日々徒然なるままに

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服装一つで

2017-05-25 21:22:26 | 神様等について
こんばんは。
こちらは今日は雨は上がりましたが、身体を動かすとちょっとムシッとするようなお天気でした。
朝のお日様、こんな感じ。
雲間から覗きそうで、でも見えないという。
天使の梯子も残念ながら出現しませんでした(日頃の行いですかね;)

                             

先日、例大祭の事を書かせて頂きましたが、その折にまた後日続きをと申しておりながら何も出来ておりませんでしたので
その事も含めながら、少しまた述べさせて頂きたいと思います。

                             

例大祭の式次第については先日詳しく書きましたが、順を追って書いたとて中味はほとんどわからないかもしれませんね。
祭そのものが、神様に対してお供え物をし、神主である人間が神様に祝詞を奏上することにより感謝の気持ちを表すもの、
そう考えて頂くと良いのではと考えます。
厳粛な雰囲気の中でお祭に参列する我々も威儀を正し、その時間を共に致します。
ですが、最近はそんな雰囲気のお祭もどことなく変化してきているように感じられます。
申した如く、このお祭自体が天皇の勅使がお越しになるほどの正式な祭ですので、一応は礼を失しない程度の服装で参列
下さい、と案内状に明記してあります。
以前は、より厳密に礼装とまではいかずとも、それなりに服装には気を使うのが当然に捉えられていたと感じます。
有体に言えば、口幅ったいですけれどドレスコードとして捉えられ、そのように皆さんもなさっていたのではと思います。
しかし、この何年かはそのように気遣う方の数が減って来ている様に思えます。
これが観光に来られて、ただ物見遊山されるだけならまだ良いのかもしれませんが先に申した如く、皆威儀を正して祭に
臨んでおります。
その席ですので、やはり参列する立場の者もそれなりの心構えとして服装を正すのは礼に適うことなのでは、と思います。
では何故そのように服装に気を遣うのか。
それは、そうすることにより自分自身、本人自身の気持ちが今日は特別な祭の日であり、ともすれば天皇の名代ではあられても
その方がお越しになっておられるのであるから、威儀を正すのが当然であると感じて頂きたいからです。
たかが服装、されど服装、そう思います。
普段ラフな格好をされておられる方でも、ちょっと気張ってスーツを着てみたり、或いは女性でも少し畏まった装いをなさった
ならば、自ずと背筋も延びて気持ちも引き締まろうというものです。 
そのような緊張感をもって祭に臨むのと、いつもと変わらない格好でそこへ居るのとでは、自分の纏う雰囲気も違ってくるのでは、
と感じます。
馬子にも衣装、といいますが、服装一つ変われば自分の心待ちも、また周りがご自身を見られる目も変わってくるかと思います。

確かに服装だけで、その人を判断して欲しくない、そう考える方もおられることでしょう。
それも然り、理解しておるつもりです。
ですがここで申し上げたいのは、あくまでご自身が服装に気を遣うことにより、気持ちを引き締めて頂き、その場の雰囲気にご自分も
一緒に馴染んで頂きたい、そういうことと考えます。

TPOという言葉がありますよね、正にそれです。
水泳をするのに、まさか服を着たままする人は、そういないでしょう。
マラソンを走るのに、ヒールの高い靴では走りませんよね。
それと同様、厳粛を旨とする大祭等には、やはりそれなりの気構えと格好でお越し頂ければなと感じます。

                              

出雲大社の遷宮の一連の行事が始まり、それに伴い普段は大国主大神様が坐します御本殿の天井の雲の絵が公開された事は
皆さんの記憶にも新しいのではと思います。
その折にも、いくら大神様がそこへおられないとはいえ、やはり御本殿ですので先に書いたようにある程度の服装の規定が
ありました。
ちょうど夏場でもあり、どのようなものを着ていけばよいのか、そんな問い合わせのお電話も幾度か頂いたことがありました。
男性ならば、スーツとまでは行かずとも今でいうところのクールビズ程度のものを、また女性ならやはりあまり砕け過ぎない
ワンピースなどが宜しいのでは、とお伝えさせて頂いたのを覚えております。
実際にはそこまで厳密ではなかったと記憶しておりますが、それでも見学に行かれる方の中にはサンダルや短パンやランニングの
方もおられたようで、さすがに御本殿入り口で、そのような方にはご遠慮願ったと聞いております。
これも前述の如く、物見遊山で行かれて、そのような軽い気持ちであの場へお足を踏み入れて頂きたくないからです。


昨今はだんだんとカジュアルな格好が主流になり、どこへ行くのもあまり拘らない方が増えてきたようです。
かく言う自分自身、普段はそんな格好ばかりで、とてもひと様のことを云々申せる者では御座いません。
しかし何度も申すように、時と場合にはやはり服装自体が重きを置かれる、そんな場所があるというのは心得ておるつもりです。
幾度も申すように、その服装一つで気持ちも改まる、そのところを今一度念頭に置かれ行動なさってみられては如何でしょうか。
これもまた、見えてくる景色が少し違う風に感じられるのでは、と思います。


ただし、これもまた別の角度から話させて頂くならば、亡き主人が申しておったことですけれど、神主とてその衣装を脱いだなら
ただのヒトだ。
偉くもなんともない(これは至極当たり前ですが)
皆にチヤホヤされていい気になっているのは大間違いだ、そこのところを履き違えるなよ、とこれもまた口酸っぱく言われていた
ことでした。
皆さんは、神主の仕事そのものに敬意を払いその衣装に対してもまた然りだ、本人が偉いから頭を下げて下さるんじゃない、よく覚えて
おけ、そう申しておりました。

此処まで書かせて頂いた事とは、全く意味合いの違う話ですが、確かに着るもの一つでガラリと変わるものだと解釈しております。
たかが服装、されど服装、先にも同じ言葉を書きましたが、そう感じます。

                            

服装一つで気持ちも変わる、実験してみても面白いのでは?
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