日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

蜂が飛ぶ

2017-08-31 20:59:12 | 不思議なお話
こんばんは。
今日、気温は上がりましたが、とても爽やかな日でした。
というのも、かなり湿度が低かったからですね。
とはいえ、見ると40パーセント切ってます;。
これはこれでどうなんかいな、という感じですけれど。
大体が乾燥肌の方ですけれど、今日はやけに肌が乾く、顔が乾燥する感じがしまして。
家でいる分には殆ど化粧しないのもあり、しょっちゅう化粧水をつけておりました。
そう考えると、多少は化粧してる方が良いようなのですけれど。
朝はしかし雲が多く、このように乾燥するとは考えにくかったのですけどね。


                                    

昨日、蜂の怖い面ばかりを強調して書いていたように思います。
時期でもありますし、これも申した如く危ない面が最近は多々ありますので、それも兼ねて書いておりました。
ですけれど、今日は少し違った側面から見ていこうかと思います。
実際の蜂の行動云々よりも、そんな場面でいるのか、というようなことでしょうか。


                                                                        


このところ亡き主人の出場?回数が増えておりますけれど、やはり今日もその主人の登場となります。
まぁ、この人を引き合いに出すと、結構色んなことが出てきますのでそれでもいいかなぁ、とか思ったりもするのですけれど;。
それはともかく、蜂の話ですね。

これも随分と以前の話になります。
ある信者さんのご依頼で、その方のお墓に行った時のことだったそうです。
(その頃、自分自身は子供が小さかったのもあり、仕事へは同行しておりませんでした。)
季節は十二月、それも年末といえる位、かなり年も押し迫った頃のことだったかと思います。
二十数年前のことでもあり、最近に比べればまだまだ冬は寒かった頃のことです。
お墓のあるところは広島県の北部、三次というところで冬はかなり雪も降る地域でもあります。
とは言えその日、十二月であるにも関わらず、随分と暖かく小春日和であったようです。
そのような日にお墓へ行くと、その時期には既に冬ごもりをして、いないであろう蜂が飛んできたのだといいます。
それも一匹ではなく、何匹かがブンブンとお墓の周りを飛び始めたのだそうです。
最初は蜂がうるさいなぁ、と感じていたようでしたけれど、よく考えると季節は真冬ともいえる寒い頃、そのような時に蜜を探すでもなかろ
うに、何匹ものミツバチと思しき蜂がどこからともなく飛んで来たそうです。
信者さんが主人に
「まぁ珍しいですねぇ、今頃こんなに蜂が飛ぶなんて」
というと
「この蜂は、亡くなったご主人の御霊がこうして飛んで来ておるんよ。さっきから追い払っても逃げもせず、お墓の周りを飛んでおるでしょう」
と答えたのだそうです。
そう言われてみれば、蜂がいるのはその信者さんのお墓のある場所だけで、他のお墓には蜂はおろか別の虫すら飛んでいなかったといいます。
この日、信者さんや主人がお墓へ来たことを知り、とても懇意にしていたそのお墓の主はそのようにして蜂に姿を変え、嬉しい気持ちを表現した
のではと先生が話してくれたと、後日、その信者さんは私に語って下さったのでした。
自分もこの話を主人から直に聞いておるはずなのですけれど、先に申した如く、なんせ幼い息子の子育てに追われていた頃で、おそらく話を聞いて
いたとしても、右から左に流していたのかもしれません;。
我が家も主人が亡くなり、その信者さんのお宅へお祓いに伺うと、折につれこの時のことが話題に上ります。

「あの日は、車を下りると案外と暖かかったんよね。それでお墓に参るといくら暖かいというても冬の十二月に蜂がブンブンいうてお墓の周りを
 飛び出したんにはびっくりしたんよ。先生がこれは○○さんのご主人がこうして蜂に姿を変えて会いに来てくれたんじゃ、と言われたんよ。
 確かに考えてみたら不思議な話じゃしねぇ。はぁ、それでこの蜂らは追い払っても逃げずにおるんじゃねぇというて感心したんよ。
 お墓参りも終わって帰ろうかというて車に乗ると、今度は急に雪が降り始めてねぇ。さっきまであったかいねぇと話しておったのが、まるで
 嘘みたいなかったんよ。
 でも、嬉しかったねぇ。蜂でもなんでもああしてお父さんが自分らの前に姿を見せてくれたというのは、やっぱり御霊はあるんじゃろうねぇ。」  
このように懐かしむようにしてその方は話して下さいます。
蜂、それもミツバチ、しかも季節は冬の最中。
このような条件であったからこそ、尚更印象に残っておられるのかもしれません。


                                   
                                    

たまに、このように蜂に姿を変えて家族に会いに来てくれたのでは、という話を聞いたり見たりすることがあります。
蜂に限らず、蝶であるとかまたは鳥であるとか、何かしら別のものに成り代わるようにして存在を示してくれることも少なくないようですね。
もしかするとごく日常の中でも、このように自分達に認識出来る格好に変身?して案外と近くにおられる御霊もあるのかもしれません。
そのような気持ちで周りを見渡すと、また別の見方が出来てくるのかもしれませんね。


                                   


蜂の話から、最後は御霊の話になりましたけれど、明日から九月。
月半ばにはまたお彼岸を迎えます。
お墓参りには、少し気をつけて周りを見渡してみられてはどうでしょうか。
不思議なことに遭遇するかもしれませんよ。


本日もこのブログにお付き合い頂きまして、有難うございました。
感謝申し上げます。
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私の声と、ねこのお話

2017-08-19 21:29:25 | 不思議なお話
こんばんは。
暑かったです、今日も。
ですが、カラッとした暑さでしたので幾分かは凌ぎやすかったですね。
朝晩は随分と涼しくなりました、とはいえ今の時間、午後6時半、ツクツクボウシとヒグラシの両方が鳴いています。
セミ自身、いつ鳴いていいのか戸惑っているんでしょうかね。
面白いものです。
と、そんな日の朝は此方。
久しぶりの快晴でした。


                                 


昨日、不思議な話をと申しておりましたので少し時期はずれ?かとは思いますが、そんな話をしてみようかと思います。
ある人には普通にあることかもしれませんけれど。



                                   


以前住んでいた家では、今思うと不思議なことが結構ありました。
台所で夕飯の支度をしていると、二階から主人が下りて来て
「なんや?」
と尋ねます。
「え、なに?」
と聞くと
「今二階におったら、お父さん、と呼ぶけど、まぁええかと思うて返事せずにおったら、またお父さんと呼ぶんで、はいと言うたんじゃけど
 どうも聞こえんたったんか、もういっぺん、今度はお父さん!!と怒った声で呼ぶから、わし、何悪いことしたんじゃろ思うて下りて来たんよ」
と話してくれました。
その時、自分自身は主人のことを呼んだ覚えもありませんし、考えてもいませんでした。
そのことを主人にそう伝えると
「そうか、何にもないんなら、ええわ」
と言って、お互いさして気にもとめずにおりました。
こういうことは二ヶ月に一回位の頻度であったかと記憶しております。
特に怖いとも思わず、おかしいねぇというくらいの感覚でした。
実際に自分が階下から二階の主人を呼ぶと
「呼んだか~?」
と言って下りてきて、今の声と、よく聞こえる私の声?で主人を呼ぶその声は、こうして聞き比べる?とどこか少しくぐもったような感じがすると
気付いたようでした。
そうお互い思いつつも、やはりその後も結構頻繁にその声は聞こえているようでした。
いつぞやは、自分が出かけて帰って来ると
「あれ、おまえ、今戻ったんか?」
と聞くのでどうしたのか尋ねると、またいつもの声で主人を呼ぶので下に下りると私がいない、今帰ったというので不思議に思ったということ
でした。
ふぅん、そうなんじゃねぇ、とこれもまた全く普通に受け答えしていた自分でした。

                                  


主人の部屋でも面白いことが案外とあったようでした。
その時は、息子と主人と雄猫で、いわば男同士でその部屋に居た時のこと。
その部屋で主人はテレビゲームをしていたり、その傍らで息子は寝転がってマンガを読んでいたそうです。
息子の足をムギュッとばかりに猫が踏んづけたようで、さして気にもしなかったようでしたが、それが二、三回続き、ふと自分の足元を見た
けれどそこには猫の姿はなかったそうです。
猫自身は、主人のすぐ横で寝ていたのだとか。
あれ?と思いそのまま見ていると、部屋の片隅に置いてある布団の上を歩く、姿のない猫の足跡だけがどうしてだか見えていたそうです。
その様子を男三人?で眺めていたとのこと。
普通、そのようなおかしげなものがいれば、当然猫が一番先に反応しそうなものですが、全く何もせずにいたといいます。
もしかすると、以前にうちに居た、また別の猫がひょっこり遊びに来ていたのかもしません。


そのもう一匹の猫、これはその家に引っ越して来た時、一緒に前の家から連れてきた子でした。
この子は女の子で、元の飼い主さんは仕事でアメリカへ転勤されるとのことで、もちろん一緒に連れてかれる予定だったそうです。
しかし転勤の為、その住まいを離れることになった当日の朝、どこをどう探してもその猫は出てこず、泣く泣くその方の住まいの一階にある懇意に
しておられたレストランのオーナーさんに、出てきたらばくれぐれもよろしくと依頼され、旅立たれたそうです。
それからその猫は、しばらくすると姿を現したそうですが、レストランでそのまま飼うわけにもいかず、餌だけは貰いながらそのあたりでいた
ようでした。
ある日、そこへたまたま仕事帰りにお茶だかをしに行った主人がその猫を見かけ、猫の事情を聞いて、ならば自分が連れて帰ろう、と着物の懐へ
その子を入れて帰ってきたのでした。
それからこの子自身、色々とありましたけれど、その話はいずれまたとさせて下さい。
ともあれ、その子が我が家の二回目の引越しの後、しばらくするとかなり歳も取っていたのか段々と衰弱してき、最後は獣医さんのところで看取
りました。
その頃息子はまだ二歳かそこらで、息子自身、この猫の記憶は無いといいます。
この猫は息子の世話を良くしてくれていた子でした。
その猫が死んで二ヶ月かそこら経った頃でしょうか、息子と二人お風呂に入っていた時のことです。
居間においてある電話が鳴り、主人が出たのか「はい、○○です」と応える声が聞こえます。
あ、主人が出てくれたんだと思い、そのまま耳を澄ましておりましたが、その後が続きません。
あれ、おかしいな?と思いながらも入浴を終え、着替えを済ませていると主人の車が帰って来た音がします。
え?、今電話に出てたのにどういうこと?と思いながら、ただいま~と玄関を上がる当の本人に
「お父さん、十分前、どこにいた?うちにいなかった?」
と問うと
「十分前か、それなら下のスーパー辺りかな?」
と答えます。
「本当?」
と尚も聞くと
「今、帰ってきたばっかりじゃ。どうしたんよ?」
と不思議そうに尋ねるので、今しがたあったことをそのまま伝えました。
すると主人は
「それ、トモじゃないんか?(猫の名前です)あいつならそのくらいのこと、しかねんぞ」
と言います。
確かにそうかもしれないと思えました。
お風呂に入っていると、その家では実は居間の電話の音は聞こえないのが普通でした。
ですけれど、その時ははっきりと電話のベルの音もし、応える主人の声もはっきりと聞こえていたのでした。
応える声まではなんとかトモ自身、再生出来た?としてもそれ以上の会話の声は難しかったのかもしれません。
茶目っ気のあったあの子なら、そのくらいのことはしたのかも、と今思い出してもそう感じます。

                                   


あと、もう少し、此方のほうは自分でもちょっとね;、ということがありましたけれど、長くなりそうですので今日はこの辺りで終わらせて
頂こうと思います。
猫に関する話も、まだ色々とありますよ。
小出しにするつもりはないのですけれど、思い出すと結構ありそうですので、また書かせて頂ければと考えます。


                                  


元々、現実離れしたような話ばかりのこのブログ、毎回お付き合い頂きまして本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
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もしかして、ついてる?

2017-08-18 21:42:47 | 不思議なお話
こんばんは。
暑い一日でした。
とはいえ、全国的には雨が酷かったり、殊に関東辺りでは連続16日間降ったとかうかがいます。
こうなると作物に影響が出てきますよね。
野菜が高いとも聞いております。
陽射しがある季節には、やはりそのような天候でないといけないということですね。
そんな日のこの辺りの朝は、このような感じ。
此方も、朝はやはり曇りがちのようです。


                                  


昨日、だるいと書いておりましたがまだ抜けきれておりません;。
単純に歳、ということもあるんでしょうけれどね。
なんとか本調子に戻さねばと思いつつ、愚図っておる自分です。
誰かがなんか持ってきたかな~?置き土産かな~?とも思ったりしてるんですけれど;。
そういえば、先日遊びに来ていた友人君、今回はそうでもなかったのですけれど、以前一度だけ何かを持って来てた事がありました。
それがわかったのは、あることからでした。
                           

                                  

うちには猫がおります。
代々というか、結婚してから殆どいつも途切れずに猫を飼っているのですけれど、今もそんな子が一匹大きな顔をして住まっております。
何故か、と問われてもどうしてでしょうね、以前は自分自身、どちらかというと犬のほうが好きだったのですけれど、主人自身が一緒になる
前から本人がどこかで拾ってきたりだとか、飼い主が転勤で居なくなったのを連れて帰ったりだとかでうちへやってきた子ばかりです。
そうやってうちに来る子ばかりでしたので、いつの間にか自分の方があれこれと世話をするようになっておりました。
今居る子は、息子が大学から連れて戻ってきました。
それも、原付の荷物入れの中に、籠も何もなくそのまま子猫を放り込んで、くねくねの峠道を走って帰ってきたのでした。
ブゥーンと音がして、あ息子が戻ったと思うと、荷物入れをパカッと開けた途端に「ニャアーーーッ!!」という悲鳴のような声が。
息子の手には、まさにその手の平ほどの子猫が握られていました。
「えっ?!」
と驚く自分に
「連れて帰ったよ」
と息子。
いや、いくらなんでもと思いつつも、今更またあのくねくね峠を通り大学へ連れ戻せともいえず、少し落ち着いたのか先ほどまでこれでもか的に
鳴いていたその子猫は、息子の手の平の中で今度はひとしきりゴロゴロと喉を鳴らし始めておりました。
もうこうなるといけません;。
覚悟を決めてうちの子にすることにしました。
これまでにも色んなタイプの猫がいましたが、この子は割りと人見知りなようで、うちへ来る人にすぐには打ち解けません。
もっとも、ご相談に来る方などには、これまでも歴代の猫はそのどれもが気配を消したかのように姿を見せなくなり、その方がお帰りになると
いつの間にか現れるというのが普通でした。
ですけれど自分たちの知り合いや友人には、最初は警戒していても、二度目からは「なんだ、こいつか」というような顔をしてごく普通に舞って
おります。
特にこの子はそんな子ですので、先だっての友人君などは既に彼女(そう、猫は女の子です)の周知の人物でもあり、あ、また来てるのかという
顔をして過ごしております。
そんなお互いの間柄のこの二人?なのですけれど、ある日、この友人君がいつものように遊びに来たときのことです。
彼女は、たまに外で出かけるのですが、戻るときは大概台所の窓から帰ってきます。
たまたまその日は、その窓際の椅子に彼が座っており、猫が戻ったようだから窓開けたげて、と言って彼に窓を開けてもらいました。
窓を開けて彼の顔を見た瞬間、猫自身は
「ハァーーーッ!!!」
と今まで見たこともないような物凄い形相になり彼を思い切り威嚇して、今戻ったばかりというのに、すぐまた飛び出して行きました。
「えっ?なんで?僕、悪いことしました;?」
と戸惑う彼に
「なんか連れて来たんじゃろ、お祓いしよう」
と食べかけのご飯もそのままに彼を神殿に呼び、神前にて彼にお祓いを致しました。
当の本人は何が何やらさっぱりわけがわからない様子でしたけれど、自分と息子は猫のその様子からただならぬものを感じ、即座にそのように
したのでした。
お祓いをした後で、彼にここ最近どこかへ行かなかったか?誰かと会わなかったか等聞いてみましたが、思い当たる節は無いようでした。
猫が出て行ってかなり経ちましたが戻る気配がありません。
その後随分と時間が経って、やっと帰ってきましたが、この時には彼の顔を見ても先ほどのような様相は見せず、いつも通りに接しておりました。
何を彼が連れてきたのか、付いてきたのか定かではありませんでしたが、一応一件落着ということになりました。
彼自身は全くこのようなことには無頓着なようですので、わからなかったのだろうと思います。
けれども、その時にうちに来ていなかったならば、わからぬまま彼自身何かと或いは誰かと未だに一緒だったのかもしれません、あくまで憶測で
すけれど。


                                

うちに限らず、お宮ではよく猫を飼っておられるところが多いようです。
昔から猫は「魔に強い」といわれてるようで、そのような事からも飼われるところもあるようです。
ただしこの子達は、一方でグルメでもあります。
気に入らないものは、どんだけ置いておいても、フンとでもいうような顔をして一瞥し見向きもしません。
置いときゃそのうち食べるでしょ、といわれそうですが、どのようにしても食べません。
これが外の子、いわば野良ならば話は別でしょうけれど、飼われている子はその点、人間を見透かしているかのように、此方をうまい具合に
使ってくれます。
気に入ったら食べてやるけど、それ以外は見るのも嫌だという態度をとります。
自分などは、食べないならそれでいいよ、勝手にしなさい、と猫の目の前で叱りながらも結果的には猫の食べてくれそうなものをあれこれ探し
ては買ってくる始末です。
何もそこまでしなくても、という感じもしますがこの子は家族だと思うと、つい甘やかしてしまうのかもしれません。
一体どちらが上なのか、立場が逆転しているようなのが猫という種族なのかもしれませんね。


                                



不思議な話の続きを書くつもりが、いつの間にか猫の話に終始してしまいました。
またいずれ、不思議な話の続きを書いてみようかと思います。



今日もこんなオバサンのブログへのお付き合い、有難うございました。
感謝申し上げます。


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このだるさって

2017-08-17 21:42:18 | 不思議なお話
こんばんは。
午前中から気温も上がり、かなり暑くなってきていましたが午後からはゲリラ雷雨となり、ゴロゴロの雷鳴に続き一時は激しい雨となりました。
雨脚は強かったですが、その分それほど長くは続かず、まぁまぁのお湿りだったかなということろでしたね。
そんな日の朝は此方。
雲多めで始まった感じです。


                                 

日中、雷雨の前の空はこのような感じ。
カンカン照りでしたけれど、じきに雲に覆われて窓を閉めておかないと吹きしぶるような時もありました。


                                 


ところによってはまだお休みの方もおられるようですけれど、大抵が今日辺りからお盆後の仕事始めとなられたようですね。
ここ何日か、朝はあまり車の音もしませんでしたけれど、今朝はかなり早くから仕事へ出向く方の車の音が聞こえておりました。
それでも学校はまだしばらくお休みのようですし、賑やかというにはまだ遠い感じの朝ではありました。


                                 

息子やその友人、また自分の弟などが帰省したり遊びに来たりで、狭い我が家がそれなりに賑わっておりましたが、さすがに今日はいつもの
ペースとなり、その分少しホッとしているところでもあります。
ですけれど昨日も少し書きましたが、どうにも底だるさが抜けずグズグズしております。

                                   
                                 

その昔、どうしてなのか、朝からどうにも身体が言うことを聞かないほど重くだるく、歩くその一歩にさえも考えるようなことがありました。
そうかと思うと、街中の道を歩いていると急に寒気を覚えて真夏というのに一人震えるほどの悪寒がしたりという体験がよくありました。
こうなると、さながら歯の根も合わない位震えてきて、自分自身対処のしようがなく、ともかくじっとそのような事が終わりを告げるまで耐え
忍んでいたようなこともままありました。
どうして自分がそんなことになるのか、皆目検討もつかず、なんでだろう?と疑問に思ってもそれを知る術も持たず、一人でしんどい時を過ごす
ばかりでした。
これは後にわかったことですけれど、どうやら俗にいう霊障というものだったようです。
無防備で街中やあるいは病院などに見舞いに行くと、自分で呼んでもいないのに(当たり前ですけれど;)不意に向こうから自分に対して寄りか
かって来ることがあったようです。
なんというか早い話が、波長が合うという感じだったのでしょうね。
自分でそうしたくてしているわけでは決してありませんけれど、似たようなタイプのその類、いわば低い波動のエネルギー体とでもいうので
しょうか、目に見えぬけれど存在はしているそれらの類に乗っかられていたんでしょうね。
もっとわかりやすくいえば、要するに幽霊とかいわれる類のものですね。
乗っかる方はいいですけれど、乗られるこちら側はたまったものではありません;。
ですのでそのような時は、殊に若い頃はさっきまで元気にしていたのに、急に暗い顔をしてどうしたんだ?と周りに訝しがられていたようです。

そんなしんどい思いをしなくなったのは、いうまでもなく主人と結婚し、曲がりなりにもこの仕事に就いてからです。
自分で神主の衣装を身につけ、その気になって周りを感じると、其処此処へそのようなものの気配が感じ取れるようになってきました。
自分の場合は、あくまでも感じる方で、見えるというよりも頭の中にイメージ、映像として認識できるという方が合っているように思います。
ですので仕事でそのモードというのか、そのようなバリアを張ったような状態ですと自分で意識してガードをしているわけですから、それほど
がっくりきたりということはなくなりました。

仕事の際には、そのように構えている分、殆ど身体に堪えることはありませんけれど、ごくまれになんにもない様なところで、がっくりくるような
こともあります。
いつだったか、あるお店で買い物をしていると急に気分が悪くなり、たまたま近くにいた店員さんが大丈夫ですか?と声を掛けて下さったのです
けれど、しばらくその場を動けなかったこともあります。
家に帰りそのことを夕飯時に話していると、主人が
「あそこは、その昔殺人事件があった場所だ」
と言い出しました。
話を聞くと、確かにそのようなことがあったらしくどうやら未解決のまま迷宮入りしたようでした。
これも失礼な話かもしれませんけれど、たまたまその場へ居た自分と波長の合ったその人が何か話しかけてきたのかもしれませんね。
身構えていなかった分、以前のようにがっくりきたのかもしれません。



今でこそ、さほどそのような目に合うことも少なくなりましたが、以前はそれこそしょっちゅうでしたし、結婚後最初の子供が生まれるまでは、
そのような時には『大祓い』という祝詞をあげる様にしておりました。
そらで覚えるには多少長い祝詞ではありますが、もし自分のような事によく遭遇するという人などは覚えておかれるとよいかもしれません。
自分自身はこれで防げたと思っておりますけれど、穿った見方、今にして思えば自己暗示的な面もあったのかなとも感じます。(こういうこと
をいってると、神主はもぐりか?と疑われそうですけれどね;)
この祝詞、神様がどのようにして国を造ったかということをそのまま述べたような、ちょっとした物語のようなものでもあり、どのようにして祓い
を致すのかということを説明されているようなものともいえます。
最初は少し難しいかもしれませんけれど、そこは日本語、わからぬままに唱えておられても、そのうち意味はお分かりになるかと思います。
自分の場合はひと夏毎晩、主人と共に一巻ずつ奏上致すことにより、覚えさせて頂いておりました。
ただし、自分の時には主人という手本がおりましたので案外早く覚えられたのかもしれません。
けれど、主人自身は神主になる際、一週間で覚えろと教師にいわれ、そんなの無理だと反論すると
「神さんがしたことをおまえらにしろと言っとるんじゃない。人間がしたことをしろと言うとるんだ。わしらが出来たことをおまえらが出来んわけ
 がなかろう」
と神様を引き合いに出して;!?説得されたそうです。
それから比べると、おまえが覚えるのはものすごく簡単なことだ、とこれは自分が主人から言われたことでした;。
今はネットで検索しれれば手本となる音声も幾つかあるかと思います。
試しになさってみられては、と思います。


                                  


このだるさ、みんながおいていった、あれやこれやもあるのかな~、なんぞと思いながら過ごしております。
まぁ、そうは言いつつも一度きちんと身体のメンテナンスをして来ねばね、と考えるところです。 




今日もこのブロブにお付き合い頂きまして有難うございました。
感謝申し上げます。


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忽然と消える 

2017-08-07 22:30:30 | 不思議なお話
こんばんは。
夜半から朝方、というよりも昼に掛けては台風5号の影響で雨模様でしたが、最初の予報の進路より少しずれたせいか、それほど酷くもならずに
済みました。
多少の風はありましたが、お蔭様でこの辺りは稲が倒れるほどのこともなく済まさせて頂けました、有難い事です。
ですけれど、今現在台風の進路に当たる方、また通過後もかなりの被害のあられた地域の皆様にはお見舞い申し上げます。

そのような日の朝は、此方のようなお天気でした。


                                


昨日の続きを、と考えておりましたが少し趣向を変えて書かせて頂きますね。

このブログでブックマークさせて頂いております癒し雑貨店長の加藤さんから買い求めました香りのお試し品があるのですけれど、少しづつを
小さな小分けのビンに入れたものを幾つか持っております。
様々な香りを試せるように、親切にも彼女自身がそのように考えて販売されております。
その香りのビンを送って頂いた小袋毎、自分は一つの大袋に入れて置いているのですが、一昨日いつものように、その香りの中から何種類かを
取り出し、紙の栞に付けて香らせようとしていました。
ところが、いつも自分で保管しているはずの鏡台の上にその袋が見当たらないのです。
え、おかしいな?いつも此処へ置いておくのに?と思いながら、その周辺を鏡台の椅子の向こうに落ちているんじゃないか、と思いながら探すの
ですが、全く見つかりません。
あれぇ、変だなぁ、此処しか置かないのになぁ、と自分で自分にクエスチョンマークを出しながらほかの場所を探すのですが、やはり出てきません。
置くわけもないのに、と考えつつも二階の部屋を探したり、まさか無いよね?と思いながら神殿を見渡したりしますが、一向に見つかる気配すら
ありません。
仕方ないなぁ、またどっか飛ばしたかなぁ、そう自分で自分に考えておりました。


                                 


昔からなのですけれど、何がしかがあると、いえ無くても;、ともすれば自分が大事にしているものをどこかへ飛ばしたのか、という位、物が
どこかへ行くことがあります。
無くす或いは見えなくなる少し前、自分でも無意識にその物に対して、これ、今はいいかなぁ、とか新しいのが欲しいなぁとかということを
チラッと頭のどこかで考えているようなのです、どうやら;。
で、そんなチラリと考えたことなど当然無かったかのようにして忘れてしまい、しばらくするとその物が見えなくなるという仕組み?になって
いるように感じます。
なんというのか、自分の思いをその物が受け取り、
『あ、ワタシ、今いらないのね。じゃぁしばらく消えておこう』
と、まるでその物自体が考えているように感じます。
消えたその物はどこへあるのか、本当に消えているのかどうか、それは定かではありませんが、しばらくの間は、いくら探したとてその物が出て
くることはありません。
本当に自分でも不思議です。

以前は、よく使う湯のみとかが無くなり、あれ、無いや、と思っていると台所の流しの引き出しの中から出てきたりすることがありました。
なんで、此処?と思いつつも、まぁあったから良しとするかとあまり頓着もせず、今一度その湯飲みを洗って普通に使っておりました。
或いは鋏など、どうして此処から出てくるの?的な場所から見つかることもままありました。

                             
                                                                     


息子などは、このようなことが頻回に起こり、自分の注意欠如なのかもしれない、とよく自分で自分に怒り落ち込んでおりました。
確かに、自分でそのものの場所を決めておいても、つい何も考えずに全く別の場所へ置くこともあるようなのですけれど、此方から見ていると
どうやら彼自身も、物を無くす前には、その物自体に対して何がしかの悪態(失礼;)をついておることがままあります。
そうしてしばらくすると
「あ~、ない!原付のキーがない!もう出掛けんといけんのに;!」
と半分怒りながら探していたりします;。
そうなると自分も一緒に探さざるを得ず、家中をあっちかこっちか、と探し回ります。
大抵はやはり、どうしてそこへ置きました?という場所から出てくることがあるのですけれど、無い場合は仕方なくスペアキーを使って出掛けて
おりました。
それでも、いつぞやはそのスペアキーもどこかへ行ってしまい、殆どパニックになっておりましたが、そんな時はこれもまた不思議なことに、
先ほど探した時には無かった同じ場所から不意に出てくることがありました。
もうどう考えても、物自体が
『しょうがないねぇ、じゃぁ出てやるか』
と向こうが折れてくれて?出てくるように感じられたのでした。
そんな折には息子は文句タラタラ言っておりますが彼が出掛けた後、その物に対してごめんね、気をつけるから、と心の中で息子に代わり;?
謝っておきます。
そうすると、あれほど無い無いと大騒ぎをしていた物がそれ以降は消えるということはほぼなくなるようでした。

                                     


今回、自分のその大事にしております香りの大袋、どうなったかと申しますと今日無事に出てきてくれました、ホッとしております:。
綺麗に整理整頓しておかねば、と息子にはいうくせに自分が出来ておりませんでして;;、今回ずっと気になっていた鏡台の周りやらごちゃごゃと
した棚を、いらないものは処分してスッキリとさせました。
そうするうちに、最後に本と本の間に挟まるようにして、その袋がありました、本当に良かったです。
どうやら先日読んだ本と一緒に棚の中へ無造作に入れてしまったようでした。
息子のことをとやかく言える立場では到底ありませんね、反省しております;。
そうしてその香りの袋にごめんね、もう悪いこと思いません、と謝っておきました。


                                  

自分の思いで、物をどこかへ飛ばしてしまうのか、或いはたまたまそのように感じるだけなのか、実際のところはよくわかりません。
ですけれど、先ほども書きましたように、同じ場所を探しても一度目は見つからず、後でもう一度探すと、え、さっきは無かったのに、という
ことがよくあります。
これは以前、自分自身がまるで神隠しにあった時に良く似ているようにも思えます。
それこそ、物そのものがまるで次元の違うところへ隠れてしまっているようです。
出てくるのは、やはり人間側の出てきて欲しいという思い、念が今一度、その物の姿を目の前に現させているようにも思えます。
果たしてそうであるかどうか、それこそ物のみぞ知る、いえ神のみぞ知る、ということなのかもしれませんね。


                                  


ただ、どうしても出てこない物もこれまでにありました。
主人が亡くなる少し前、息子が財布が欲しいというので、主人が使っていた長財布を渡してやったことがあります。
それは以前、主人の誕生日に自分がプレゼントした品でした。
介護が要る生活となり、その財布も本人が使うことも無くなったので、一応主人に了解を得て、息子に譲ってやりました。
さほど高価なものではありませんでしたけれど、黒い本皮の割と上品な物でした。
それを持たせてどのくらいでしょうか、ひと月かそこらだったでしょうか、その財布を息子が無くしてしまいました。
おそらくあそこではないのか、と検討をつけたのはよく行くスーパーでしたが、本人自身、スーパーで車に乗り込む際、しっかりと自分の鞄に
入れたのは覚えていると言います。
自分もその時は息子がそのようにしたのは見ておりましたし、それでも落としたのかもということでそのスーパーにも落し物の届出をしておき
ましたが、結果的には出てくることはありませんでした。

その後、今度は自分が使うポーチを無くしました。
その中には主人の母、姑が生前使っていたという印鑑を入れてその中にいれ、それを鞄に入れ、持ち歩いていたものでした。
結婚後、主人から銀行印に使うといい、と言って譲り受けていた印鑑でした。
ある時、郵便局でその印鑑を使い、自分ではそのポーチを鞄に仕舞ったはずでしたが、帰宅するとそのポーチごと無くなっており、もう一度郵便局
に出向き、ポーチのことを尋ねましたが落し物としては預かっていないと言われました。
警察にも届けましたが、連絡はくることはありませんでした。

この話を、以前やはり此処で話した風呂敷を担いだ主人と会ったという彼女にすると
「ご主人と一緒に帰っていったんじゃない?」
といわれました。
そうなのかな、だとすると自分に関わるものは引き取っていったのかしらん、それとも物の方が自分でついて行きたかったのかな、ともその時に
感じたことでした。


                                  


無くなる物、案外その物自身、自体が意思をもっているのでしょうか、自分でこの話を書きながら感じたことです。
皆さんには経験がおありではないでしょうか。
あるという方は、案外ご自分の思いで飛ばしちゃってるのかもしれませんよ。
そんな時には、どうぞ一言、ごめんねとおっしゃってみて下さい。
今度はすんなりと出てきてくれるかもしれません。


今日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。
感謝申し上げます。
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