京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

第76回 正倉院展 奈良国立博物館

2024年11月03日 08時10分00秒 | 日記
 10月29日は、恒例の正倉院展へ。







古都奈良に秋の訪れをつげる正倉院展も今年で76回目にもなります。

正倉院宝物は奈良時代の帝・聖武天皇遺愛の品を中心に天平時代の工芸技術の高さを今に伝える貴重な宝物です。

以前にNHK特集で放映されていましたが、1300年もの長きにわたり宝物が維持されてきたのは正倉院の校倉造もありますが、宝物が二重の木箱に保管されていた事が大いに関係しているそうです。

二重の木箱に保管する事により、温度や湿度の変化を緩め劣化を最小限におさえられて来たのが宝物維持に大きく貢献してきたそうです。


黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(南倉)

今回のパンフレットの拍子を飾る鏡です。
今回の正倉院文様の"顔"のひとつです。




深緑瑠璃魚形(中倉)



緑地彩絵箱(中倉)



紫地鳳形錦御軾(北倉)

聖武天皇が実際に使われた肘あてでしょうか?

隣りには現代に作られた模造品が展示されていました。



沈香木画箱(中倉)

原料の沈香は日本では産出されないので、東南アジアあたりから輸入された材料で作られた箱でしょう。

材料はシルクロードを経てか、直接輸入されたのか?興味は尽きません。



紅牙撥鏤尺

象牙を紅く染めた装飾用の物差しです。
こちらの作品もNHKの番組で復元を試みていましたが、当時の朱色の染料で何度も染めても、この様な綺麗な朱色は出ていませんでした。

当時の工芸技術の高さに驚くばりです。










お昼は西新館の前にテントが張られ、奈良の地元の食品が休憩しながら頂けます。







頂いたのが「第76回 正倉院展記念特別薬膳弁当」です。

おかずの種類も多く、充実の薬膳弁当です。

このテント下で正倉院展の宝物に思いを抱きながら昼食を頂くのが半ば?恒例行事になっています。
(昨年は"平宗"の柿の葉寿司でした。)









清流亭「知られざる京の美」南禅寺別荘群

2024年11月01日 08時35分00秒 | 日記
 10月28日は、NHK文化センター京都教室の企画で『知られざる京の美 清流亭特別公開講座」に参加しました。
講師は桐浴邦夫先生です。

滅多に公開の機会のない南禅寺別荘群のひとつです。







東側は野村証券グループが所有されている碧雲荘です。

今回の清流亭の敷地内は撮影禁止なので掲載する写真はHPからの転載です。

清流亭は南禅寺山門の北に位置し、かつての塔頭楞厳院があった地に、静かなる趣をなす山荘、いわゆる南禅寺別荘群のひとつです。

数奇屋造の表構えや茶室に書院、糸桜が美しい庭園が広がり、東郷平八郎元帥が「清流亭」と命名した往時の姿を、今もそのまま受け継いでいる、大正初期の建築です。





明治・大正きっての[数奇屋工匠]北村捨次郎が創意をこらした家屋、[植治]こと七代目小川治兵衛の手になる庭園。

琵琶湖疎水から水を引き入れた瀟洒な佇まいは、現代も静かなる趣を漂わせる佇まいです。
植治は琵琶湖疏水から取水する権利を持っていたようです。







文人墨客が訪れ、やがて美術工芸家にとって憧れのサロンになり、当時のモダンボーイ達は、この清流亭で夢を語らいました。

その後さまざまな曲折を経て、現在は大松株式会社が所有しておられます。





平成22年(2010)には清流亭は国の重要文化財に指定されています。





沓脱石

京都市の北部にある、鞍馬の山でとれる石ですが、今では採取が禁止されている貴重な石です。

まっすぐ、もしくは少し膨らんでいる程度のものが、水もたまらず、沓脱としてとても価値があるものとされています。優しい赤みを帯びた色は、鉄分を含んでいる為です。







智識寺塔心石

十三重石塔の前に据えられています。
この心礎は智識寺のものと伝えられています。

智識寺の心礎は、現在「石神社」にもおさめられており、そこに残存する東塔心礎は一部欠損していますが、清流亭におかれている心礎はほぼ原型を保っていて貴重な心礎です。



八角の灯籠。丹後国興謝郡の、宇良神社にあったものが移された灯籠です。
大同年間(806年〜809年頃)の作品。



七畳の庭の手水鉢


苔で覆われた水鉢は、涼しげに水をたたえています。
背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。



欄間の扇

残月の間と名付けられている書院にある、欄間です。

筆をとったのは、いずれ劣らない16人の著名な日本画家たちの手による、扇絵の共作が、そのまま欄間のデザインに組み込まれています。

この日は片方の欄間が外され修復中でした。



書院 残月の間

書院は入母屋作りの桟瓦葺屋根の建物で、柿葺が軒葺きとして屋根をふちどっています。

表千家伝来の残月亭に習った間取り+書院の格調を高めたデザインが、清流亭の書院の特徴です。

残月の間から眺める景色は、まるで一枚の絵画を切り取ったかのような、美しい緑の森が広がります。

こちらから、庭を眺めているだけでも贅沢な時間に感じます。



水石居(氷炭亭)

寄付のさらに南方に、水石居があります。水石居とは、土間席の茶屋をさします。別名を「氷炭亭」といい言うそうです。

土間の中央に白川石を組み、大きな炉をしつらえています。立席茶席としてだけではなく、寄付、応接、食事など様々な催しに利用されていたようです。

桐浴先生の解説もわかりやすく、イヤホンガイドの使用もあり、聞き漏らす事も無く清流亭を初めて見学しました。

持主が代わっても、現状を維持されているのは素晴らしい事と思います。

地図にも載らない南禅寺別荘群、、、
企業が迎賓館として使われ、一般には公開が無いのが残念です。

しかし、ニトリが所有する對龍山荘は似鳥会長の方針で公開されるようになったのは喜ばしい事です。

以前に宿泊施設として営業されていた"洛翠"はその後に日本調剤が所有され、その後、ユニクロの柳井会長が個人で購入されたそうです。
こちらも公開の機会は無さそうです。













大谷大学 女性僧侶・英月さんと浄土真宗の大学へ

2024年10月31日 07時50分00秒 | 日記
 10月25日は、「まいまい京都」の企画で表題のツアーに参加しました。







ガイドは浄土真宗佛光寺派の大行寺住職の英月さんです。

大谷大学には長年"聴講生"として仏教を学ばれていたそうですが、一念発起され昨年4月からは大学院を受験され修士課程で学ばれています。






先ずは、大谷大学博物館で開催されている特別展「美と用の煌めき」を職員の方の解説付きで見学しました。

応挙や若冲作品もあり、なかなか見応えがある特別展でした。











しかし、大谷大学も立派な大学ですねー。
キャンパスや教室、食堂などの施設は、僕の学生時代とは覚醒の感があります。

大谷大学は江戸時代前期に創設された東本願寺の学寮に始まり、数多くの著名な学者を多数輩出する京都でも屈指の伝統校です。

















大谷大学キャンパスのシンボル、赤レンガの旧本館(尋源館)。
現在でも現役で大切に使われています。











宗教行事にも対応した講堂、、、立派な建物で入学式や卒業式はこちらで行われるそうです。

圧巻は国内大学で有数の蔵書数を誇る図書館です。
今回は通常学生には非公開の地下書庫を特別に見せて頂きました。

また、蔵書を検索する為のパソコンも多数設置され、学生や教職員が使いやすいように工夫されています。






一楽真学長(ご専門は真宗学)と英月さん。



次は学長室も案内して頂きました。
僕の学生時代には考えられない事です。

背後の窓からは親鸞聖人が修行された比叡山が望めます。





次に、英月さんおすすめのカフェのメニューからジェラート(北海道ミルク)を頂きました。

屋内とはいえ、ずっと歩いて見学していたので美味しいジェラートが身に染みます。






稲垣潤一 アコースティックライブ2024

2024年10月28日 10時20分00秒 | 日記
 10月27日は、仕事を半休にして貰い摂津市民文化ホールでの「稲垣潤一アコースティックライブ2024」に行って来ました。






会場は摂津市民文化ホール。
収容人員が約450名の会館です。

約30年前に"ある人"との出会いをきっかけに稲垣潤一を聴くようになりました。





この日はアコースティックライブと言う事で塩入俊哉さんのピアノだけでのライブでした。

「黄昏が目にしみる」から始まり、アンコール曲の「ドラマチックレイン」まで休憩なしのライブでした。

エレキギターも含めたフル演奏もいいですが、バラードを中心にしたアコースティックもまた、格別のものがあります。

彼も古希を迎えていますが、今も精力的にコンサート活動をされています。
黄昏が目にしみるあのハスキーボイスが健在なのが嬉しいです。

哀しみのディスタンス

もうひとつの夏

黄昏が目にしみる

unlimited

夏のクラクション

ブルージン・ピエロ

思い出のビーチクラブ

雨のリグレット

クリスマスキャロルの頃には

往年の名曲がピアノだけのアコースティックで聴けるとは、何とも贅沢な時間でした。

浄土寺 兵庫県小野市

2024年10月26日 08時54分00秒 | 日記
 10月22日、加古川市にある古刹・鶴林寺を拝観後、小野市にある浄土寺を拝観しました。







 

浄土堂(国宝)。

「浄土寺」は、鎌倉時代のはじめに俊乗房重源により建立された歴史ある寺院です。

 阿弥陀三尊像と建物が国宝に指定されている「浄土堂」をはじめ、 薬師堂や八幡神社など、知れば知るほどおもしろくなるお寺です。







浄土堂は、大仏様(天竺様)という建築様式の建造物で建てられています。

大仏様は、中国の宋に渡ったことのある重源が取り入れた建築様式です。

大仏様の建物は、東大寺の南大門と浄土寺浄土堂の二つしか残っていません。東大寺南大門は門であることから、仏堂建物としては、浄土堂が唯一のものとなります。

堂内には名仏師快慶作の阿弥陀三尊立像があります。共に国宝に指定されています。
三尊ともに雲に乗られ、来迎の姿をされています。

建久8(1197)年に上棟されましたがその後に焼失し永正14(1517)年に再建されましたが純粋な大仏様ではなく、和様、禅宗様などの建築技法が混在する建物となっています。

浄土堂の本尊は、名仏師「快慶」による阿弥陀三尊立像で、堂内中央の円形須弥壇(えんけいしゅみだん)」上に立っています。来世を信じる人々に、御来迎(ごらいごう)のお姿を、実際に見せようとしたものです。

「阿弥陀如来 (あみだにょらい) 」像は像高5.3m、「両脇侍立像」は像高3.7mもある巨大な三尊像です。 本尊の両手の上げ下げが一般的な仏像と逆で、「観音菩薩(かんのんぼさつ)」像と「勢至菩薩(せいしぼさつ)」像の配置も、一般的な配置と違い左右逆さになっています。これは、快慶が宋の仏画を参考に作られたからと言われています。



この日は残念ながら曇り空で、夕日を浴びた阿弥陀如来さまには出会えませんでしたが、十二分に美しく、神々しい阿弥陀三尊さまです。

内部は荘厳さに満ちていて、西陽が当たると浄土から阿弥陀さまが来迎されて来たかのような雰囲気が漂います。

一度、お詣りすると強く印象に残る阿弥陀三尊さまです。
また、須弥壇の周りを回れ、阿弥陀三蔵さまの裏側も見る事ができます。










八幡神社拝殿・本殿。

東大寺にも鎮守社の手向山八幡宮があるように、浄土寺にも鎌倉時代後期の嘉禎元年(1235)に八幡宮が建てられています。





薬師堂(重文)。

浄土堂と相対する浄土寺の根本道場です。

元の建物は浄土堂と同様に天竺様で建てられいたそうですが、室町時代中頃に焼失しています。








開山の重源をお祀りする開山堂。

13歳の時に山城の上醍醐に入られ名を重源と改めてられ、真言の修行に専念されます。

平重衡による南都焼き討ちで東大寺大仏殿が焼失した際には再建の責任者・勧進に任命されています。



浄土堂内部の写真は小野市HPからお借りしました。