9月9日、南禅寺塔頭寺院のひとつ天寿庵を拝観後、久しぶりに南禅寺本坊を拝観しました。
①惣門
飄亭さんの前の道を更に西に進むとあります。
② 勅使門(重要文化財)
寛永18年(1641)に明正天皇より御所の「日の御門(ひのごもん)を拝領した門です。
③ 三門(重要文化財)
寛永5年(1628)藤堂高虎が大坂夏の陣の戦没者慰霊のために建立寄進したものです。
(今回は拝観していません)
④ 法堂
明治28年(1895)に豊臣秀頼が寄進した法堂はおしくも焼失してしまいました。
しかし、明治42年(1914)に再建されています。
内部の天井画・瑞龍図は今井景年の筆によるものです。
⑤ 玄関
玄関へと続くアプローチには、かって市電に使われていた敷石が使われています。
⑥ 庫裡
受付を終えて庫裡へと上がると、正面に韋駄天さんがお祀りされています。
また、右手にある部屋「滝の間」は主にお抹茶席として使われています。
流れ落ちる水は水路閣から引かれています。
⑦ 方丈(国宝)
柿葺で寝殿造の大方丈は、天正年間に豊臣秀吉が建造寄進した御所の殿舎を、慶長16年(1611)に時の帝・後陽成天皇より拝領し移築された建物と言われ、襖絵は狩野永徳らの筆によるものです。
中でも襖絵のひとつ「水呑みの虎」図は狩野永徳の傑作として有名な襖絵です。
⑧ 方丈庭園(国指定名勝庭園)
石組みの姿から「虎の児渡し」の庭と呼ばれている枯山水庭園です。
慶長年間に江戸幕府の作事奉行を務め、また、作庭家でもあった小堀遠州による作庭と言われています。
⑨ 小方丈庭園
昭和41年(1966)に作庭された新しい庭です。
作庭に明確な意図があるのが禅寺らしいです。
⑩ 方丈東側
こちらも比較的新しい庭園です。
お茶室がふたつあり、お茶会の機会はあるのでしょうか?
是非、参加してみたいものです。
南禅寺は,慶応4年(1868)の神仏分離令及び明治4年(1871)の社寺上知令により,現在の境内地を除いた全ての寺領を失っています。
また,翌年の無檀無住寺院の廃寺令や明治11年の合寺令によって,明治3年には25あった塔頭の内,17院を失っています。
室町時代に定められた五山十刹の制において京都五山および鎌倉五山の上に置かれる「五山の上」の寺院とされ、日本の全ての臨済宗の寺院の中で最も高い格式を持つ禅寺でした。
しかし、塔頭寺院に金地院を持ち境内には徳川家康を祀る東照宮まであったために"徳川憎し"の明治新政府により徹底的にイジメ?られました。
金地院の並びにある"大寧軒"は南禅寺が買い戻した元塔頭寺院の跡です。
よくぞ、ここまで復興されたと思います。