京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

広東旬菜 一僖(いっき)

2024年11月30日 07時03分00秒 | 日記
 11月10日、圓徳院と高台寺の夜間拝観の前に東山安井近くにある「広東旬菜 一僖」に初めてお邪魔しました。





総席数が11席しかなく、予約していないと絶対に無理なお店ですが、ガラス越しに覗いて見ると空席が、、、

思い切ってドアを開けて"食事が出来るか"をお聞きしたところOKでした。









中ではご主人の下村さんとサービスの女性のおふたりで切り盛りされています。









"むしやしない"のつもりで入店したので注文は広東風チャーハンと春巻き2本です。

広東風チャーハンは金華ハムやレタスが入り無茶美味しかったです。

春巻きも色々な具材のバランスが抜群で、しかも皮はパリパリの食感、、、

毎日でも食べられる中華」をモットーに中華特有の調理法である“油通し”を極力避けてお料理をご提供されています。

さっぱりとヘルシーなところが魅力的です。また、揚げ物には米油を使用しているため、油切れが良くカラッと軽い食感が特徴です。

こちらの中華なら健康面が気になる方や、油が苦手なご年配の方も安心して本格中華を楽しむことが出来ます。

美味しい中華の評判が高く、祇園の料理人や京都吉兆の徳岡邦夫さんが足繁く通うお店だそうです。

「豪華なコースがお手頃価格」を目指されていて、ホテルや有名レストランにも引けを取らない本格広東料理を、いつでも気軽に楽しめる様にお手頃価格で提供されています。

2名様~4名様でご利用いただけるコースは、ランチ税込5,500円、ディナー税込9,500円とリーズナブルなお値段です。

一度、コースで頂いてみたくなるお店です。




六波羅蜜寺 ご本尊ご開帳

2024年11月30日 06時35分00秒 | 日記
 11月23日は、六波羅蜜寺を拝観しました。









日本には7躰の国宝に指定された十一面観音菩薩がおられますが、唯一、六波羅蜜寺の十一面観音にはお詣りが出来ていませんでした。

12年に一度辰年にご開帳される慣わしになっています。
今年は11月3日から12月5日までの33日間ご開帳されています。






(上3枚の写真はネットからお借りしました。)

951年に京都で疫病が流行った際、空也上人が自ら刻まれたと伝わる十一面観世音菩薩立像。

その御仏を荷車に載せて市中を曳き廻り、小梅と結び昆布をいれた薬湯(皇服茶)を病人に授け疫病を鎮めたと伝わります。
そんな言われの尊像がご開帳されるのですからお詣りしない手はないです。

また、60年に一度の白色の淵龍護符(飛龍文様入り)が11月3日、4日、5日に先着500名に授与されますが、長い行列ができ早々に授与が終わったそうです。

他のお寺だと少なくとも1000円は拝観料が必要ですが、なんと無料で本堂に上がれ貴重な尊像を拝む事が出来るのです。
ご住職の英断に感服します。





この六波羅の地は平安時代には平家の本拠地でした。周辺には多くの平家の邸宅が建っていたそうです。
太政大臣まで登り詰めた平清盛ですが、都の中心に住む事は出来なかったようです。













令和館(宝物館)には地蔵菩薩像をはじめ、空也上人像、平清盛像、運慶像、湛慶像などの仏像が安置され、中学校や高校の日本史の教科書にも載っている像もあり、見応えのある宝物館です。


鹿王院 京都古文化保存協会

2024年11月29日 07時54分00秒 | 日記
 11月22日は、曇華院門跡を拝観し直ぐ東側にある鹿王院を拝観しました。




山門と方丈の扁額は足利義満公の自筆と伝わります。



鹿王院(正式には覚雄山大福田宝幢禅寺鹿王院)は、臨済宗の寺院で、足利義満により康暦元年(1379)に建立されました。

義満は夢の中で多聞天と地蔵菩薩が寺を建立すれば寿命が延びると語り合うのを聞き、自身の延命を祈願して寺を建立しました。


本来なら参道は紅葉の名所で非常に美しいのですが、今年の紅葉は随分と遅れています。





宝幢寺・鹿王院が最も栄えたのは15世紀末から16世紀前半で、義満をはじめ、義持・義教・義政ら歴代将軍の御成りがありました。

しかし、応仁2年(1468)の応仁・文明の乱の戦火で嵯峨一帯が焼失し、宝幢寺の再建は実現せず、鹿王院だけが再建され、宝幢寺の格式が継承されました。









ご本尊は釈迦如来で十大弟子は運慶作と伝えられています。

回廊で結ばれた諸堂の間に枯山水の庭がひろがり、源実朝が宋から譜来した仏牙舎利を収めた舎利殿がある。

仏牙舎利をお祀りしているのはここ鹿王院と御寺泉涌寺だけではないでしょうか。



近年では茶室も公開され、見所が増え"得"をしたように思います。












曇華院門跡 京都古文化保存協会

2024年11月28日 05時38分00秒 | 日記
 11月22日は、京都古文化保存協会主催の秋季京都非公開文化財で初めて曇華院門跡(どんげいんもんぜき)を拝観しました。







鹿王院の並びにあり、今までその存在は知っていましたが、拝観の機会が全く無かったです。

今回は、庭園を含めて内部は撮影禁止でした。
掲載している写真はネットからお借りしたものです。





曇華とは三千年に一度花開くという優曇華(うどんげ)の花のことであり、花咲く時に聖王が出現すると言われています。

 曇華院門跡、竹の御所、正式には嵯峨・曇華院の日光と言います。

京都の7尼門跡寺院のうち、大聖寺門跡、宝鏡寺門跡に次ぎ、3番目に列せられる尼門跡寺院で山号は瑞雲山と言います。

臨済宗系の単立尼寺、本尊は十一面観世音菩薩。
尼寺霊場の一つに数えられています。

当初は現在の京都文化博物館あたりに創建されたそうですが、度重なる火災により伽藍を失っています。

明治4年(1871)に鹿王院に隣接する末寺であった瑞応院の寺域に再建されています。





本堂前の庭園は、東西に長く奥には築山には数々の樹木や四季の花が植えられ尼門跡に相応しい雰囲気があります。

現在では樹木の樹高が高くなっていますが、かっては嵐山を借景にした庭園だったそうです。






次に東隣りにある鹿王院を拝観します。





高野山 紅葉

2024年11月27日 08時01分00秒 | 日記
 11月19日、次に真言宗の聖地・高野山を訪ねました。










大門

高野山の入り口にそびえる五間二階の楼門で、一山の総門です。





中門

金堂の正面手前の一段低い所に、平成27年(2015年)の高野山開創1200年を記念して再建された門。


六角経蔵

鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です


金堂

平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。
現在でも重要な行事は金堂で行われなています。



根本大塔

真言密教の教えを体現する象徴として建てられた塔で、塔内には立体の曼荼羅世界が 広がります。



西塔

お大師さまの伽藍建立計画案である『御図記』に基づき、真然大徳によって建立さ
れました。





智泉廟

東塔より東へ少し行くと、小さな廟がひっそりとたたずんでいます。この廟は、 お大師さまの甥である智泉大徳の御廟です。





蛇腹路

伽藍入り口から続く小道で、高野山の風景を龍に喩えると腹にあたる場所であるので蛇腹と呼ばれます。
高野山の紅葉スポットのひとつです。













金剛峯寺本坊

高野山真言宗の総本山金剛峯寺です。
正門から続く伽藍の数々、、素晴らしいものがあります。











土室と茶の間(つちむろとちゃのま)

 囲炉裏の間は、以前は無地の障子でしたが世界的に活躍する日本画家・千住博画伯により全長25メートルを越す《瀧図》、茶の間には全長16メートルを越す《断崖図》が奉納され、一般公開されています。











奥之院

高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。

ここからは高野山で最も神聖な場所で、過去に活躍した仏教者や戦国大名の供養塔が所狭しと建立されています。



燈籠堂

弘法大師御廟の前に建つ建物で、内部は奉納された多くの灯籠が吊らされています。
内部からは弘法大師御廟がのぞめます。

この日は生憎、改修工事が入っていて、お堂内に立ち入る事は出来ませんでした。



弘法大師御廟

弘法大師は今も生きているとされ、一日二回の食事が運ばれています。




御廟橋から先は撮影は禁止されています。
掲載の写真は高野山真言宗総本山金剛峯寺のHPからお借りしました。