寂光院の歴史は古く、推古2年(594)に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために創建されたと伝わる古寺です。
年に一度くらいの割合で収蔵庫の特別拝観があり、旧ご本尊さまの地蔵菩薩立像が拝観出来ます。
寂光院は壇之浦の戦いで平家が敗れ、ひとり救われた建礼門院徳子(平清盛の娘)が長楽寺で剃髪、出家後、隠棲したお寺として誰もが知るお寺です。
平成12年(2000)5月9日、放火による火災で本堂は焼失し、ご本尊さまの地蔵菩薩立像は大きな損傷を受けました。
しかし、胎内仏はほとんどが無事で、その一部は宝物殿で見る事が出来ます。
本堂東側の四方正面の池の手前には豊臣秀吉が寄進した南蛮鉄製の雪見灯籠が置かれています。
また、本堂前西側の庭園は「平家物語」当時のままで、汀の池越しに諸行無常の鐘、汀の桜、千年姫小松があります。
年に一度くらいの割合で収蔵庫の特別拝観があり、旧ご本尊さまの地蔵菩薩立像が拝観出来ます。
これ以上に劣化をしないように処理され、現在も国の重要文化財指定を受けているのは凄い事です。
建礼門院の庵跡です。
平家物語によると後白河法皇がお忍びで行幸され建礼門院とお会いしたそうです。
身内を全て失い平家一門の菩提を弔う日々、彼女の心中はいかがなものだったのでしょうか?
茶室"孤庵"です。
まだ入室した事がありません。春や秋には呈茶をして頂きたいものです。
上の写真は"建礼門徳子大原西陵"
下の写真は大原バス停から寂光院の間にある"朧の清水"です。
建礼門院徳子が剃髪・出家し、寂光院に向かう際に立ち寄り清水に写った我が身を嘆き悲しんだと伝わります。
平清盛の娘として生を受け、やがて高倉天皇の中宮として入内、安徳天皇を出産されました。
国母として順風満帆な生活を送られていた我が身の変わりように"諸行無常"を感じられた事でしょう。