12月23日は、まいまい京都のツアー「【鴨川】発見、最古の鴨川管理マニュアル!研究者と京都を運命づけた鴨川をいく〜水の神様、貴族の井戸、運河の庭園・・・水が分かれば、京都がわかる〜
に参加しました。
まいまい京都らしい長いタイトルです。
"まいまい"らしいやたらに長いタイトルですね。
ガイドは京都産業大学教授の鈴木康久先生です。
KBS京都「京の水ものがたり」や「ブラタモリ」などTV出演も多い"水のスペシャリスト"です。
2019年、最古の鴨川管理マニュアルが鈴木先生により発見されたのと報道がなされ話題を呼びました。
堤防が護岸が色別に描かれ、江戸時代の河川管理について詳細に記録された一級の資料です。
京阪電鉄「出町柳駅」に集合の後、鴨川を巡ります。
上の写真は賀茂川と高野川が合流する通称"鴨川デルタ"です。
水質は高野川の方がいいそうです。
人が生活していると、どうしても河川は汚れてしまいます。
賀茂川に比べ、高野川沿いの人口の方が生活者人口が少ないからでしょうか?
三条大橋付近の被害状況です。
現在では、京都市民の憩いの場となっている鴨川ですが、昭和10年6月の豪雨により、鴨川から水があふれ、家屋や橋梁が流出するなど大災害を被っています。
この災害を契機とし、翌年昭和11年から22年にかけて大規模な河川改修が行われています。
出町柳にある妙音堂弁財天です。
1306年(嘉元4年)、琵琶演奏の名家とされる西園寺家が鎌倉時代に皇室に持参した念持仏で、後に伏見宮家の始祖・栄仁(よしひと)親王へ伝えられ伏見御所に祀られるように江戸時代14代・貞建(さだたけ)親王の時に宮家の移転により河原町今出川下る東側に遷座その後明治期に東京の宮邸へ移されるも、1901年(明治34年)、地元の人々の請願により現在地に祀られました。
続きやって来たのが"梨木神社"です。
明治18年10月に三條實萬公を御祭神として創建、別格官幣社に列せられ大正4年の大正天皇即位式にあたり實萬公の御子實美公が第二座御祭神として合祀されました。
梨木神社という社名は旧地名の梨木町に由来し、転法輪殿(三條家嫡流の邸)は梨木町西側に位置していました。
京都三名水『染井(そめい)・佐女牛井(さめがい)・縣井(あがたい)』のひとつである染井の井戸が神社の境内の手水舎にあります。
京都三名水の内、唯一残っているのが、ここ梨木神社"染井"です。
境内は藤原良房の娘明子(あきらけいこ-清和天皇の御母染殿皇后)の御所の趾で、宮中御用の染所の水として染井の水が用いられたといわれています。染井は甘くまろやかな味で、茶の湯にも適す水としても知られています。
続き来たのが廬山寺です。
来年の大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部のお父様の邸宅があった場所と言われ、来年は注目されるお寺になる事でしょう!
東側に井戸があり今は水はありませんが、かつては鴨川の水位と同じ深さの水をたたえていたそうです。
墓地の東側には御土居の跡が残り国の史跡に指定されています。
江戸時代後期に活躍した歴史家・思想家・漢詩人・文人の頼山陽が晩年を過ごした山紫水明処です。
当時は生垣は無く、鴨川向かいの霊峰比叡山を望むのがお気に入りだったそうです。
死期の間際までここ山紫水明処で執筆活躍をし、最後の著書「南北朝正閏論」が遺稿とされます。
みそそぎ川(みそそぎがわ)は、鴨川から分流し、京都市内の鴨川右岸(西側)高水敷を鴨川に平行して流れる全長約2.5 kmの人工の水路です。
みそそぎ川は、賀茂大橋下流付近で鴨川から分流して鴨川公園の地下を暗渠で流れた後に丸太町橋下流で地上に現れ、五条大橋上流付近で再び鴨川に合流します。。その間に、二条大橋下流付近から高瀬川に導水するほか、二条大橋から五条大橋までの間で5月から10月まで京都の風物詩となっている納涼床が設置される。
がんこ高瀬川二条苑の庭園への取水口です。
この地は、江戸時代末期の豪商・角倉了以の別邸跡です。
慶長16年(1611)に角倉了以によってつくられた庭園は、その後は明治の元勲山縣有朋の別邸「第二無鄰菴」となり、その後、第三代日本銀行総裁川田小一郎の別邸となり、阿部市太郎の所有を経て現在は大岩邸として伝わり「がんこ高瀬川二条苑」となっている庭園です。
ツアーはこちらで終わりです。
鈴木先生から、昼から歴彩館で「明治の偉業、琵琶湖疏水の開削と高木文平翁について」のお誘いを頂きましたが、昼から別件の予約があり、参加する事が出来ませんでした。
疏水一筋、元技師長、元疏水事務所長の吉田さんのお話、、、お聴きしたかったです。