今日、5月27日は無鄰菴で京都工芸繊維大学の矢ヶ崎善太郎先生の文化財講座に参加しました。
ここ南禅寺界隈には明治に政財界のお偉方たちが競って庭園をつくりました。ここ無鄰菴の施主は山縣有朋で南禅寺別荘群の第一号です。庭園には主屋が必要で今でも多くの立派な数奇屋建築が残っています。先日拝観した對龍山荘の主屋の對龍台も立派な数奇屋で縁側を広く取り、軒先きが張り出しています。それを支える技術もさりげなく表されていて、決して主張しないのが特徴で近世初期に絢燗豪華な建物が建築されたのとは全く違う方向性の建物が数奇屋、茶室です。
近代の数奇屋建築は庭師との共同作業で当時の数奇屋大工は露地づくり、茶文化の風流の心得も持ち合わせていたそうです。
座学のあとは茶室を拝見しました。藪内流の燕庵の写しで本格な茶室です。東側には茶室の伝統ではあり得ない月見台があり伝統に捉われない自分流を貫いた山縣有朋らしいです。
ここ無鄰菴の水は琵琶湖疎水から引いた一次水で
無鄰菴を流れた後に向かいの瓢亭に引かれ二次利用されています。
写真は無鄰菴を流れた疎水の水の出口です。
ここ南禅寺界隈には明治に政財界のお偉方たちが競って庭園をつくりました。ここ無鄰菴の施主は山縣有朋で南禅寺別荘群の第一号です。庭園には主屋が必要で今でも多くの立派な数奇屋建築が残っています。先日拝観した對龍山荘の主屋の對龍台も立派な数奇屋で縁側を広く取り、軒先きが張り出しています。それを支える技術もさりげなく表されていて、決して主張しないのが特徴で近世初期に絢燗豪華な建物が建築されたのとは全く違う方向性の建物が数奇屋、茶室です。
近代の数奇屋建築は庭師との共同作業で当時の数奇屋大工は露地づくり、茶文化の風流の心得も持ち合わせていたそうです。
座学のあとは茶室を拝見しました。藪内流の燕庵の写しで本格な茶室です。東側には茶室の伝統ではあり得ない月見台があり伝統に捉われない自分流を貫いた山縣有朋らしいです。
ここ無鄰菴の水は琵琶湖疎水から引いた一次水で
無鄰菴を流れた後に向かいの瓢亭に引かれ二次利用されています。
写真は無鄰菴を流れた疎水の水の出口です。