こんばんは。
朝から風は強かったですが良いお天気の一日でした。
今日は弊講社の春の大祭を斎行致しました。
いつもながら御参拝の方はおられませんが、神様と私だけのお祭ですね。
とは言え玉串料をお振込み頂きました方もおられますので、その方にお送りする御神札等を入れた封筒を御神前にお供えし、装束を
着込んでお祭をさせて頂きました。
これも毎回の事ですが、日々変わらぬ場所で祝詞を奏上しているとはいえ、装束を身に纏うことで見も心も引き締まる思いが致します。
たとえどなたがおられずともこのようにお祭させて頂けること自体が嬉しく感じられますね。
少し改まった思いで大神様、つまりは大國主大神を今一たび此方の御神殿にお招きし、その後に祝詞奏上致します。
榊の玉串をお供えし(出雲大社では玉串拝礼と称しております)柏手を打ち、再び大神様に元のお社へおかえり頂きます。
その前に奉幣を振りますが、その際に頭に入って来た言葉がありました。
〝 まずは良かろう
この春参れ
参り越せよ 〟
このような言葉でした。
この春とは、もう既にいつでも良い、まずは参れよということでしょうか。
一番参らせて頂きたいと思うのは年に一度斎行されます五月の例大祭ですね。
一昨年、昨年と二年続けてコロナ禍により我々の参拝は見送られました。
今年こそはなんとか御本殿の中から例大祭の様子を拝見しつつ大神様を感じ取らせて頂きたい、そう希っているのですが。
そうなると良いなぁ、そう思うこのところですね。
宮島行きの続きと参りましょうか。
美味しいものが登場するでもなく、素敵な旅館の紹介もない;ただただ宮島行って来ました、なブログなんですけどね。
そうそう、昨日のご夫婦との会話の中で教えて頂いたことがまだ幾つもありました。
それはですね、家の高さと屋根についてですね。
どういうことかと言えば厳島神社を遠くから見た時にでもその奥に建物(現在というか現代風の建築物です)が見えてはいけないと
いう規制があり、高さと共に屋根瓦の色、これは黒に、またその傾斜もある程度は決められているそうです。
なるほど少し小高い場所から眺めた街の様子がなんとなく纏まりがあるように思えたのはそのような事柄が取り決めてあるからか、
そう感じました。
いわゆる絵になる、という街並みですので。
観光で食べて行こうとするならば皆さんがそのように気持ちを合わせて行かねばならないこという事でしょうね。
それとはまた話が違いますが、島外からお越しになる女性が少ないと話しておられました。
仕事で通って来る方はおられるようですが、いわゆる嫁いで島へ入ってくるという方は少ないんだとか。
確かにそれはあるのかもしれません。
仕事と言えば先に書いたように主に観光しかありませんしね。
時折新しい方は入って来られるようですが、どうしても昔ながらの人々が多く暮らす島ですし、なかなかその辺りの兼ね合いも難しい
ものがあるのもと考えたりします。
(父方の祖父がそれを疎んじて島を出たという経緯も知っている身としては、確かになぁ;と思わなくもなく。)
内側へ入れば、何処も色々あるよなぁと感じた事でした。
(昨日もあげましたが、こんな街並みですね)
さてお弁当を食べた場所、要害山という小高い場所から下りて今日の一番の目的である厳島神社へと向かいます。
これもいつものことですが、人がごった返す商店街を抜けるのではなく海岸べりを歩いて行きます。
若い方も多く、あちこちで名物となっている揚げもみじ饅頭を食べたりしておられますが、なかには寄って来る鹿の鼻先にそれを
向けて食べるかどうかと試しながら、結局は何もやらないということをしている男の子がいました。(20代の子ですよ)
さすがにそれは見ている此方が胸が痛み、それはしないでね、変な物食べると困るのでとちょっとたしなめておきました。
最近は少なくなりましたが、島内の鹿が観光客の持っているビニール袋を口にして胃の中で消化出来ず、それが元で苦しんで死ぬと
いうことが続いたようでした。
ビニールだけでなく先程のように食べ物が先に着いた割りばしや竹串なども飲み込んで、尚更危険ということも少なくなかったようです。
そのようなことを知っている身としては、鹿をからかうのがどうしても許せない気持ちになりまして;。
神様の遣いとされているだけに人間は彼らに何もしませんので、鹿達も此方に危害を加えることはまず無いかと思いますが、餌が貰え
ない彼らがこのようにからかわれるのが忍びない気持ちでした。
そんなことを思い、ちょっと苦言を呈してしまいまして失礼致しました。
ようやく厳島神社の前まで歩いて来ました。
一時期はこの辺りも全くという程歩く人が途絶えていた時期もありましたが、この日は団体さんなのか大勢が記念写真を撮っている
様子も見られましたね。
それらを見ながら神社へと入って参ります。
最初に拝観料を支払いますが、このお金は床を板で覆っている回廊等の修理に主に使われると聞いております。
年間何万人という人が訪れる場所、また台風等でもこの床板は結構傷むようで一回の拝観料300円は妥当かと感じます。
回廊を巡る前に手水で手を浄め(今は柄杓も置いてありませんので細く流れる水で左右の手を濡らす程度ですね)中へと入って参ります。
さて此処からが厳島神社となりますが、この続きはまたまた明日へと致しますね。
(厳島神社の御神紋 三つ重ねの亀甲花剣菱と呼ばれます )
(此方は今日の様子 雲一つない晴天でした)
(夕方は雲が出て来たようです)
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝から風は強かったですが良いお天気の一日でした。
今日は弊講社の春の大祭を斎行致しました。
いつもながら御参拝の方はおられませんが、神様と私だけのお祭ですね。
とは言え玉串料をお振込み頂きました方もおられますので、その方にお送りする御神札等を入れた封筒を御神前にお供えし、装束を
着込んでお祭をさせて頂きました。
これも毎回の事ですが、日々変わらぬ場所で祝詞を奏上しているとはいえ、装束を身に纏うことで見も心も引き締まる思いが致します。
たとえどなたがおられずともこのようにお祭させて頂けること自体が嬉しく感じられますね。
少し改まった思いで大神様、つまりは大國主大神を今一たび此方の御神殿にお招きし、その後に祝詞奏上致します。
榊の玉串をお供えし(出雲大社では玉串拝礼と称しております)柏手を打ち、再び大神様に元のお社へおかえり頂きます。
その前に奉幣を振りますが、その際に頭に入って来た言葉がありました。
〝 まずは良かろう
この春参れ
参り越せよ 〟
このような言葉でした。
この春とは、もう既にいつでも良い、まずは参れよということでしょうか。
一番参らせて頂きたいと思うのは年に一度斎行されます五月の例大祭ですね。
一昨年、昨年と二年続けてコロナ禍により我々の参拝は見送られました。
今年こそはなんとか御本殿の中から例大祭の様子を拝見しつつ大神様を感じ取らせて頂きたい、そう希っているのですが。
そうなると良いなぁ、そう思うこのところですね。
宮島行きの続きと参りましょうか。
美味しいものが登場するでもなく、素敵な旅館の紹介もない;ただただ宮島行って来ました、なブログなんですけどね。
そうそう、昨日のご夫婦との会話の中で教えて頂いたことがまだ幾つもありました。
それはですね、家の高さと屋根についてですね。
どういうことかと言えば厳島神社を遠くから見た時にでもその奥に建物(現在というか現代風の建築物です)が見えてはいけないと
いう規制があり、高さと共に屋根瓦の色、これは黒に、またその傾斜もある程度は決められているそうです。
なるほど少し小高い場所から眺めた街の様子がなんとなく纏まりがあるように思えたのはそのような事柄が取り決めてあるからか、
そう感じました。
いわゆる絵になる、という街並みですので。
観光で食べて行こうとするならば皆さんがそのように気持ちを合わせて行かねばならないこという事でしょうね。
それとはまた話が違いますが、島外からお越しになる女性が少ないと話しておられました。
仕事で通って来る方はおられるようですが、いわゆる嫁いで島へ入ってくるという方は少ないんだとか。
確かにそれはあるのかもしれません。
仕事と言えば先に書いたように主に観光しかありませんしね。
時折新しい方は入って来られるようですが、どうしても昔ながらの人々が多く暮らす島ですし、なかなかその辺りの兼ね合いも難しい
ものがあるのもと考えたりします。
(父方の祖父がそれを疎んじて島を出たという経緯も知っている身としては、確かになぁ;と思わなくもなく。)
内側へ入れば、何処も色々あるよなぁと感じた事でした。
(昨日もあげましたが、こんな街並みですね)
さてお弁当を食べた場所、要害山という小高い場所から下りて今日の一番の目的である厳島神社へと向かいます。
これもいつものことですが、人がごった返す商店街を抜けるのではなく海岸べりを歩いて行きます。
若い方も多く、あちこちで名物となっている揚げもみじ饅頭を食べたりしておられますが、なかには寄って来る鹿の鼻先にそれを
向けて食べるかどうかと試しながら、結局は何もやらないということをしている男の子がいました。(20代の子ですよ)
さすがにそれは見ている此方が胸が痛み、それはしないでね、変な物食べると困るのでとちょっとたしなめておきました。
最近は少なくなりましたが、島内の鹿が観光客の持っているビニール袋を口にして胃の中で消化出来ず、それが元で苦しんで死ぬと
いうことが続いたようでした。
ビニールだけでなく先程のように食べ物が先に着いた割りばしや竹串なども飲み込んで、尚更危険ということも少なくなかったようです。
そのようなことを知っている身としては、鹿をからかうのがどうしても許せない気持ちになりまして;。
神様の遣いとされているだけに人間は彼らに何もしませんので、鹿達も此方に危害を加えることはまず無いかと思いますが、餌が貰え
ない彼らがこのようにからかわれるのが忍びない気持ちでした。
そんなことを思い、ちょっと苦言を呈してしまいまして失礼致しました。
ようやく厳島神社の前まで歩いて来ました。
一時期はこの辺りも全くという程歩く人が途絶えていた時期もありましたが、この日は団体さんなのか大勢が記念写真を撮っている
様子も見られましたね。
それらを見ながら神社へと入って参ります。
最初に拝観料を支払いますが、このお金は床を板で覆っている回廊等の修理に主に使われると聞いております。
年間何万人という人が訪れる場所、また台風等でもこの床板は結構傷むようで一回の拝観料300円は妥当かと感じます。
回廊を巡る前に手水で手を浄め(今は柄杓も置いてありませんので細く流れる水で左右の手を濡らす程度ですね)中へと入って参ります。
さて此処からが厳島神社となりますが、この続きはまたまた明日へと致しますね。
(厳島神社の御神紋 三つ重ねの亀甲花剣菱と呼ばれます )
(此方は今日の様子 雲一つない晴天でした)
(夕方は雲が出て来たようです)
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。