日々徒然なるままに

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お墓参りと豪雨の爪痕   メタトロンの言葉

2019-03-23 21:23:08 | お出かけ
こんばんは。
ここ2、3日冬に逆戻りしたような天候です。
今日は一日中目まぐるしく変わるお天気で、一時ザアーッと降ったかと思うとパァッと晴れ渡り、かと思うと霙が降ってきたり;。
何とも言えぬ冬型のお天気だったのだと思います。
昨夜は綺麗な月が煌々と輝いていただけに尚更今日のこの天候には驚きました。




                                             


                                            


                                             





                                         




                                           



                                
                                          

                                                



昨日、さて今日はどうしようかと話しておりましたが、あちらこちらへ連絡を取ってみるもいきなりの外出にお付き合い頂ける方などそうそう
おろうはずもなく、さてどうするかねぇと考えておりました。
で、ふと思うと今はちょうどお彼岸の頃、ということはこれはあちこちへ遊びに行くのではなくちゃんとお墓参りには来んか、というご先祖様からの
無言の?圧力なのではないかと;。(笑)
確かに毎年大体この時期にはお墓参りをしておりますしね。
それならばそのようにするか、とお昼から一人で行って参った次第です。

その前に午前中はいつものように祝詞奏上し、言葉を受け取っておりました。
今日はメタトロンからの言葉であったようです。


 メタトロン

 “ あなたが たとえ宇宙のどこへいようとも

   地の果てであろうとも

   肉体そのものが無くなったとしても

   自分という意識は変わりません

   あなた自身 ただ一人のものです

   他の誰でもないのです

   そのことを忘れないでいて下さい

   あなたは あなたのまま

   そのままなのですから ”
  

メタトロンの不思議な香りを嗅ぎながらいつものように奏上しておりますと、このような言葉を言われました。
自分は自分、たとえ肉体が無くなったとしても何も変わりはしない、自分そのままなのだということのようです。
これも近頃は良く聞く言葉のようですよね。
しかしそう言われても、自分の記憶の中にまだ死んだとか前世の記憶も無いのですから、実感は湧きません;。
そうなのかな、という感じだけです、今のところは。
ただなんとなく分かる、理解出来そうなのは、自分はあくまで自分であって他の人の意識とは交わらないであろうということでしょうか。
宇宙のどこであろうと地の果てであろうと、とはかなり大げさにも聞こえますが、自分という意識が此処だけのものならば、それはやはり宇宙の
中で唯一つのものである、というのはなるほど、そういうことになるなと納得出来る思いです。
自分はどこまで行っても自分、それを言われたのでした。





                                          





午後から家を出ようかという頃になって雨が本降りとなって来ました。
お墓参りで雨というのはこれまで経験がありません。
もっとも雨の日ははなから行かないことにしていたのもありますが;。
今日はそこまでお天気が悪くなるとは思っておりませんでしたので、車を走らせながら徐々に雨脚が強くなっていく有様に、なんだかなぁと感じて
おりました。
それでも車に乗っている分には濡れることもないわけですし、その意味では快適ですよね。
とは言えそこはお借りした車、好きな音楽を聴こうにもラジオしかなく、ハードディスクに入っていたのはこれまたギンギンのハードロック;。
ま、そういうこともあるか;となんとなく土曜日のラジオ番組を聴きながら走っておりました。
FMを聴いていたこともあり途中からは周波数が変わるのでしょう、結局そこまで聴けるほどでもなく走ることに専念しておりました。

最初に訪れたのは母方の実家の方の墓所です。
ここは昨年の豪雨災害でも全国的に名前が挙がった地区でもあり、高速を下りての川沿いは、そんな災害の爪痕がまだあちこちに生々しく残って
おりました。
決壊した川から溢れた土砂が家の中まで入り込み、かろうじて骨組みは残っておるものの到底家という機能は果たさなくなってしまった泥だらけの
家屋もそこここへ見受けられました。
黒い土嚢も川土手に多く積み上げられておりました。
普段はそこまで川の水が流れることなど考えられないほどの川ですが、これがこの辺り周辺地域の家々を一気に襲ったのだとすると、これは逃げ場も
なくどうにもならないほどの混乱状態であったろうなと感じられました。
そんな川沿いを上った先の山間に墓地があります。
此処は高速道路を作る際、それまでこの地域で畑の隅に建立してあったものや造成する道路に掛かる場所にあった墓を一箇所に纏めて新たに墓所と
したところです。
此処は川沿いとは言ってもかなり小高いところへ作られましたので、そのような被害には遭わずに済んだようです。
けれど周辺の河川改修をする為か、今日のような不順なお天気の中でも川での測量が行われていたり、その人らが乗ってきた車やダンプ等もこの
墓所のさして広くも無い駐車場へ停めてありました。
彼岸の最中とはいえ、このお天気です。
他にお参りされる方の姿も無く、後は自分ひとりが駐車場の隅っこに車を停めてお墓参りを致しました。
祖母や叔父の眠るお墓には既にどなたかが参られたのでしょう、まだ新しいお花が供えられておりました。
親戚縁者の墓だけでも何基かあります。
それら全てに手を合わせて参りました。
今回の災害で逝った方はおられなかったようですが、家屋や生活は今どうであるのか、実母亡き後それほどお付き合いがあるわけでもなく、申し訳
ないなと思いながらもどうぞ皆様がご無事でおられますようにと祈念させて頂いてそこを後に致しました。

後は実家のお墓へもう一箇所参ります。
その際にこれもこの川沿いの山の中の道を通る訳ですが、先にもましてあの折の災害の痕跡はまだ手がつけられないほど多く残っておるようでした。
崩れた箇所、えぐれたような所、そのような場所が一箇所だけではないのでまずは緊急と思われる所から順番に修復していくのでしょうね。
表現のしようがないほどのそのような現状を右左に見ながら、そこもあの豪雨当日には若い警官お二人が流されたと聞いた場所と思しき所も通り
ながら、これもすれ違いにはかなり気を使う細い道が片側がえぐられ、余計に通りにくくなっている所を慎重に登っていきました。





                                          





                                                





続きを書こうと思いましたが、いささか疲れました;。
ですのでその後の墓参りと、また別の豪雨災害のことについても明日また書かせて頂こうと思います。




                                          
                                      

                                            



夕方、市内へ戻り車を返す頃にはまた晴れて来ましたが、返し終えてバス停でバスを待つ間はまた傘を差す程度に雨が降ってきておりました。
もうマフラーなどいらないだろうと数日前までは考えておりましたが、今日はさすがに寒いかもと思い昼から出掛ける際にバッグにマフラーを
入れておきました。
持って行っていて正解と思えるほど空気が冷たく感じておりました。
バスを待つわずか十数分がえらく長く感じられるほど、またバスに乗り込んで車内の暖房にホッとするほど外の寒さはあったようでした。
バスを降りるとまたもや寒さで身がすくむ感じで、昨日であったかようやっと桜の開花宣言が出されたばかりですが、うららかな春にはまだあと
一息いる気配のようでもあります。
皆様の辺りは如何でしたしょうか。






                                           






                                              





本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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