フィンランド風デザインのカプセルホテル(7/29)水。 外観は最近作った黒格子の町屋風ネオ和風鉄筋4階建て。朝食付き8,250円。 モントレ快適で6千円だった。四つ星ホテルより高い金額を払って、カプセルホテルに泊まる必要があるのか。いんちき代理店に質問をぶつけてみたところ(娘)「新築だからじゃないでしょうか」という回答が返って来た。そうなのか。わかったような、わからないような。
宿泊フロアは木の匂いがする。コンクリート打ちっぱなしの床につやつやのべニアで三角の天井板。立派な犬小・・・。ゴホンゴホン。クッションや小物が紫と黄緑の草間彌生のような色盲検査図系の前衛的な色使い。なぜそんな模様のパジャマにはしないのか。パジャマは普通の高級作業着といった感じだ。ミネラルウォーターと黒の布に大きく「Maja Hotel」と書いたバッグを記念にくれた。
韓国料理の春雨で作った焼きそばみたいなものが食べたかった。京都に来てすぐに駅の向こうのホテル近くの韓国食材店で惣菜を買って、箸がないから手づかみで食べたあの味が忘れられない。今回も用事をこなして二条駅から行くので韓国料理店を通る。しめしめ。聞いてみよう。(きの)「この単品で480円というのはどんな量ですか」韓国は物価が低いのか、売ってる物も妙に安い。ということは(店)「大量」えっ。手で示している大きさは丼に山盛り。そんなには食べれない。あとのメニューは何が入っているのかよくわからない。全部が激辛だったらどうしようという心配があり、唯一食べれそうな(きの)「焼肉弁当をひとつ」結局これでは南禅寺の時と一緒じゃないか!
駅の老舗菓子処で香典返しの菓子も買い、そこでゼリーを食べたので水分はバッチリだ。おそらくこの辺だろうと思われる四条でバスを降りてお茶屋に向かう。そこからどうにかして四条区画の真ん中らへんのホテルを歩いて探す。寺町商店街のアーケード中の方が少しは涼しいだろうか。蒸し暑くて死にそうだ。この旅を始めた頃は嵐山などを歩いて快適だったが、だんだん梅雨になってくると観光はおろか、生きてホテルにたどりつけるかどうかが問題になってくる。
新京極の似たような路地裏を歩きまわり、ここだろうという角を曲がりホテルを見つけたが、着いた頃には(きの)「ゼェゼェ」瀕死の状態になっていた。よれよれで到着し体温を測ったら今までで最低の35.0℃。もうこの人は生きてはいない。チェックインし歯ブラシをもらって説明を受ける。カプセルホテルだから部屋(?)で飲み食いしない方がいいだろう。宿泊客が自由に使っていいラウンジがあるはずだから、そこで食べようと予定していたが、それはフロントと同じ階だった。しまった。
はからずもまた焼肉を持って参上するはめになり、キムチが悪い訳ではないがコンセプトに全然合わないのでやめてくださいと言われても仕方ないと思う。なので、最後の予防線として(きの)「来るときに弁当を持たされてしまったのだが、そこで食べてもいいでしょうか」だって店の人が会計の後に持たせてきた。まるきり嘘ではないが、この言い方だと法事や何かの集まりか催事の折り詰めを知らずに持たせてきた人がいて、そっちの方への顔向けもあるだろうから断りづらい雰囲気が漂う。ふふふ。老獪な大人は今週もまたキムチの処遇に明け暮れる。(フロント)「あっはい、どうぞ」一応許可は取った。
ラウンジの食器はオシャレなイタリアンブランド・イッタラでそろえている。ワイングラスまであって、何もかもがオシャレ。デザイナーの作品でどこかの美術館に永久保存されている電球の形をしたランプも飾ってある。高そうなスピーカーからはひそやかな音色で時々(低音)「ッボンッボボっ」というシャンソンのようなBGMが流れてくる。この中で今から食べるのかと思うと気が重い。幸い建物は京都特有のウナギの寝床スタイルなので、奥に長いのを利用してフロントからは一番離れたところに座ろう。と思ったら奥は吹き抜けで下の死ぬほどオシャレなデザイナーズ・レストランとキラキラの螺旋階段でつながっている。フィンランド料理とは相いれない香りだ。うぅ、どうしよう。
しかし、落ち着いて様子をうかがうと、どうやら今は下のレストランに客はいないようだ。従業員同士で喋っている声だけが聞こえる。平均を取ってラウンジの真ん中辺のイスに座り、コーヒー豆があったのでガリガリ挽き、全館によい香りを充満させておいておもむろに弁当を開け、素早く付属のキムチを飲み込み、容器は偶然持っていたジップロックの袋にしまう。後はただの焼肉弁当なのでそれ程お叱りも受けないだろう。最近キムチを飲んでばかりだ。
気のせいか、食べているうちに下の従業員の会話が外国人客の動向から日韓関係の話になった。キムチの匂いと気づいていたなら、あからさまに名指しのような会話はしないだろうから、無意識に話題が寄って行ったのだろう。人間の脳おそるべし。コーヒーの効果もあっただろう。麻薬犬もコーヒーの匂いでわからなくなるらしいからのう。もっしゅもっしゅ。
本日のドルチェは、昨日豆大福が急に食べたくなってスーパーで買ってきたのが余ってたからラップにくるんで持ってきてしまった。イタリア製の皿の中央に(大福)「ポツン」重たいナイフとフォークで堂々と食べる。遠目にはチーズケーキだと思うだろう。ワイングラスには100%ブドウジュース。フランクルの本を読もうと持ってきたが、ラウンジには天井からのスポットライトしかなく、その輪から外れると読みにくい。部屋は100ワットぐらいの照明がついているので眩しいし熱い。流しの下に小型の冷蔵庫があった。「名前とチェックアウト日を書くように、それ以外は捨てるぞ」という注意書きがあった。先日のゲストハウスでも見た表現だ。
押し入れに入って寝るのは好きだから狭い所が苦手なわけではない。よく利用する船の個室以外の部屋は、ベッドに横から入るカプセルホテルのようなものだから、あの密閉感がたまらない。包まれるようにしてよく眠れる。棺桶で眠ってみたいと一度は考えたことがある人は他にも居るはずだ。前に待ち合わせで泊ったことのある繁忙期の大阪難波のカプセルホテルが、何だか雑然として物悲しく、高層ビルの薄暗い地下迷宮のセキュリティー厳重フロアは逃げ場がないだろうなと思った印象が強かったが、結局個室内に入ってしまったらぐぅぐぅ寝てしまった。生粋のドラキュラ伯爵なら、こんな空間はお手の物である。
その頃、寝る前にNetflixでやってた韓国の不時着のドラマを見ていた。軍隊映画だと思って見始めたらドラマで、いつまで経っても終わらない。最初の北朝鮮への不時着はいいとしても、その後何回か韓国に帰還を試みるも失敗。結局歩いて帰りめでたしめでたしとなるはずが、なぜか殺し屋のような人物が追いかけて来て、向こうで助けてくれた人たちまでもが渡ってきて集団で大暴れ。こんなに簡単に行き来できるものなのか。
その文化をよく知らないものだから、何が起きてもへ~そうなのか~と感心してしまう。恋愛ドラマはあまり見る気がしないが、前にやってた幽霊が見える刑事やグエムルという身軽なゴジラのような話は面白かった。人々が無駄に暑苦しく、日本の古き良き80年代を生きているようだ。
物語も佳境に差し掛かり、主人公が何度も死にかけ、全員が泣き、今度は1人ではなく5人以上が無事に帰れるかどうかが話の焦点となってきた。なぜかさっきから飛行機の(音)「ッポ~ン」というような音が20秒ごとに鳴っている。韓国では臨場感を醸し出すためにこんな演出をするのかと思ったが、あまりにうるさいのでパソコンの音を消すと、Majaホテルのスピーカーから秘かな音楽が流れている。曲を聞かせてくれるサービスか。それとも騒音対策か。バッグに忍ばせたイヤホンを取り出す。そうまでして見る必要あるのかと思うが、こんなオシャレな北欧にはTVなんていう無粋なものは存在しないし、読んでいいのかと思った本は売り物のようなのでやたらに触るのをやめた。昔、友人がせっかくエジプトまで行って、なぜかずっとB’zを聴いていたという話を聞いて鼻で笑っていたが、同じ穴のムジナだ。
暑い。エアコンは効いているのだが洞窟の奥まで漂ってはこない。カーテンを閉めているのでなおさらだ。板張りの狭い空間に人体の熱がこもり。水分だけが蒸発していく。そりゃそうだ。今この広いフロアに有機物は自分しかいない。これが鉄筋の気密性か。すごいな。あまりの乾きに肺がパリパリして痛くなり起きた。なぜか左の鼻がつまっていて、息を吸い込める右側の肺の形を意識できる程違和感がある。風呂に入り、湿気を得よう。
先ほどトイレに入った隙に、自分以外に誰かいるのかと思い、並んだ洗面所もトイレも奥から2番目の1か所だけを使い、イスやフタをわざとズラしたりしておいた。次に来てもやはりその場所しか動かした形跡がないので、貸し切りだったのだろう。掃除も楽だしね。こんな洗練された空間に来ておいて、せっせとすることはそんなセコイ犯人みたいな工作しかないのか。
シャワーがいっぱいあったが、バスタブが奥に1つあったのでお湯を入れてみたら水色がかっていた。ここも地下水か?多分バスタブが白いからだと思うが、日本で白いバスタブは珍しい。不動産屋によるとだいたい汚れるのを気にしてグレーかピンクにするそうだ。水色は冷たそうだし黄色にはしない。最初から黄ばんで汚れていそうな気がするからだ。輸入物かなと見てみたら、SIAAってこれは国内メーカーの抗菌のマークだし、洗面所もオシャレではあるが国内っぽかった。浴槽に寝そべったら頭の部分になぜか手すりが。トイレのドアの表示が洒落ている。気を使ってデザインしたものは、古びてもそれほど汚らしくはならないんじゃないか。洗面所の平らに並んだシンクを見ながらそう思った。
大阪難波に泊った時は真冬だったから、カプセルの中で暖かく過ごせたし、朝になって見たら空調の穴が奥の頭側に付いていて、調節弁が閉まっていたが、そんなものには気づかず寝ていた。この小屋にもあるかと壁を探ったが、高級べニアがツヤツヤしているだけで、特に調節できるような装置は見当たらない。通気口なのか丸いものがあるが、空気の流れはない。
カーテンが邪魔だと開け放ち、逆を向いて寝る。もうセキュリティーも何もあったもんじゃない。ロッカーを使うのがめんどくさかったので荷物を全部ベッドの端の方に置き、書類まみれの中、顔を半分通路に出して寝ている。誰か通ったらびっくりするだろう。
ラウンジに置いてあった山小屋の宿帳のようなノートには(宿泊者A)「神奈川からはるばるやってきました」とか、(B)「あこがれのデザイナーの作品が見れて感激」、(C)「京都を離れる前に一度泊まってみたかった」など皆さん真剣なイラスト入りで書いている。普段は若者でにぎわっているのだろうな。
朝になり、散歩に出かける。弁慶の岩と坂本龍馬の彼女の実家があるらしい。お龍さんち跡は、人のうちの軒先に石が立ってるだけだった。弁慶はどこかのレンガのモールの入り口に巨大な緑色の岩が立っていた。これが泣いた上に帰ってきたのか?四条の界隈だというのに、一歩入ると古い家が多かった。帰りは三条のあたりから地下鉄に乗ろうと考えていたが市役所でクラスターが発生したとの報道があり、無難にバスで帰るとしよう。
朝食はホテルの下の件のレストランでいただく。フィンランド料理を選べるらしいが、北欧の朝から冷たいハムやらチーズを固いパンに乗せて食べるメニューは好きではないので、鮭の入った石狩鍋のようなものを食べた。ノルウェーだかフィンランドの「スモァ・ブロー」というような発音の黒パン料理は、パサパサして昔から全然食べる気になれない。
店内のイスやテーブルが黒とゴールドでビカビカ光って訳もなく高そう。これがフィンランド人デザイナー作である必要があるのか、よくわからないが、上品な80年代ディスコといった雰囲気だ。
この近くに、中学の修学旅行で泊まった杉長という名の宿がある。今回記念に泊まろうとHPを見たら臨時休館となっていた。このままやめてしまうのかと危惧したが次に見た時には、なんと「2023リニューアル・オープン!」となっていて、新しい館内の様子が、不動産デベロッパーが描いた次世代老人ホームのようなイラストで示されていた。自分たちの思い出が壊されることも衝撃だが、修学旅行が中止されるようになった今、団体用の建物ではやっていけないのは確かだ。それにしても、ずいぶん思い切ったことをしたものだ。
今この時期にどこの銀行が貸したのか知らないが、杉長は何億も借りて、この世界が元に戻る方に賭けたのか。もし新館が完成しても客が来なければ今度こそ終わりだ。50年そこでやってきた実績も、安寧も何もかもそれら一切合切全部を俎上に載せて、また京都の日常を取り戻そうとしている。
朝食が終わってもしばらくレストランに居座り、奥の箱庭の湿った巨大和風石灯篭とガレキのような石がそぼ降る雨に濡れているのを眺めながら、いつまでもそんなことを考えていた。