馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

(7)おもいでの夏 卒業。

2024-07-23 07:36:54 | 日記
「おもいでの夏 The Summer of '42」2022 ミシェル・ルグラン、Michel Legrand

僕は、海辺の街の一部上場証券会社に、アルバイトで
訪れた日を鮮明に記憶している。
1964年6月16日 昭和39年
株式相場の仕組みを2階の窓に面した机で女性に教わっていた。

ビルが左右に大きく揺れ出した。
左隣に座る女性が叫び声と同時に僕の腕を掴んだ。

1964年(昭和39年)6月16日13時1分40.7秒(JST)に、新潟県の粟島南方沖約40km(北緯38度22.2分 東経139度12.7分 深さ34km)を震源として発生した地震である[2]。地震の規模はM7.5(Mw7.6)[1]。

新潟地震




その女性がリツコさんであった。


僕が学んだ高校は戦前、旧制中学として
海軍兵学校の予備校として設立。
特殊な位置にあった。
昼間部 夜間部 通信教育部
90分授業
夏のスクーリング授業には
海軍白の制服を着用した横須賀工科学校の大柄な生徒が学んだ。
おおらかな学校であった。
黒板書きのバイトをしながら19歳で卒業。
全く勉強をしなかったので、心太のように押し出された。
リツコさんは、心配したのだ。
上場証券会社のサラリーマンは、高卒大卒申し分ない学歴。
僕の卒業では、一流企業入社は不可能。
リツコさんは知っていた。
「進学しなさい」。
このままでは、堕落な人生が待っている。
予備校に通うことにした。
しかし、入塾試験があった。
1年遅れの僕には、資格がなく
兄に身代わり受験をさせた。

後に兄は有名予備校の国語講師になった。
現在も無償でネット受験講座を持つ。
半年間で学ぶ。
その予備校には、後に有名になった
疑惑の銃弾の三浦和義がいた。

悪徳悪質芝信用金庫と韓国錯乱(86)三浦和義事件

学費がなかった。
野毛の図書館で学ぶ。

続く
PARA SIEMPRE VERANO DEL 42...wmv