京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

西来院 京の冬の旅①

2025年01月12日 08時29分00秒 | 日記
 1月10日は、京都市観光協会が主催する"京の冬の旅"の初日です。











次に行く予定の近くにある建仁寺塔頭西来院に来ました。

昨年に霊源院の雲林院住職が兼務で住職に就かれ、見違えるように綺麗に再生されました。











昨年までと堂内が随分とリニューアルされ、陳漫(チェンマイ)さんの最新のアート作品が並び、また、キーやんこと木村英輝さんの涅槃図が新たに奉納されていました。







現代アート作品らしく涅槃図にはゴリラやワニ、シマウマなど常識的には描かれる事のない動物が描かれていてユニークな作品に仕上がっています。













もうひとつの楽しみは呈茶がある事です。
一服千円ですが、樂雅臣さんの作品を観賞しながらのお茶は充実したものがあります。
岩石やスペイン産の大理石を削った作品には人を惹きつけられる魅了があります。

しかも、雲林院ご住職が隣に座られ雅臣さんの作品の解説をして下さいました。
ご住職曰く「彼は天才です。」







お菓子は"とらや"の最中、お抹茶は表千家社中の方が担当されていました。







床の間には織田信長の書状が、、、"天下布武"の印に信長の心意気を感じます。

畳の上には雅臣さんの作品が、、、初代長次郎の黒樂茶碗を模して岩石を削り、しかも黒の釉薬で焼いて出来た全く新しい黒樂が、、、箱までが岩石を削って作ってある徹底ぶりです。
まさに"天才"の作品です。

もうひとつ同じ物があり手に取って拝見しました。
高台部分も本物そっくりに作り込まれています。









まこと、見事に再生され蘭渓道隆さんもさぞお喜びだと思います。

建仁寺は"日本最古の禅寺"と言われますが、蘭渓道隆が住持に就かなかったら臨済宗単独のお寺にはならなかったと思われます。
それまでは天台・真言・禅兼学のお寺でした。

蘭渓道隆は鎌倉幕府、特に北条氏との関係が深く、旧仏教勢力の代表格だった比叡山と言えども手が出せなかったようです。








侘屋屋古暦堂うま味さん 白味噌雑煮

2025年01月11日 09時21分00秒 | 日記
 1月 日は、とらや京都四條南座店に続いて、こちら侘屋屋古暦堂うま味さんでも白味噌雑煮を頂きました。





昨年に続いての白味噌雑煮です。
こちらは祇園甲部歌舞練場の二軒北側に店を構える「侘屋古暦堂」さんの姉妹店として、侘屋さんでも使われている"焼鳥用の七味"を始め様々な香辛料や濃縮されたお出汁や"ポン酢"などが販売されています。









最近では、マールブランシュのお店でも販売される様になり、販路が広がっています。

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【侘家古暦堂 うま味さん】
新春限定 うま味さんのお雑煮イベント開催
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いつも侘家古暦堂うま味さん・マールブランシュをご利用いただき、ありがとうございます。
京都祇園の調味料専門店「侘家古暦堂 うま味さん」店舗にて
2025年1月2日(木)から2025年1月13日(月)までの間、
「〈新春限定〉うま味さんのお雑煮」と題して、特別イベントを開催いたします。

メール登録しているので、この様なイベントの前には案内が送信されて来ます。
予定が立てやすく有り難いです。







昨年もそうでしたが、2人前をお願いしました。
関西のお正月の雑煮は白味噌雑煮、、、
白味噌の程よい甘さとお出汁、丸餅、金時人参の組合せは抜群で"関西人"でよかった、、、と思える瞬間でもあります。



今年は最後に焼鳥のつくね(うま味さんの七味が振られています。

近くにある豆腐専門店"賀茂とうふ近喜"さんのひろうすと金時人参の煮物、侘屋古暦堂さんオリジナルお菓子"野菜のうま味が広がるラングドシャ&YOIN 野菜のうま味"が一枚付いていました。

いつも侘屋古暦堂うま味さんで親しくして頂いているK山さんが今月で退職されるとご本人からお聞きしました。
非常に、非常に残念です。



最後にお店の前で一緒に写真を撮って頂きました。

子育てに仕事に、、、毎日が忙しいでしょうが、新しい職場でもK山さんお人柄なら大丈夫、、、
陰ながら応援しています。
(気分だけは応援団長です、、、)






無碍山房 京都高島屋店

2025年01月10日 08時18分00秒 | 日記
 1月6日の最終は、京都高島屋店3階にある"菊乃井"さんがプロデュースされている喫茶"無碍山房(むげさんぼう)へと来ました。







以前は地下食料品売場の一角にあり、カウンター10席だけの小さなお店でしたが、2022年に3階東側に移転されました。 







菊乃井さんが経営されているだけに、移転時の改装は中村外二工務店が担当されました。
百貨店の店内とは思えない落ち着く空間です。





注文したのは一番人気の「濃い抹茶パフェ」。



他にも色々とあるのですが、どうしてもこの「濃い抹茶パフェ」を頼んでしまいます。

抹茶アイスの濃さはハーゲンダッツの比ではなく、抹茶本来の風味と味覚を存分に味わえます。

中には白玉や小豆、寒天ゼリー、カステラが入っていてます。
小豆好きの僕にはもっと多く入れて欲しいです。
それにしても抹茶アイスと小豆との相性は抜群ですね。

円山公園の外れにある本家?の無碍山房まで行かなくても同じメニューが楽しめるのはありがたい事です。


相国寺塔頭光林院 境外墓地

2025年01月09日 07時52分00秒 | 日記
 上善寺の後、相国寺の境内を抜けて塔頭寺院のひとつ光林院に来ました。







2018年の"京の冬の旅"で公開されましたが、以降は全くの非公開寺院です。



藤井涌泉さんの「虎の図」がパンフレットの表紙を飾り話題になりました。

臨済宗大本山相国寺の塔頭である林光院の庭園には、平安朝文化の優雅な時代思想を反映する代表的なエピソードの主人公である「鶯宿梅」という名梅が現存します。



「大鏡」によれば、村上天皇の天暦年間(947―956)、御所の清涼殿の梅の木が枯死したので、それに代わる梅の木を探し求めさせたところ、西の京の紀貫之の娘の屋敷の梅がその選に応える名梅であるというので、天皇の勅令に依り御所に移植されることになったのであるが、別れを惜しんだ娘は短冊に  

勅なればいともかしこき鶯の
宿はととはばいかがこたへむ

という一首を詠み、梅の枝に懸けておいたところ、この歌が天皇の目にとまり、その詩情を憐れんで元の庭に植え返されたという。(大鏡・拾遺和歌集)

その時からこの梅が「鶯宿梅」、又は「軒の紅梅」と称せられて、「みやび」や「もののあはれ」と云うことを尊んだ王朝の優雅な時代精神を現す代表的物語として、後生にまで喧伝されるに至ったのています。

応永二十五年(1418年)正月、足利三代将軍義満(相国寺開基)は、二十五歳で早世した第二子の義嗣(林光院殿亜相孝山大居士)の菩提を弔うために、夢窓国師を勧請開山として、京都二条西の京の紀貫之邸の址地に林光院を開創したのがお寺の由緒です。

また、また、前置きが長くなってしまいましたが、相国寺の東門を出て東に進むと北側(左手)に光林院の境外墓地があります。







ここには蛤御門の変や鳥羽伏見の戦いで戦死した薩摩藩士72名を合葬した墓碑が建てられています。

また、近世儒学の祖といわれている藤原惺窩の墓があります。

入口には鉄製の門扉があり、中に入る事は出来ません。

林光院と薩摩藩・島津家との関係は関ケ原の戦いにさかのぼります。
西軍の島津義弘が両陣営の中央を突破し伊賀に隠れ、大阪の豪商田辺屋今井道與が潜伏先から海路護送して無事薩摩に帰国させました。

この功績によって、道與は摩藩秘伝の調薬方の伝授を許され、現在の田辺製薬の始まりとなりました。
さらに、島津義弘は自ら僧形の像を造り道與に送っています。

後に、道與の嫡孫乾崖梵竺が林光院五世住職となり、義弘の像とその位牌が林光院に移され、島津家により遷座供養が行われています。

また、鶯宿梅が咲く頃に公開して欲しいですね。



上善寺 京都六地蔵のひとつ

2025年01月08日 13時41分00秒 | 日記
 薩長同盟が締結された地、御花畑屋敷跡を見学した後、寺町通の最北端の地にある上善寺に来ました。




ご本尊として阿弥陀仏坐像が祀られていますが、この阿弥陀仏坐像は、行基作と伝えられており、寛永11年(1634年)嵯峨今林蓮華清浄寺から移されてきたものだそうです。



毎年8月22、23日に行われる六地蔵巡りのひとつとして有名なお寺です。

お寺の歴史は古く、貞観5年(863年)円仁により天台密教の道場として創建されました。









文明年間、春谷盛信が応仁の乱により荒廃した寺域を再興し、後土御門天皇・後柏原天皇 両帝の戒師をつとめ、寺門は大いに興隆しました。

また、後柏原天皇は当寺に行幸されるなどご親交深く、後に万里小路秀房卿の執達により「勅願所不断念佛之道場」の宣旨と「千松山」の勅額を賜り、勅願所として塔頭10院を有する伽藍規模となりました。





特別に観音堂を開扉して頂きました。
(例年は六地蔵巡りの二日間だけ開扉されますが、ご住職のご配慮により開扉して頂きました。)







境内には「鞍馬口地蔵」を祀る六角堂があり、「六地蔵めぐり」の一つとして広く信仰を集めています。
(こちらの地蔵堂も特別に開扉して頂きました。)

明治時代に起こった廃仏毀釈によって、鞍馬街道の入口にある深泥池の畔にあった地蔵菩薩がこの寺に移され、以降通称「鞍馬口地蔵」と呼ばれるようになりました。

10年程前に1日で6箇所を巡りましたが、かなりキツイです。
2日間設定されているのが分かります。