「北の山・じろう」日記

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(トルコ)国民に「帝国主義者」と戦うことを約束したエルドアン大統領<2023年10月

2023-11-02 18:31:33 | アフリカと中東

トルコ大統領、「帝国主義者」に立ち向かう 建国100年式典
2023年10月30日 14:31 発信地:イスタンブール/トルコ [ トルコ パレスチナ自治区 イスラエル 中東・北アフリカ ]
https://www.afpbb.com/articles/-/3488656?cx_part=top_topstory&cx_position=2

レジェプ・タイップ・エルドアン大統領がトルコ共和国の初代大統領初代大統領の霊廟に献花し、功績をたたえる建国100年の祝賀式典の演説で述べたことです。

19世紀の帝国主義の時代を経て第1次世界大戦後、長きの繁栄を謳歌したオスマン・トルコ帝国には波乱の時代が続きました。
トルコ(共和国)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3
ムスタファ・ケマル・アタテュルク氏の率いる革命軍が国内を統一してスルタン制を廃止して現在のトルコ共和国が設立されました。
初代大統領の任期が、1923年10月29日 – 1938年11月10日です。
ムスタファ・ケマル・アタテュルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%AF
「アタテュルク」は、「父なるトルコ人」を意味する称号です。現代トルコの国父(建国の父)とも呼ばれる現代トルコを象徴する人でしょうね。没年まで大統領で、大統領在任のまま逝去しました。

オスマン・トルコ帝国は歴史のごく最近まで存続した偉大な帝国です。長きに及んだトルコ帝国も、革命によりトルコ共和国になりました。しかし考えようによっては、オスマン・トルコ帝国はトルコ共和国として今も続いているとも言えます。
ロシア帝国が共産主義ソ連となり現在のロシア共和国になったのと似ています。

エルドアン大統領も建国100年の記念式典で、ハマス事件をきっかけに、トルコはムスリムの国であることを改めて自覚したのだろうと思います。
「われわれは成功し、勝利する。いかなる帝国主義者もこれを阻止することはできない」
オスマン・トルコ帝国は、列強との戦争の中で衰退し革命で近代国家を設立するしかありませんでした。

オスマン・トルコ帝国時代のトルコ国民は、その版図であった今は別の国に沢山住んでいます。
「トルコは、バルカン半島(Balkan peninsula)やカフカス(Caucasus)地方、パレスチナ自治区など、助けが必要な人々に手を差し伸べる国だ」
・・・・広範囲の地域にその地にある国の国民として生活しています。旧オスマン・トルコ帝国の国民には援助の手を差し伸べると言う意味です。

28日イスタンブールで開かれたパレスチナ支持集会には、主催者発表で150万人が参加したそうです。

その光景が想像できますか?

トルコは、21世紀をムスリム(イスラム)の同胞として仲間とともに歩んで行くのであろうと思います。本来の仲間の所に戻るという意味です。

つまり、それは欧米とは違う道を歩むと言うことでもあります。多少は近いのか遠くなるのかは、欧米のパレスチナへの対応が決めるのでしょう。

トルコのNATO離脱もありうるという意味です。

日本とも友好の深い国ですからね。
日本政府も日本人も日本と縁があり友好のある国との関係を深めていくべきだと思います。友人は、欧米にだけいるのではありません。

中国やロシア。
敵対していても何も生まれません。
一時の感情に流されず冷静に考えたいところです。
友人であればこそ、時には強い意見も言えます。
よく考えてみると?
友人の数は、第三世界の方が多いですね❓



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