バルーン大会会場まで佐賀乙女みゅー☆スターのステージを見に行きました。
最近の佐賀乙女みゅー☆スターはひっぱりだこで午後からはイオン大和店でのライブ、
こちらも応援に行きました。
佐賀を応援するために結成したグループ・・・ということで
僕が彼女らに提供した楽曲は佐賀をモチーフにしたものばかりです。
みゅー☆スターが「♪~自慢したい佐賀」を歌いだすと会場からどっと笑いも飛び出したりして・・・。
やはり佐賀をテーマにした曲はお客さんの喰いつきが違います。
ふっと昔の自分のことを思い浮かべてしまいました。
30年ほど前、ちょうど大学卒業と同時にバンドを解散した僕は
自主出版したレコードを手に放送局回りをしていました。
当時佐賀唯一の民放ラジオ局、NBCラジオのディレクター佐藤雄治さんはそんな僕を快く迎えてくれて、
おまけに翌月からのレギュラーコーナーまで持たせてくれました。
代わりに出された宿題は「毎月佐賀の曲を1曲ずつ発表すること」でした。
それまで学生バンドでカッコいいサウンドだけを追い、
褒められたいとばかり思っていた自分にとって、それは苦痛な作業でした。
「佐賀の音楽=田舎くさい音楽?」たぶんそんなことを考えていたのでしょう。
もちろん佐藤さんからは一度として褒められたことはありません。
何とか一年ノルマだけはこなしたものの、佐藤さんも長崎へ転勤ということで、
決して満足のいく作品を残せぬままコーナーは終了。
この時の後悔は自分の中で常にくすぶっていて、それがその後の音楽制作のテーマとなりました。
だから僕の作品は固有名詞が出る出ないにかかわらずいつも佐賀の風景があります。
数年前、ふと会いたくなって連絡をした時、佐藤さんが亡くなられたことを知りました。
「ありがとうございました。」と心の中で告げ、いつの日か満足できる佐賀のうたを作ること
がライフワークだと思うようになりました。
今日のステージのインタビューの中で みゅー☆スターのリーダー蓮が
「田舎のアイドルだからといってバカにされないように佐賀のPR頑張ります。」
と言ったときちょっと感動・・僕の仕事は少しぐらいは役に立ったのかな?と思いました。
「音楽で佐賀を変えられるのか?」・・・そんな大きなことはわかりませんが、
目の前の人に少しでも届く音楽を作り続けていきたいと思います。
それにしてもみゅー☆スターの笑顔に癒された一日でした。
最近の佐賀乙女みゅー☆スターはひっぱりだこで午後からはイオン大和店でのライブ、
こちらも応援に行きました。
佐賀を応援するために結成したグループ・・・ということで
僕が彼女らに提供した楽曲は佐賀をモチーフにしたものばかりです。
みゅー☆スターが「♪~自慢したい佐賀」を歌いだすと会場からどっと笑いも飛び出したりして・・・。
やはり佐賀をテーマにした曲はお客さんの喰いつきが違います。
ふっと昔の自分のことを思い浮かべてしまいました。
30年ほど前、ちょうど大学卒業と同時にバンドを解散した僕は
自主出版したレコードを手に放送局回りをしていました。
当時佐賀唯一の民放ラジオ局、NBCラジオのディレクター佐藤雄治さんはそんな僕を快く迎えてくれて、
おまけに翌月からのレギュラーコーナーまで持たせてくれました。
代わりに出された宿題は「毎月佐賀の曲を1曲ずつ発表すること」でした。
それまで学生バンドでカッコいいサウンドだけを追い、
褒められたいとばかり思っていた自分にとって、それは苦痛な作業でした。
「佐賀の音楽=田舎くさい音楽?」たぶんそんなことを考えていたのでしょう。
もちろん佐藤さんからは一度として褒められたことはありません。
何とか一年ノルマだけはこなしたものの、佐藤さんも長崎へ転勤ということで、
決して満足のいく作品を残せぬままコーナーは終了。
この時の後悔は自分の中で常にくすぶっていて、それがその後の音楽制作のテーマとなりました。
だから僕の作品は固有名詞が出る出ないにかかわらずいつも佐賀の風景があります。
数年前、ふと会いたくなって連絡をした時、佐藤さんが亡くなられたことを知りました。
「ありがとうございました。」と心の中で告げ、いつの日か満足できる佐賀のうたを作ること
がライフワークだと思うようになりました。
今日のステージのインタビューの中で みゅー☆スターのリーダー蓮が
「田舎のアイドルだからといってバカにされないように佐賀のPR頑張ります。」
と言ったときちょっと感動・・僕の仕事は少しぐらいは役に立ったのかな?と思いました。
「音楽で佐賀を変えられるのか?」・・・そんな大きなことはわかりませんが、
目の前の人に少しでも届く音楽を作り続けていきたいと思います。
それにしてもみゅー☆スターの笑顔に癒された一日でした。
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