こんばんは。
今朝は揺れで目が覚めました;。
といっても大した事はなかったのですけれどなんせ寝てるのが相当に古い家屋、少し揺れただけでもうわっ;;と感じてしまう位です。
そしてまたああいう時は一瞬で起きてしまうものですね。
いつ何があるかわからない昨今、気をつけると共に持ち出しようの非常用バッグ、真剣に備えておかなければと思っております(すみません;
いつまで経っても何とかなるさ;が根底にあるもので)
そんな日はこれが揺れの原因だったの?と思うくらいの強風も吹いておりました。
学校も今日から始まりましたが、初日にしてはちょっと厳しい天候からの始まりとなったようです。
そんなわけで6時台から7時台にかけての空の様子を写してみました(単なる趣味;です)
お天気の話題をもう少し続けると、風がかなり強く時たま突風が吹く時があり、また雪起こしの風かもと考えておりますと、雨かなと感じていた
ものが次第に霙となり、とうとう最後は本当に雪に変わってきておりました。
あらら、このまま積もるの?という感じでしたけれど、時折曇ったかと思うと一転晴れ渡ってみたりと目まぐるしく変わるお天気となった
ようです。
明日朝から立て続けで会社の新年祭から始まり北方面に向けてのお祓いが入っており、道路は大丈夫だろうけど、でも降らないでね、と思って
おるところですね。
広島は沿岸部はそうでもありませんけれど、広島市内でも安佐北区(あさきたく)といわれる区は、ともすれば島根県の天気予報を見たほうが早
いとその地域の方がいわれるほど、お天気は島根寄りのようです。
自分の住まう安佐南区も旧市内と比べれば遥かに雪になる確率は高く、このあたりでも冬場はよく走る方などはシーズン初めにはスタッドレスタ
イアに履き替えるくらいです。
まぁ大抵そこまで酷い積雪にはならないでしょうから、大丈夫かと思います。
懸念していた喉の痛みも大分治まってきました。
今回手持ちの市販薬も何もなかったので全く何もせず、その代わり声を極力出さないようにして過ごしました;(いつもとおんなじだな;)
普通に喋るのは何ともありませんが、祝詞をあげようとして声を出すとそれなりに喉に負担が来るようです。
ですので今朝の奏上もどことなく棒読みな祝詞奏上となっておりました。
もっとも祝詞を上げるのに、こうしなくてはならないという決まりがあるわけではありません。
よく耳にされる独特の節回しを持った祝詞の奏上のように感じられるかと思いますけれど、その人各人がご自分にあったような奏上の仕方を
身に付けておられるのだろうと思います。
本来は人間の願いを間に立つ仲取り持ちとしての神主が神様に申し上げる言葉が祝詞であると言われておりますので、人間に聞いてもらうのが
主体なのではなく、あくまで神様へ奏上致すのがその目的とされておりますので、どのように奏上しても構わないとされていたようです。
祝詞奏上の仕方?について話が出ましたので、もう少し話をしてみることと致しますね、
主人と一緒になった頃、大社へよく参拝致しておりましたけれど、その中に大國(おおぐに)先生という方がおられました。
今の出雲大社の国造のお父上、いわば前国造とほぼ年代か同じ位であられたと聞いておりました。(その当時でかなりの年齢であられました)
参拝致しますと何故かよくこの先生に祝詞奏上して頂くことが多かったように思います。
他の神官方はそうでもないのに、この先生が上げる祝詞はどう聴いても決して上手いとは思えず、まるで小学生の本読みのようにとつとつとして
おられました。
その頃殆ど知識のない自分は、どうしてあのような方が神官としておられるのだろうかとその疑問を主人にぶつけると、この先生ご自身、祝詞を
上げながら依頼者の方の背景が自ずと頭に入って来られるらしく、祝詞の途中でも何回も詰まることがある、と話してくれました。
確かに奏上なさりながらもふとその言葉が途切れ、え;、と此方が心配するほど間が空くことが多々ありました。
頭の中に入る情報を片方で処理しながら?祝詞を上げるので、知らず知らずに途切れてしまうこともあるようでした。
主人の言葉で言えば、ある意味霊感のある人、霊能者であられたとのことでした。
ひと様に聴かせるための祝詞奏上ではなく、あくまで神様に対して申し上げる奏上であられたのだと思います。
その意味では前述の前国造もそのようなお方であられましたね。
祝詞奏上のお声は今でこそ祭りの折にはマイクを通して我々の耳にも届いて参りますが、前国造の頃はよしんばそれがあったとしてもほとんど
声が聞こえず、国造ご本人と神様との間でなされる、まさに秘めた神事であられたように思います。
本来は祭りとはそのようなものである、というお考えであられたのかもしれません。
凡人の自分には推し量ることの出来ない世界です。
とはいえ祝詞奏上はその殆どが朗々とした声で上げておられるのが実際かと思います。
神社へお越しになった際には神主さんの上げる祝詞の声に耳を澄ませてみられればと思います。
そんな声が出にくい祝詞奏上でしたけれど、頭には変わらず言葉が入って来ました。
〝 そなた 影(陰)のある方 気になるか? そちらへ目を向けると 一層強調される
ならば光の当たる 明るい方へこそ 目を向けよ
そうすることで より日の当たる面が広がり 影の部分も 日が照ることになる
日の当たる方を 見よ 〟
続いて瀬織津姫?
“ 我は 瀬織津 我はどこへでも 清らかなせせらぎや 湧き水のような処でも
どこでも 遍くおります
鈴張(すずはり)の(あの水神の)社へ 来て下さい
春の頃 待っております ”
頭で聴きながら蝋梅の良い香りがふわ~っと時折漂ってくる 不思議
後で蝋梅に鼻を近づけて香ってみると なんとなく香りが違うよう やはり不思議
瀬織津姫が出てくる前? 水中の映像 最初流れの中 魚も泳いでいる 澄んだ流れ 色々な水の中 流れの中が見えている
時たま外(空)の青さが鮮やかになったりする 日本ではなく 海外とか?(ハワイ?) 心地よい
外はごうっという風の音 風のエレメント?とも感じる
上の部分はこれはいつもの大神の言葉のようです。
これも昨日の言葉の補足のようでもありますね。
元々大神の話す言葉はそれほど長くなく、一言だけということも少なくありません。
このように長く話されるということ自体、これまでには無かったかと感じております。
というよりも、このように話しておられたとしても今までは自分の頭の中だけで受け答えをし、後で書き出して文章化するということはしており
ませんでしたので、こうして改めて書いてみると案外長いものであったということがわかったのかもしれません。
それにしても、話の内容自体、自分自身が普段は案外ネガティブ;であるのが分かるかと思います。
一人でいる時間が長いと、うちに籠る感じになるので余計かもしれませんけれど。
しゃべる相手がそばにおれば、うるさいほど話しておるオバサンではありますよ;。
それとは関係なく、言われたように陰の部分を考えると余計にそちらへ引き寄せられてしまう、ならばいっそ明るい部分に着目せよということな
のだと感じております。
考えれば考えるほどドツボにはまるという時がありますが、まさにそのようなもので暗い方へ目を向けるとなお一層そうなってしまうということ
だと思います。
笑うくらい明るいことばかりを考えておれば、暗い部分も吹き飛ぶように明るさがその大半を占めてくるのだと考えます。
一人で居ても、何かワハハと笑えることを敢えて見つけて明るくしておくこと、それが一番なのかもしれませんね。
次に頭に浮かんだのが瀬織津姫でした。
その声が響く前に、頭の中に水中の映像が浮かんで来ました。
流れの中を見ているようです。
その中には小魚も見えます、少し視線を上に向けると空も感じられるようです。
その空の色も、また水の中の感じも刻々と変わり、最初は日本の小川の流れの中であったものが次第に明るい陽光の射す南国の水中にいるよう
でした。
そのようなことを感じながら聴こえてきた言葉でした。
鈴張というのは、地名でして以前うちの講社(広島敬神講社)があったところでもあります。
以前にも話しましたけれど、かなり以前に主人の下へおられた方が独立する形となりましたので、そこからはうちの講社は退きました。
それはともかく、その以前に講社の近くに古い祠(ほこら)があり、どうやらそこへは随分昔に岡山の最上稲荷よりお札を頂戴してこられた水神
様が祀られておられたようでした。
主人が鈴張へ講社を開いた際に、屋根の瓦も落ちかかっていたその祠を地元の方にどうにかしてほしいと話しを持ちかけられ、有志の方のご尽力
によりその祠も立派に整備され、今一度水神様を祀るお祭りを春に致すようになった経緯がありました。
自分らがその鈴張へ参っておりました頃は毎年、春にお祭りをかかさず致しておりましたが、その後は跡を継いだ方にお任せ致しましたので現在は
どのようであられるのか、よく存じません。
ともあれお呼びが掛かりましたのは瀬織津姫からですので、言われたように春の頃、参らせて頂こうかと思います。
祠のすぐ下には細い流れが今でもあるところです。
またそれとは別に瀬織津姫が坐しますとされる処も自ら語って下さったようですね。
姫の坐します場所そのものを頭の中で再現して下さったのが自分が映像として捉えた景色だったのかもしれません。
瀬織津姫が坐しますということは龍もその場におるのかもしれません。
以前はそこまで感じておりませんでしたけれど、次回参ります折には、これもまた感じ取ってみたいと思います。
姫の言葉を聴きながら、時折ふと神殿のすぐ傍に活けてある蝋梅の花の香りが鼻をくすぐるようでした。
とはいえいつもはそこまで香ることも少ないけどなとも頭の半分で感じながら、後にその蝋梅に近づいて香ってみましたけれど、先ほどの香り
とは似てはいるものの、少し違うように思えました。
良く瀬織津姫が登場?する際には香りがすると聞いておりますけれどその香りだったのでしょうか、なんとも不思議な感覚でした。
久々で女神様の登場であられたようです。
大体自分自身が大雑把でサバサバした感じですので;、たおやかな女性の神様はお越しになりにくいのかも?しれません;。
それでもこのようにお越し頂けたことはこの上ない喜びと感じております。
今年はこれまで以上に多くの神々、存在とも繋がりが持てればと考えております。
どのような展開になっていくのか、自分でも楽しみですね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今朝は揺れで目が覚めました;。
といっても大した事はなかったのですけれどなんせ寝てるのが相当に古い家屋、少し揺れただけでもうわっ;;と感じてしまう位です。
そしてまたああいう時は一瞬で起きてしまうものですね。
いつ何があるかわからない昨今、気をつけると共に持ち出しようの非常用バッグ、真剣に備えておかなければと思っております(すみません;
いつまで経っても何とかなるさ;が根底にあるもので)
そんな日はこれが揺れの原因だったの?と思うくらいの強風も吹いておりました。
学校も今日から始まりましたが、初日にしてはちょっと厳しい天候からの始まりとなったようです。
そんなわけで6時台から7時台にかけての空の様子を写してみました(単なる趣味;です)
お天気の話題をもう少し続けると、風がかなり強く時たま突風が吹く時があり、また雪起こしの風かもと考えておりますと、雨かなと感じていた
ものが次第に霙となり、とうとう最後は本当に雪に変わってきておりました。
あらら、このまま積もるの?という感じでしたけれど、時折曇ったかと思うと一転晴れ渡ってみたりと目まぐるしく変わるお天気となった
ようです。
明日朝から立て続けで会社の新年祭から始まり北方面に向けてのお祓いが入っており、道路は大丈夫だろうけど、でも降らないでね、と思って
おるところですね。
広島は沿岸部はそうでもありませんけれど、広島市内でも安佐北区(あさきたく)といわれる区は、ともすれば島根県の天気予報を見たほうが早
いとその地域の方がいわれるほど、お天気は島根寄りのようです。
自分の住まう安佐南区も旧市内と比べれば遥かに雪になる確率は高く、このあたりでも冬場はよく走る方などはシーズン初めにはスタッドレスタ
イアに履き替えるくらいです。
まぁ大抵そこまで酷い積雪にはならないでしょうから、大丈夫かと思います。
懸念していた喉の痛みも大分治まってきました。
今回手持ちの市販薬も何もなかったので全く何もせず、その代わり声を極力出さないようにして過ごしました;(いつもとおんなじだな;)
普通に喋るのは何ともありませんが、祝詞をあげようとして声を出すとそれなりに喉に負担が来るようです。
ですので今朝の奏上もどことなく棒読みな祝詞奏上となっておりました。
もっとも祝詞を上げるのに、こうしなくてはならないという決まりがあるわけではありません。
よく耳にされる独特の節回しを持った祝詞の奏上のように感じられるかと思いますけれど、その人各人がご自分にあったような奏上の仕方を
身に付けておられるのだろうと思います。
本来は人間の願いを間に立つ仲取り持ちとしての神主が神様に申し上げる言葉が祝詞であると言われておりますので、人間に聞いてもらうのが
主体なのではなく、あくまで神様へ奏上致すのがその目的とされておりますので、どのように奏上しても構わないとされていたようです。
祝詞奏上の仕方?について話が出ましたので、もう少し話をしてみることと致しますね、
主人と一緒になった頃、大社へよく参拝致しておりましたけれど、その中に大國(おおぐに)先生という方がおられました。
今の出雲大社の国造のお父上、いわば前国造とほぼ年代か同じ位であられたと聞いておりました。(その当時でかなりの年齢であられました)
参拝致しますと何故かよくこの先生に祝詞奏上して頂くことが多かったように思います。
他の神官方はそうでもないのに、この先生が上げる祝詞はどう聴いても決して上手いとは思えず、まるで小学生の本読みのようにとつとつとして
おられました。
その頃殆ど知識のない自分は、どうしてあのような方が神官としておられるのだろうかとその疑問を主人にぶつけると、この先生ご自身、祝詞を
上げながら依頼者の方の背景が自ずと頭に入って来られるらしく、祝詞の途中でも何回も詰まることがある、と話してくれました。
確かに奏上なさりながらもふとその言葉が途切れ、え;、と此方が心配するほど間が空くことが多々ありました。
頭の中に入る情報を片方で処理しながら?祝詞を上げるので、知らず知らずに途切れてしまうこともあるようでした。
主人の言葉で言えば、ある意味霊感のある人、霊能者であられたとのことでした。
ひと様に聴かせるための祝詞奏上ではなく、あくまで神様に対して申し上げる奏上であられたのだと思います。
その意味では前述の前国造もそのようなお方であられましたね。
祝詞奏上のお声は今でこそ祭りの折にはマイクを通して我々の耳にも届いて参りますが、前国造の頃はよしんばそれがあったとしてもほとんど
声が聞こえず、国造ご本人と神様との間でなされる、まさに秘めた神事であられたように思います。
本来は祭りとはそのようなものである、というお考えであられたのかもしれません。
凡人の自分には推し量ることの出来ない世界です。
とはいえ祝詞奏上はその殆どが朗々とした声で上げておられるのが実際かと思います。
神社へお越しになった際には神主さんの上げる祝詞の声に耳を澄ませてみられればと思います。
そんな声が出にくい祝詞奏上でしたけれど、頭には変わらず言葉が入って来ました。
〝 そなた 影(陰)のある方 気になるか? そちらへ目を向けると 一層強調される
ならば光の当たる 明るい方へこそ 目を向けよ
そうすることで より日の当たる面が広がり 影の部分も 日が照ることになる
日の当たる方を 見よ 〟
続いて瀬織津姫?
“ 我は 瀬織津 我はどこへでも 清らかなせせらぎや 湧き水のような処でも
どこでも 遍くおります
鈴張(すずはり)の(あの水神の)社へ 来て下さい
春の頃 待っております ”
頭で聴きながら蝋梅の良い香りがふわ~っと時折漂ってくる 不思議
後で蝋梅に鼻を近づけて香ってみると なんとなく香りが違うよう やはり不思議
瀬織津姫が出てくる前? 水中の映像 最初流れの中 魚も泳いでいる 澄んだ流れ 色々な水の中 流れの中が見えている
時たま外(空)の青さが鮮やかになったりする 日本ではなく 海外とか?(ハワイ?) 心地よい
外はごうっという風の音 風のエレメント?とも感じる
上の部分はこれはいつもの大神の言葉のようです。
これも昨日の言葉の補足のようでもありますね。
元々大神の話す言葉はそれほど長くなく、一言だけということも少なくありません。
このように長く話されるということ自体、これまでには無かったかと感じております。
というよりも、このように話しておられたとしても今までは自分の頭の中だけで受け答えをし、後で書き出して文章化するということはしており
ませんでしたので、こうして改めて書いてみると案外長いものであったということがわかったのかもしれません。
それにしても、話の内容自体、自分自身が普段は案外ネガティブ;であるのが分かるかと思います。
一人でいる時間が長いと、うちに籠る感じになるので余計かもしれませんけれど。
しゃべる相手がそばにおれば、うるさいほど話しておるオバサンではありますよ;。
それとは関係なく、言われたように陰の部分を考えると余計にそちらへ引き寄せられてしまう、ならばいっそ明るい部分に着目せよということな
のだと感じております。
考えれば考えるほどドツボにはまるという時がありますが、まさにそのようなもので暗い方へ目を向けるとなお一層そうなってしまうということ
だと思います。
笑うくらい明るいことばかりを考えておれば、暗い部分も吹き飛ぶように明るさがその大半を占めてくるのだと考えます。
一人で居ても、何かワハハと笑えることを敢えて見つけて明るくしておくこと、それが一番なのかもしれませんね。
次に頭に浮かんだのが瀬織津姫でした。
その声が響く前に、頭の中に水中の映像が浮かんで来ました。
流れの中を見ているようです。
その中には小魚も見えます、少し視線を上に向けると空も感じられるようです。
その空の色も、また水の中の感じも刻々と変わり、最初は日本の小川の流れの中であったものが次第に明るい陽光の射す南国の水中にいるよう
でした。
そのようなことを感じながら聴こえてきた言葉でした。
鈴張というのは、地名でして以前うちの講社(広島敬神講社)があったところでもあります。
以前にも話しましたけれど、かなり以前に主人の下へおられた方が独立する形となりましたので、そこからはうちの講社は退きました。
それはともかく、その以前に講社の近くに古い祠(ほこら)があり、どうやらそこへは随分昔に岡山の最上稲荷よりお札を頂戴してこられた水神
様が祀られておられたようでした。
主人が鈴張へ講社を開いた際に、屋根の瓦も落ちかかっていたその祠を地元の方にどうにかしてほしいと話しを持ちかけられ、有志の方のご尽力
によりその祠も立派に整備され、今一度水神様を祀るお祭りを春に致すようになった経緯がありました。
自分らがその鈴張へ参っておりました頃は毎年、春にお祭りをかかさず致しておりましたが、その後は跡を継いだ方にお任せ致しましたので現在は
どのようであられるのか、よく存じません。
ともあれお呼びが掛かりましたのは瀬織津姫からですので、言われたように春の頃、参らせて頂こうかと思います。
祠のすぐ下には細い流れが今でもあるところです。
またそれとは別に瀬織津姫が坐しますとされる処も自ら語って下さったようですね。
姫の坐します場所そのものを頭の中で再現して下さったのが自分が映像として捉えた景色だったのかもしれません。
瀬織津姫が坐しますということは龍もその場におるのかもしれません。
以前はそこまで感じておりませんでしたけれど、次回参ります折には、これもまた感じ取ってみたいと思います。
姫の言葉を聴きながら、時折ふと神殿のすぐ傍に活けてある蝋梅の花の香りが鼻をくすぐるようでした。
とはいえいつもはそこまで香ることも少ないけどなとも頭の半分で感じながら、後にその蝋梅に近づいて香ってみましたけれど、先ほどの香り
とは似てはいるものの、少し違うように思えました。
良く瀬織津姫が登場?する際には香りがすると聞いておりますけれどその香りだったのでしょうか、なんとも不思議な感覚でした。
久々で女神様の登場であられたようです。
大体自分自身が大雑把でサバサバした感じですので;、たおやかな女性の神様はお越しになりにくいのかも?しれません;。
それでもこのようにお越し頂けたことはこの上ない喜びと感じております。
今年はこれまで以上に多くの神々、存在とも繋がりが持てればと考えております。
どのような展開になっていくのか、自分でも楽しみですね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。