あらぐさ(雑草)のこころ

(備忘録)真実は見えないところにある

駄サイクル

2014-07-15 20:02:00 | ノンジャンル
僕が拙い筆力で時々書いている事を見事にまとめています。
表現者たる者、プロ・アマ問わず考えさせる話です。

「褒めてくれる人」→僕らにとってはライヴハウスの「音楽好きな優しいお客さん」ですね。
僕には「駄サイクル」からの脱出法はわかりませんが、聴きたくない人がゾロゾロ通り過ぎる路上で、その「歌なんか聴きたくない忙しい人の足」を止めるプレイが出来た時の充実感を味わう事でしょうか・・・


<駄サイクル>について

「たまごまごごはん」http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070623/1182538861

以下抜粋

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●ほめてくれる人の側にだけいたい症候群●

マンガが描けた!結構うまくいった!だから…身内イベントで売るかな。
バンド組んだ!新曲作った!だから…身内でライブ開くか。
小説書いた!超大作だ!だから…mixiにアップするか(友人のみ公開)。

創作的な作品を作ると言うのは、なかなか大きなこと。正直自分なんかは、それらを生み出そうとする人のパワーすべてを尊敬してしまうのです。作らない人より作る人。それは大原則。
しかし、時々猛烈な不安にかられることってないでしょうか。自分の仕事を第三者が見たらどう感じるんだろうか、自分の作品を批判されたらいやだなあ。
怖い!怖い!怖い!
怖いからまず友人に見せよう…友人の友人に見せよう…気のあいそうな人に見せよう…。

日々、人の目は怖いです、自分も。
趣味だとしたら、別にそんな人の目を恐れて胃を痛めてまでやる必要がないわけです。ならほめてくれる人の所にいたいと思うのは当然のこと。わざわざ地雷を踏みに行かなくてもねえ。なんせほら、僕らには便利なネットがあるじゃないか。
こうして、ほめてくれる人の側にだけいたい症候群が発動します。自分なんかはいつもそうです。

●石黒正数「ネムルバカ」の造語、駄サイクル●

さて、コミックリュウに隔月で、「それ町」の石黒先生が描く「ネムルバカ」という作品が連載されています。特にとりえもない女子大生がのたくた暮らす日常を、石黒先生が得意な独自のテンポと視点で描く作品です。

これがなかなかビンタのように毎回強烈なので、紹介します。

一連の話は、「アーティストが、アーティストが」と知ったかぶりで話す人に辟易しているところからはじまります。そいつは「インディーズ」を何かのバンドと勘違いしているというくらいいい加減で、生理的に嫌悪感丸出しの描かれ方をしています。見てたらすっごいイライラします。
それに対して返す言葉が、痛くて痛くて。やけどするかと思った。
自称アーティストが集まって、ほめあう空間の話。ぐるぐる回って成長しない駄目サイクルなので「駄サイクル」。もちろんこれが全てに当てはまるわけではないですが、なかなか鋭いところを突いておられる。

先ほども書きましたが「プロじゃないから」「趣味だから」というノリで「ほめてくれる人の側にだけいたい症候群」になってしまうと、そこの居心地のよさに酔ってしまいます。酔ってしまうだけならまだいいのですが、問題はそのサイクルが永久ループになってしまうこと。だって、抜け出さなくていいんだもん、プロじゃないから。

そうすると、ナルシシズムの輪が出来てしまうというのはなかなか恐ろしい話です。これ経験している人絶対多いと思うんですよ。ある人は幼稚園児の時かもしれないし、ある人は今でも陥っているかもしれません。
何が怖いって、錯覚すること。

「ここがぬるま湯なんだ」というのを分かった上で、趣味としてやり続けるのは決して悪いことじゃないと思います。そんな人生みんな必死にならなくていいですし。ただ、それを勘違いしてしまうとヒジョーに厄介。
ライブで、同人誌即売会で、ネット上で、美術サークルで、運動部で…そんな勘違い地獄にはまってはいないだろうか??

●頑固になることと、信念をもつことの差ってどこだろう●

ぬるま湯安地を見つけるのは誰もがすること。むしろそれなしでのみ生きていくファイターはあんまりいない気がします。戦士だって家庭でのんびり休むのです。
しかし、時にぬるま湯の中ででも、反対意見が出ることがあります。「その歌い方へんじゃない?」「この文章わかりずらくない?」「このキャラいまいちよくわからないんだけど」。
温泉につかっているときに目の前でうるさくする客がいたらとても苛立ちますよね。それが何を言っているかわからないけど、くつろぎの時間を邪魔されたくないですし。同じように、趣味のぬるま湯につかり、自分の安地だと思っていた場所で批判を受けると非常にギョッとします。

そしてそこで、どう受け取るかが問題。それを素直に受け入れるか、自分と合わないから排除するか。
もちろんそれは前者が正解、と言いたいところですが、100%そうだというわけでもないです。たとえば子供が「やーいやーいばーかちんちん」と言ってきたら「そうか、俺はばかちんちんなのか」と受け取る必要がないのと同じで、ある程度信念を持って、多少の言動に流されないことも大事。その上で一意見として受け入れられたらベスト。

その境界線が非常に難しい…。駄サイクルにはまっていないならばうまく自分を見ることもできるのですが、いったんはまってしまうと内部でのささいな乱れや外部からの批判すらも受け入れることができなくなります。せっかくの円環、誰にも乱させるものか!と意気込んでしまうともうすっかり盲目です。
怖いね…。

そこで駄サイクルにはまっている人を笑う前に、自分を見てみよう。
自分が駄サイクルにはまっていないという自信、あるだろうか?