12月25日、妙心寺退蔵院を拝観前に同じく山内塔頭のひとつ壽聖院を拝観しました。
壽聖院は慶長4年(1599)に石田三成公が父正継公の菩提を弔う為に建立した寺院です。
境内には石田三成一族の供養塔が建立されています。
創建当時は現在の敷地の4倍を有し、客殿の軒先瓦には、金箔瓦が葺かれ妙心寺山内で最も豪華なお寺だったそうです。
しかし、関ヶ原の戦いで三成率いる西軍が敗れ、敷地は4分の1に縮小されてしまいましたが今日まで法脈を繋いでいます。
2011年に退蔵院方丈襖絵プロジェクトの「絵師」として採用された村林由貴さんが壽聖院とご縁を頂き奉納されたのが方丈、書院の襖絵です。
このプロジェクトに関心があり壽聖院の襖絵鑑賞ツアーにも参加しています。
壽聖院はそれまでは全くの非公開寺院でしたが来年度のNHKの大河ドラマ「どうする徳川家康」にちなみ来年1月7日から始まる「京の冬の旅」で初めて一般公開されます。
その時は村林さんがご自身で今まで練習してこられた雀の絵が描かれた巻物や奉納された襖絵の説明をされました。
巻物には百羽もの雀が描かれ、一羽一羽には名前が付けられていました。
大学では水墨画の勉強はしてこなかったとのことでしたが、雀の一瞬を捉えて描かれた絵には彼女の才能を感じたのを覚えています。
その後、退蔵院方丈の襖絵の構想を描く工程で大変なご苦労をされたようです。
寺宝に「石田正継像」(重要文化財)をお持ちですが傷みが激しく修復するにクラウドファンディングで募金を募られています。
狩野永徳が設計したと伝わる庭園です。
写真では見えませんが、中ほどには瓢箪型の池があります。
瓢箪は三成の主君・秀吉の馬印です。
ここにも三成の秀吉に対する忠誠心が表れているように思います。
石田三成公に対しては様々に言われていますが、一途に私利私欲なく主君の秀吉公や豊臣家の事を第一に考えていた人物の様に思います。
生まれるのが少し早すぎたのかも知れないですね。
徳川の泰平な時代に生まれ、取り立てられていたら非常に有能な官僚だった事と思います。