじは取り入る工作をしていたが
上も自分達が現場知らないので命令も出来なかった。
トンネル会社社長は中元歳暮を贈ってきたが返した。
部長から飲むお誘いがあって飲み屋に行くと、トンネル会社社長が
待機していた。私は一言も発せず部長を無視して飲み屋を出た。
銀座に来て2年目、トンネル会社を子会社にする動きが
一部の幹部で画策していたが、役員登記をしてまもなく辞任した。
財務内容が悪いのと他社の販売実績もなく
多額の接待交際費がすべて上層部のポケットマネーであると判明した。
子会社化を図ろうとして自らインチキ会社を暴露してしまった。
ついにトンネル会社は消滅してしまった。
谷川岳衝立岩
トンネル会社を作った上司は退社して、自ら会社を作ったが1年足らずで
多額の借金を作り、その架空会社を騙して売ろうとしたが失敗して夜逃げした。
噂では毎夜、新宿クラブを飲み歩いていた。
不倫関係の女子社員にも逃げられた。
悪部長も身辺に及ぶ包囲網に慌てて逃げ回り、トンネル会社との癒着を否定した。
関連会社に異動になってまもなく癌発症してあっけなく死んだ。
因果応報は本当にあるのだと実感した。
現在では考えられない程のでたらめは日本バブルが始まり
あらゆる企業が高度成長を遂げ、余った金で関連会社を立ち上げ
余剰社員、問題社員を放り込み、お金を還流させた。
当時、内部告発は命懸け、コンプライアンスなどあるわけなく
社会常識より社内常識が優先された。
現在の逃電と同じだ。
インターネットという情報暴露手段もなく、理不尽な扱いに泣き寝入りか
退社しかなかった。
新橋の軽食喫茶に異動されてから、悪二人には遭うこともなかった。
墓に小便かけたいが場所が分からない。
しかし、責任逃れて甘い汁を一杯吸って、とぼけている上層部は
逃電役員のごとき何もせず出来ずに高給をもらい続けた。
4年間の戦いは終わったと思ったが、実はもっと大規模な事件が
始まろうとしていた。
続く