日々徒然なるままに

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あの日の記憶

2017-05-30 21:32:12 | 災害等について
こんばんは。
と言っても、この辺りはまだ夕なずむ頃、なんとはなしに夕暮れの色が出てきたかなぁ、という感じです。
考えてみると、日本列島、北から南、無いようにはなっていますが時差があるような感じですよね。
北海道の端っこと、沖縄のそのまだ南では相当夕暮れにも時間差があるように思います。
と、そんなことを申しつつも、はい、今朝のお日様。
大気が濁っているせいか、昨日より一層黄色く霞がかって見えています。

                              

それにしても急にまた厚くなってきましたね、それもムシムシする暑さ、身体が暑さにも慣れていないので余計に応える感じです。
そうして雨の降り方も、ここ最近おかしく思います。
降らなければ全く降らないですし、降るとなるとこれでもか的に土砂降り以上の雨が地面を叩きつけるように降りしきります。
気候はやはりこの十数年で見ても、かなり変化してきているのかもしれませんね。

                               

雨というと、三年前の八月二十日、広島は豪雨災害に見舞われました。
この辺りもあの時は、報道こそされませんでしたが、かなりの被害が出ました。
今でも覚えていますが、前日の夕方、息子は夜間に新聞社でのバイトがあるため出かけていきました。
それからしばらくして雨が降り始めたのですが、この降り方が尋常ではない勢いで止む事がありませんでした。
雷もずっと大きな音で鳴っていますし、PCで気象レーダーの画面を確認するとほとんどといっていい位、同じ場所から雲が動かない様で
しかもそれが赤いまま、つまりは勢いが衰えることなく降り続いていることを表しているのでした。
その時の事を別の方角から見ていた方の話では、この辺りは異常なほどの黒い雲が絶え間なく掛かっており、遠目にも稲妻が走る様が見て取れた
ほどだったとのことでした。
一体いつまで降り続くんだろう、息子はこの雨の中を帰ってこられるのだろうか、とやきもきしておりましたが、ちょうど帰宅する頃の
午後十一時頃には、束の間ではありましたが酷かった雨もひとまず小康状態となり、その合間を縫うようにして原付でなんとか我が家へ
たどり着いたのでした。
その後、夜半に掛けては一度収まるかに思えた雨は、また再びその勢いを取り戻したかのように一段と降りしきっておりました。 
そんな、まんじりともしない一夜が明けると、家の前の道路はまるで川のように泥水が流れ上流から流されてきた土砂があちこちへ溜まり
下水もその用を果たさず、溢れ返っています。
幸いにも我が家はそのような水の被害には遭うことなく済みましたが、河川の直ぐ脇に建つお宅は、家のすぐそばまで護岸が削り取られ、
あと三十センチもそうであったならば、家が傾くほどの大きな被害に見舞われていました。
他にもやはり川のほとりに位置するアパートなども、その建物の下部分がえぐり取られるほどの様相を呈しており、そのまま住むわけには
とてもいかないような状況の箇所もかなり見受けられました。
自分たちの地区では命を落とすことまでには至らずに済んでおりましたが、少し離れた地域では裏山の土砂が家の中に流れ込み、幼い命が
奪われたところもありました。
全国的なニュースでも取り上げられた緑井、八木、可部地区などはその被害も甚大で一晩にして尊い命が何人となく犠牲になられたのでした。

                             

写真は、そんな豪雨災害のあった、自分たちが住む地区の今の様子です。(居住地からは少し離れた場所です)
ご覧になってお分かりのように、今はすっかり整備され、あのときのすさまじい面影はありません。
ですが豪雨の後、この川のほとりまで歩いて行くと、ところどころで大きな穴があいているように陥没していたり、一時期は通行止めに
なったりし、普段の生活にも不自由する有り様でした。
写真にあるように、大きな石とも岩ともつかぬ大きさのそれらが流れてきていたのですから、その凄まじさは半端なものではなかったのだと
改めて認識する思いでもあります。
その酷い状況から復旧までかなりの時間を要しましたが、御蔭様で多くの方のご尽力によりまもなく砂防ダムも完成し、現在は安全に
過ごさせて頂けております。
有り難いことだな、とこうして振り返ってみてつくづく感じられます。

                             

こちらの写真は、豪雨があるまでは、そこへ蛍が飛び交うようなそんなちょっとした流れが地元の有志の方々により守られていた場所ですが
あの災害の後には、今も蛍が戻ることはないようです。
少し寂しい思いですが、いつの日にか、またそのような光景が見られることを願っております。


                             

こうして振り返ってみると、わずか一晩の出来事でしたが、その傷跡は修復されたとはいえ、あの時の凄まじさは忘れられないものが
あります。
六年前には、日本はともかく海外にまでその災害の酷さ、恐ろしさを知らしめた東日本大震災がありました。
彼の地では未だに復旧もままならぬまま、あの日の記憶を留めたかのような場所も多々あると聞いております。
進まぬ復旧ではあるのに、人々の記憶から忘れ去られていっているようだ、とおっしゃる方もおられるとも聞きます。
ですが復旧することでその地は復元されるとはいえ、当時の記憶は消せるものではありません。

現在は、いつどこでどのような災害が起こってもおかしくない、そんな時期に差し掛かっているともいわれます。
災害の記憶を色褪せさせることなく後世の人々に語り継いでいく、それも大きな自分達の役目のようにも思います。
先日お会いした、あの神戸の靴屋さんが普段は記憶の底に秘めておられたであろう事を話して下さったことも、自分の中では貴重な
体験となりました。
(実は神戸での震災に関することはまだ多くあるのですが、折をみてまた書かせて下さいませ)

起こってはいけない、また欲しくも無い災害ですが、記憶として自分達の中に留めることにより、次への教訓としていかねばならない
とも考えます。

                              
                            

書き連ねているうちに夕方ではなく、すっかり夜の帳が下りる頃となりました。
辺りでは蛙の鳴く声が響いています。
もう少しすると、たまに梟の声も聞こえてきたりする処です。
こんな豊かな自然がいつまでも続いて欲しい、そう思える今宵です。

今日もこんなブログにお付き合い頂きまして、有難うございました。

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